Culture
2019.12.12

年末に「第九」が演奏される理由は?日本初演やドイツ兵との絆などの歴史と歌詞の訳も紹介

この記事を書いた人

今年の年末も各地で第九の公演がありますね。あの曲を聴いていると、年も暮れだなあ、と感じる人も多いのではないでしょうか?

でも、どうして年末に第九なのでしょう? 日本における第九の歴史を紐解いていくと、そこには悲しみの中に「歓喜」を待ち望む、人々の切なる祈りが見えてきました。

第九日本初演の舞台は捕虜収容所だった

1824年に発表された第九が日本で初演されたのは、大正7(1918)年です。しかしその舞台となったのは、コンサートホールでの優雅な演奏会などではありませんでした。

1914年、第一次世界大戦が勃発し、日本も戦乱に巻き込まれます。日本各地に俘虜収容所が設けられ、中国青島で捕虜になったドイツ兵が多数収容されていました。

この時に設置され、「奇跡の収容所」と呼ばれたのが徳島県板東町(現・鳴門市)の「板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)」です。収容所の所長は、陸軍歩兵中佐「松江豊壽(まつえとよひさ)」。ここは、収容されたドイツ兵が後に「世界のどこにバンドーのような収容所があっただろうか」「マツエこそサムライだった」と評し、自らを「バンドー人」と称したほどの温かい交流が持たれた場所でした。

当時の日本では、捕虜に対する暴行や非人道的な扱いは禁じられていました。特にドイツとは敵対位置にありながらも友好関係が続いており、一部を除いて各地の収容所でもこれが守られていたのですが、板東俘虜収容所は別格でした。

板東にいたドイツ兵のうち職業軍人は1割にも満たず、松江は彼らの特技を活かせる商店街や工場を所内に造りました。また、市民の求めに応じて技術者を所外に派遣し、ドイツ兵は地元住民とも親しい交流を持ちました。「お遍路さん」の土地柄で、住民側に柔軟な受け入れ態勢があったことも幸いしたといいますが、今でもドイツ兵が造った「メガネ橋」「ドイツ橋」や、酪農技術、パン・ケーキ・ハム・ベーコン製造はじめ、この時に伝えられた技術や建造物などが日本にはいくつも残っています。

松江は「彼らも国のために戦ったのだから」と、ボウリング場、サッカー場、テニスコート、菜園などを設け、一日がかりでの海水浴遠足に頻繁に出かけたり、ペットの犬を飼ったりするなど、レクリエーションも積極的に行います。その手厚さに日本の軍部から苦情が来たときにも松江は自分の信念を覆さず、それが更にドイツ兵からの信頼を得ることに繋がりました。

ドイツ兵の積極性も、この「バンドー」を生み出した重要な要因でした。専門知識を活かした高度な内容の講演会や、それまで満足な教育を受けられなかった兵士への自主的な学習会が毎週開かれ、所内新聞や切手を始めとする印刷や出版、演劇、オーケストラや合唱団、さらには大規模な美術工芸展覧会も開かれました。

そんな中で開かれたのが、第九の日本初演です。大正7(1918)年6月1日、軍楽隊長のH・ハンゼンを指揮者とした演奏会が行われました。本来の楽器が揃わなかったため別の楽器に、女性がいなかったため男声合唱に書き換えて演奏されましたが、これが日本初の第九全曲演奏でした。その前にも第4楽章のみは2回、同じく収容所のドイツ兵によって演奏されたことがあったのですが、1時間を超える全曲演奏が日本に響いたのはこの日が初めてでした。また、第九演奏を行ったグループとは別のオーケストラを率いていたプロヴァイオリニストのP・エンゲルは日本人への音楽指導も熱心に行い、徳島市民の音楽活動の基盤を作りました。

ドイツ側からの要望で開かれた「お別れ演芸会」の後に帰国した兵士たちは、その後もドイツ各地で「バンドー会」を開き、楽しんだといいます。

会津の特産品・起き上がり小法師

板東俘虜収容所の所長・松江の出身地である会津(福島県西部)は、幕末~明治にかけての一連の戦が終わった後も敗戦国として過酷な生活を強いられました。会津はもともと道徳心の強い土地柄ではありますが、弱者としての痛みを知るからこそ、こんな「こでらんに!(最高!)」と喝采を送りたくなるようなドイツ兵との交流を持てたのかもしれませんね。

どうして年末によく第九が演奏されるの?

日本で第九演奏が年末の定番になったのには、それとは別の理由があると言われます。

1つは、オーケストラの「書き入れ時」が定着した、という説。第二次世界大戦後の混乱期に、NHK交響楽団の前身・日本交響楽団の第九公演が大当たりしたこと、それに加えて、アマチュア合唱団の活動が各地で盛んになり、合唱団の家族や知人がチケットを購入するなど、毎回収益が安定していること。そうした興行面でのメリットがあったため、というのが1つめの説です。

もう1つは、第二次世界大戦の学徒出陣壮行会で演奏されたことに由来するという説。昭和18(1943)年12月、卒業を繰り上げて戦地へ赴く学徒たちの壮行会で演奏されたのが、第九の「歓喜の歌」でした。そして戦後、生還した学生たちが亡くなった仲間の追悼のため、12月に再び第九を演奏したといいます。このことから定着した、というのがもう1つの説です。

