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Culture
2019.12.06

古代日本人は自然や季節をどう感じていた?縄文人も惹きつけた月の魅力とは?

この記事を書いた人

「季語」が私たちに伝えてくれるイメージには言葉以上のものがある。
それは現実の世界にある景色を、選び抜かれた言葉で短く集約して表現する俳句というかたちで私たちのまえに再現してくれる。

そんな「季語」の誕生は平安時代の美意識に起源をもつといわれるが、縄文時代から今日まで、この列島で生活してきた人々の自然への思いが民俗的伝承としてあったのではないかとの指摘もある。
今日にまで伝わる季語を生みだした古来の日本人が見ていた自然とはどんなだったろう?
今回は季語のお話。だけど、少し趣を変えて古代へ思いを馳せてみたい。

言霊信仰が教えてくれること

「季語」は古代・中世では宮中や貴族階級の自然観を色濃く反映するものだった。それが江戸時代になると俳諧の世界は民衆の日常世界を反映するまでの広がりをもつようになる。江戸期を通して季語の数は飛躍的に増えていて、日本人の自然観の拡がりを見てとることができる。

言葉に特別な霊力が宿るとする「言霊(ことだま)」は世界中にある考え方だ。日本では、言霊を神格化した「一言主大神」が存在するとも信じられていた。だから今日まで人々は言葉を大切に扱ってきた。それは古代人も同じだったはずだ。
古代の自然観やそれに基づく生活、文化まで含んでいる季語は季節や時期の移ろいを愛で、讃えてきた古来の人々が言葉を尊むなかで生まれたのかもしれない。

縄文人も惹きつけた月の魅力

日本の月は美しい。海外に住んでいた頃も毎晩月を見ていたけれど、日本の月には底知れない儚さを感じる。
ひときわ美しい秋の月は有名な句を多く生み出した。江戸時代の俳人、松尾芭蕉も『おくの細道』の冒頭に、旅へのはやる気持ちを抑えながらも「松島の月まづ心にかかりて」といっている。月への衝動が芭蕉の体の中にうごめいていたのを感じさせる。

どうやら古代の人々も月に魅了されていたようだ。「月」の季語が生まれた背景には縄文人の死生観が関わっている。
月は太陽とならんで古くから信仰対象とされてきた。
縄文人もまた、月を信仰していた人々だ。彼らは、死とは体から抜け出した魂が別の世へと転成することだと考えていた。そこでしばらく留まった魂はやがてこの世に生まれ変わる(輪廻転生)。そのような死生観を持っていたから、彼らにとって死は決して悲しいものではなかった。
縄文人が作った土偶や土器などの多くからは再生のシンボルを見ることができる。月を信仰することで生死の循環と再生を願っていたのだろう。

桜の花は稲の花の象徴だった?

「雪」は冬に降る雪のことであり、「花」を見立てて表現されることもある。
枝に咲く花と、空から降りおちてくる雪とではまるで違うモノのように感じるが、柔和な印象や互いによく似た性質が「花と雪」というイメージに結びついたのかもしれない。
たとえば雪を花に見立てた一首「雪ふれば木ごとに花ぞさきにけるいづれを梅とわきてをらまし(古今和歌集)」。『古事記』には花の華やかさと命の短さを象徴するように「木の花の栄ゆるが如栄え坐さむ」とある。
また『万葉集』には雪を介した唱和の歌があって、雪は水神の化身である竜が降らせたものであることや、暮らしの中での水への信仰が語られていて興味深い。

「花」は、農耕民族の生活と深く関わる象徴として大事にされてきた。
たとえば、桜が咲くのは稲の花の咲く前触れでもある。古代人は春に咲く桜の咲き具合を見て、その年の稲の花の出来を感じた。桜が散るのを前に、今年は凶作になるのではと心を痛めることもあっただろう。彼らは花からその年の収穫を推察し、良き年であるようにと祈ったのだ。

古代人は蝶が嫌い?

古代の和歌では草花や木々、鳥などと比べて「蝶」がほとんど詠まれなかった。もちろん、古代にだって蝶は飛んでいたはずだ。ということは、古代人はあえて蝶を和歌に詠まなかったということになる。なぜだろう?

絢爛豪華な美しい羽を持つ蝶は古代から調度品や衣服、絵巻物に登場する人気のモチーフだ。
一方、東北地方には蝶はあの世からやってきた生き物であるとの考え方が残っている。蝶は古代エジプトではオシリス神の象徴としてされていたし、ギリシア時代には人間の霊魂とみなされていた。
活発に動き回る幼虫時を経て、まるで棺に入ったようなさなぎの姿になり、やがて復活を遂げる。そんな蝶の姿が国や人種を問わず蝶を神聖化したのかもしれない。あるいは、はかなく短命な蝶の一生や不安定な飛び方が死者の霊と結びついたのだろうか。

季語と現実の景色を比べてみよう

景物(けいぶつ)とは四季折々の美しい風物のこと。古代人が花や月になにを見て、なにを想ったか。それはしょせん検証することのできない仮説にすぎない。でも、季語の底流には今を生きる私たちまで脈々と日本人ならではの生活意識が流れているのは間違いないだろう。

俳人・宮坂静生は「俳句を作るとは現実世界から一尺(三〇センチ)上がったところに舞台を設けて、そこでドラマを演じることだ」と説いている。
俳句を詠む人も作る人も、ついつい季語にひっぱられて言葉を追ってしまいがちだが、ここでもう一度、古代の神話が今日に伝えているものに目を向けてみてほしい。もしかすると、そこからこれまでにない新しい言葉を見つけられるかもしれない。

(参考文献:『季語の誕生』宮坂静生、岩波新書、2009/『日本の環境思想の基層 人文知からの問い』秋道智彌、岩波書店、2012)

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。