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2020.03.10

運を良くする方法とは?コツを仏教系大学の先生に聞いてみた

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怪しいスピリチュアルや自己啓発ではありません。でも、運は自分で開くことができるんですよ。わたしは編集者・ライターとして仕事する傍らで、ずっと占いを勉強してきました。目に見えない世界を感じながら我欲に走らず生きれば、天が味方してくれると気づいてしまったからです。ヒントは「陰徳(いんとく)」。運がいい人も、なんだかパッとしない人も、紀元前にルーツのある開運法、ぜひ読んでみてください。

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いいことをすると自分に返ってくる

「いいことをすれば、巡り巡って自分にもいいことが起こる」と、体験的に知っている人もいるはず。人や世のためになるよい行いのことを「徳」といいます。徳には、人知れずいいことをする「陰徳(いんとく)」と、その逆で人が見ているところで行う「顕徳(けんとく)」があります。顕徳は陽徳(ようとく)ともいいます。

「あの人は運がいい」と思う人はいますか? その人は、あなたの見えないところできっと陰徳を積んでいて、それが巡り巡っていいことを運んできているのでしょう。

「陰徳」って誰が言いはじめたの?

中国には、「陰徳あれば陽報あり」(人知れずいいことをすれば、よい報いが現れる)ということわざがあります。また、中国の四書五経(ししょごきょう)という聖典のひとつ『易経(えききょう)』には「積善の家には余慶有り」(善行を積み重ねた家は、子孫にも幸運が及ぶ)という言葉もあります。

人の行いや幸不幸についての教えについては、さすが中国といったところ。紀元前に記された思想書『淮南子(えなんじ)』という書物に陰徳の言葉が登場します。

仏教系大学の先生に聞いてみたよ

陰徳という考え方が中国伝来ということはわかったのですが、それ以上に詳しい資料がほとんどありません。曹洞宗宗務庁に聞いたところ、「愛知学院大学にいる菅原研州(すがわら・けんしゅう)先生がお話してくれると思います」と教えてくれたので、さっそく電話してみました。

―― 陰徳という言葉はいつできたのでしょうか。

菅原先生:インドから中国に仏教が伝来し、経典を中国語に翻訳する事業がはじまった2、3世紀にはすでに陰徳という言葉が仏典にも使われ、文献に残っています。たとえば、翻訳を担当した安世高(あんせいこう)という僧侶は、「肉を食べなければ陰徳がある」といった言葉を残しています。

―― 陰徳とはどういうことですか?

菅原先生:「人目に触れずにいいことをする」というような意味で使われますが、陰徳の本来の意味は、「積極的にプラスのことをするのではなく、マイナスのことをしないことにより結果としてプラスになることを行うといったイメージです。たとえば、電車で体が悪そうな人や高齢者を見かけ席を譲るのは陰徳ではなく、顕徳です。自分がいいと思うことを積極的な行為として行うのが顕徳。陰徳は、その電車の例でいうと、「もしかしたらここに誰か座るかもしれないと思って、はじめから座らずに立っているような行い」です。陰徳の実践方法はいろいろあります。曹洞宗の永平寺の二代目となった懐奘禅師(えじょう)という、日本の鎌倉時代の禅宗僧侶は、師である道元禅師の言葉を記録した『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』という書物で、「人知れず仏様を拝むことが陰徳である」といったことを記しています。

その考え方は宗教なのか、道徳か?

最近は怪しいスピリチュアルや自己啓発が流行っていて、陰徳もそうした文脈で語られることもあるようですが、どうやらそういうものではないらしい。では、道教や儒教などの中国哲学に基づく教えなのか、仏教などの宗教の教えなのか、もうちょっと聞いてみましょう。

―― 陰徳とは宗教的な教えなのでしょうか。

菅原先生:「陰徳あれば必ず陽報あり」は、『淮南子』の言葉です。『淮南子』は、それまでの中国にあった思想をまとめた書物であり、道教系の文献に位置づけられています。ざっくりとした枠組みでいえば宗教的なものではありません。道教は基本的に物事をひねくれてとらえる立場であり、「こっそりといいことをすれば必ずいいことがありますよ」というのは道教的な価値観です。これに対して儒教は「いいことをすればいいことがありますよ」と、ひねりなく説きます。中国の人たちにとって、徳の実践は道徳の延長にあるものです。いいことは、宗教であろうと道徳であろうと、人としての善悪判断で行うものです。

―― 「積善の家には余慶あり」と、陰徳は違う世界観ですか?

菅原先生:これは「善行を積み重ねた家は、子孫まで幸運が及ぶ」と教えるものです。「いいことをした結果、さらにいいことがある」という意味なので、どちらかというと儒教的な価値観ですね。『易経』にも出てきますが、易経も儒教の中に位置づけられる書物です。「陰徳陽報」とは似ているようで違う価値観を説いており、正反対というか斜めぐらいの位置にある考え方です。

あなたの運がイマイチなのはもしかして…

よく聞く陰徳ってなんだろうというちょっとした好奇心から、思いがけず深い哲学世界に足を踏み入れてしまいました。いやはや、難解な価値観です。もうちょっと現生利益的なことを聞いてみましょうか。

―― 先生の言葉で、運をよくするコツや心がけを教えてください。

菅原先生:私は日本の曹洞宗を開いた道元禅師の研究をしています。道元禅師が書いた文献の中に、弓矢で的を当てる場面を描いた記述があり、「百不当(ひゃくふとう)」というものです。道元禅師は「100回放っても的には当たらない」と言っているんです。ところが、1回当たったときは「過去に100回失敗したことによって1回の成功が生まれた」と言います。これを今どきの言葉へ直すと、「宝くじは買っても当たらない。だけど買わなきゃ当たらない。我々の努力は結果を目指してやらなきゃいけないものだけど、結果は基本的に出ないもの。ところが、結果が出たときは、それまでの無駄だと思われた努力の結果である」といったところでしょうか。

この言葉をどのように受け取り、実践していくかはあなた次第。長年、易占を行っている筆者からは、「自分の行いをよくすると世界への働きかけが変わり、運気も好転する」ということを申し添えます。陰徳の延長で語られる「素手でトイレ掃除」なんてのはインチキでしなかく、世のため人のためのよい行いにより運は貯金され、人生においてきちんと報いてくるんですよ。

◆取材協力=菅原研州(すがわら・けんしゅう)
愛知学院大学准教授。著書に『道元禅師伝』(曹洞宗宗務庁)、『ねこ禅』(KADOKAWA)がある。実家である城国寺(宮城県栗原市)で坐禅会(下写真)も行っている。

書いた人

出版社勤務後、編プロ「ミトシロ書房」創業。著書に『入りにくいけど素敵な店』『似ている動物「見分け方」事典』など。民謡、盆踊り、俗信、食文化など、人の営みや祈りを感じさせるものが好き。四柱推命・易占を行い、わりと当たる。