戦前に始まり、戦中も続いていたラジオ放送が一因、など他の説もいくつかありますが、有力とされているのはこの2つなのだそう。日本初演のエピソードといい、年末に定着した理由といい、これからは第九が今までと少し違う響きで聞こえてきそうです。

第九・復活と平和への祈り

平成23(2011)年3月11日、宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生しました。福島県、宮城県、岩手県、茨城県などに甚大な被害をもたらし、東北地方および関東地方全域に影響を与えた未曾有の大災害は、8年以上経った今なお復興の途上であり、いまだ故郷に帰ることのできないかた、帰れても不自由な生活を余儀なくされているかたが大勢いらっしゃいます。

東日本大震災後の復興チャリティーコンサートで多く演奏された曲の1つが「第九」です。犠牲者への哀悼の心を込めて演奏された第九は、日本初演のキーマン・松江豊壽の出身地、会津にも響きました。会津でも東日本大震災とその1か月後の福島県浜通り地震で強い揺れを観測するなど不安な日々が続いていましたが、同年12月、市民オーケストラが力強い歌声で心を1つにしました。

復活の祈りを込めた第九演奏会は世界各国で行われています。
1989年のベルリンの壁崩壊直後の年末には、東西ドイツおよびアメリカ・イギリス・フランス・ソ連(当時)の混成メンバーによるオーケストラが、第4楽章の合唱冒頭の「フロイデ(喜びよ)」を「フライハイト(自由よ)」に変更して演奏しました。翌年の東西ドイツ再統一前夜にも、第九が祝典曲として演奏されています。

平和の祭典であるオリンピックでも第九が演奏されています。1998年の長野オリンピックの開会式で、国連本部を含む世界の5大陸・7か所を繋いだ第九演奏が行われ、平和への祈りが世界中に放送されました。

第九第4楽章の訳詞紹介

フロイデ! シェーネルゲッテルフンケン……
第九第4楽章の有名な歌詞ですが、音の響きだけは何となく覚えていても、正直、どんな意味のことを歌っているのか分かりません。詳しいかたはご存じだと思いますが、私と同じようなかたも多いはず。

そこで、第九のキーポイントとなっている歌詞の前半部分を日本語訳で見ていこうと思います。(完全な対訳ではなく、文脈を重視した意訳としています)

おお友よ! このような音楽ではない
もっと心地よく、もっと喜びに満ちあふれた歌を歌おう

喜びよ! 神々の美しい霊感よ、天上の楽園エーリュシオンの乙女よ!
我々は炎の陶酔をもって、その天の聖域に足を踏み入れる

あなたの魔力(霊力)によって、時代に引き裂かれたものも再び結ばれ
あなたの穏やかで柔らかな翼のもとに全ての人々が兄弟となる

偉大な成功を成し遂げた者よ
一人の友の友となり
愛らしき妻を得た者よ
ともに歓喜の声を上げよ

そう、この地上にただ一人であろうとも
己を大切にすべきと信じられる者も声を合わせよ

しかしそれができぬ者は
涙ながらにこの輪より立ち去るがよい

……

どうして板東俘虜収容所のドイツ兵たちが敵地にありながらこの曲を演奏したのか、どうして東日本大震災の復興演奏会の曲に選ばれたのか、ベルリンの壁崩壊の時に歌われたのか、この前半部分を読むととてもよく分かる気がします。そしてこれが学徒出陣の壮行会、戦没者追悼として演奏された、その心中を思うとやりきれなくなってきます。

大いなる人間讃歌と平和への切なる祈り、第九は次の年の幸福を祈る、年末にふさわしい曲だったのですね。

ベートーヴェンは聞こえなくなった耳で第九を作曲した

「第九」を作曲したのは、ドイツの古典派を代表する作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです。「運命」や「田園」、「エリーゼのために」など日本でもよく耳にする名曲を多数書き、ブラームスやワーグナーはじめ後世に大きな影響を与えた「楽聖」です。

1770年に生まれ、1827年に58歳で亡くなり、日本史の区分でいう江戸中期~後期にあたる時代を生きました。貴族の雇われ音楽家を脱却し、芸術家としての立場を確立した初めての音楽家でもあります。同じ時代を生きた作曲家は、ハイドン、モーツァルト、シューベルトら。

来年2020年はベートーヴェン生誕250年にあたり、国内でもベートーヴェンの演奏会が多数企画されています。

第九の正式名称は「交響曲第9番 ニ短調 作品125」で、有名な合唱の部分は、一番最後の第4楽章です。1824年の初演時には、ベートーヴェンはすでに重度の難聴であり、演奏終了とともに湧き起こった聴衆の大歓声にも気付かなかったといいます。ソロ歌手の1人がベートーヴェンの手を取って振り向かせ、ベートーヴェンはそこでようやく熱狂する聴衆を目にしたという逸話が残っています。

第九に参加して健康になろう!

歌うことが健康によい効果を与える、という研究があるそうです。大きな声を出すことによるストレス軽減、免疫力の向上、運動効果による睡眠改善・内蔵機能向上、肺活量の向上、血圧安定、精神安定など、また、合唱であれば周囲と協力することで初めて生まれるハーモニーの快感を味わうことができるといいます。

第九は、誰でも参加可能として毎年メンバーを募集している合唱団も多いので、ぜひ第九の合唱で年末を楽しんでみませんか?

▼ベートーヴェンについてもっと知るなら! 和樂webおすすめ書籍
音楽家の伝記 はじめに読む1冊 ベートーヴェン