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Culture
2020.02.14

離婚率世界No.1だった?江戸時代の結婚と離婚にまつわる驚きのデータ

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いつの時代も、結婚や離婚のニュースでメディアは持ちきり。令和元年は「南海キャンディーズ」の山里亮太さんと女優・蒼井優さんの結婚が世間を賑わし、年末には、「FUJIWARA」の藤本敏史さんとタレント・木下優樹菜さんの離婚のニュースが飛び込んできました。一大ライフイベントである、結婚と離婚。江戸時代のデータをのぞいてみると、驚きの連続でした!

恋愛と結婚は別モノだった

「江戸時代の結婚は、自由じゃなかったんでしょう?」そのイメージは、ほぼ正解です。「婚姻」は対等の家柄の中から相手を選ぶため、男女の意思よりも、親の意思に左右されるイベントでした。当時も「お見合い」は存在していましたが、現代の出会いの場的な役割ではなく、最終的な意思確認の場としての役割が強かったようです。
ちなみに「嫁入り」「婿入り」という言葉に代表されるように、配偶者が家に入ることを意味するため、新たな世帯ができるわけではありません。そのため、武家を除くと婚姻届のような特定の書類もなかったんだとか。

夫婦共働きは珍しくなかった

意外だったのは、働き方に関するデータです。江戸時代は、男性中心社会ではありましたが、女性もバリバリ働いていたんだそう。もちろん、夫婦共働きの家も珍しくありませんでした。乳母(現代でいうベビーシッター)や、蚕を育てる仕事、織物をつくる仕事、ごはんをつくる仕事など、さまざまな職業があり、女性はそれぞれの仕事を着実に務めあげることで、社会の根底と家計を支えていました。

離婚率は世界屈指だった

さらに驚くべき点は、江戸時代の離婚率。その数字は4.8%(※)と非常に高い割合を示しています。2010年代の離婚率が約1.8%で、世界の離婚率No.1のロシアの数字が4.5%であることから、当時の江戸時代は非常に高い離婚率だったことがうかがえるのです。

※2006年参議院調査局第三特別調査室「歴史的に見た日本の人口と家族」より

また江戸時代の離婚といえば「女性がお寺に駆け込む…」なんて場面を想像しがちですが、実際はもっと現代的な制度がありました。仲介人が夫婦の間に入り、協議したうえで離婚することが多く、女性から男性に離婚を申し込むこともあったんだそうです。

また、安政3年に「おしか」という女性に宛てた「三行半(みくだりはん)」と呼ばれる離縁状には、こんな一文があります。

何方え縁付 候とも一切申分 無之候
(いずかたえ縁つきて そうろうとも一切申しぶん これなくそうろう)

この一文で女性は再婚の自由を保障され、第二の結婚生活を送る者も少なくなかったのです!

女性の約35%が再婚していた

太子堂村(現在の世田谷区)で結婚・離婚した女性たちのデータがあります。初婚の平均年齢は、女性が22.4歳。最年少で15歳、最高で38歳でした。離婚についてのデータは以下のとおり。

離婚の理由の中には「婚礼の宴席における大混乱が原因か」といった記載も。また、17人の離婚した女性のうち、再婚(復縁ふくむ)をしたのは6人。約35%が、新しいパートナーと出会っていることになります。

令和は多様性の時代。離婚・再婚は人生の選択のひとつであり、新たなスタートとして、ごく自然に受け入れられるようになってきました。実は、江戸時代も文化において非常に多様性に富んでいた時代。今回紹介した結婚にまつわるデータをはじめ、現代を生きる私たちが学ぶことも多いのです。

江戸時代、戦国時代、平安時代、縄文時代…和樂webに掲載されている歴史にまつわる記事の数々は、知らなかった日本の姿を教えてくれます! 日本の歴史や文化にふれて、多様性の時代がこれからどんなふうに展開していくのか、想像をふくらませてみてはいかがでしょう。

参考文献:小学館『ビジュアルワイド 江戸時代館』