「姫、そんなことをなさっても良いのですか!?」
見ている私達がびっくりするようなことを、平気な顔でやりとげてしまう可憐で美しいお姫様・桜姫。
そんな桜姫の様子は、まるでお嬢様学校に通う大人しそうな美少女が、マッチョなごろつきでゲスなダメ男に引っかかり、「これが本当の恋なの」と信じ込んで一途に恋する姿と似ているかもかもしれません。
四世鶴屋南北(つるや なんぼく)原作の歌舞伎作品には、現代の私達の想像を超えた行動をする人物が次々と登場しますが、今回ご案内する「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」では、タイトルロールの桜姫が先頭を切って自分の心のままに行動し、時には、舞台の他の登場人物だけではなく、舞台を観ている私達さえも混乱させてしまうのです!
「桜姫東文章」とは?
「桜姫東文章」は、奇想天外な趣向やブラック・ユーモアの中に、人間の本質を鋭くえぐった南北の作品の一つで、とりわけ近代以降に高く評価されている作品です。
「桜姫東文章」は、文化14(1817)年3月、江戸・河原崎座で初演されましたが、それ以降、長らく上演されませんでした。
昭和42(1967)年3月、国立劇場で郡司正勝の補綴・演出により、初めて作品のほぼ全容を見せる通しで上演され、以降はこの時の台本が下敷きになっています。
すべてを奪われ、出家を選んだ桜姫
公家・吉田家の息女桜姫は17歳。可憐で美しい姿の裏には、様々な苦悩と秘密がありました。
桜姫は、生まれつき左手が開きません。入間悪五郎という婚約者がいましたが、桜姫の左手が生まれつき開かないという疵(きず)を理由に、婚約を破棄されてしまいます。
また、父・少将惟貞(しょうしょうこれさだ)は何者かに暗殺され、家宝「都鳥の一巻」も奪われてしまいます。さらに、家宝を探す旅に出た弟・梅若丸も、悪党に殺されてしまったのです!
世をはかなんで出家しようと長谷寺を訪れた桜姫。剃髪を願った桜姫に、長谷寺の高僧清玄が祈祷をほどこすと、姫の手が開き、その手から清玄の名が記された香箱の蓋が落ちます。
しかし、左手が開いても、桜姫の出家の意志は変わりません。
剃髪の準備が進む中、悪五郎は、桜姫とよりを戻そうと手紙を送ることにします。実は、悪五郎こそ吉田家の横領を企て、少将惟貞を殺し、家宝を奪うという悪事を仕掛けた黒幕でした。
その手紙の使いを買って出たのが釣鐘権助(つりがねごんすけ)。1年余り前の夜、権助は「都鳥の一巻」を奪った実行犯でした。権助がしたのはそれだけではなく、暗闇の中のどさくさに紛れて、桜姫を強姦したのです!
家宝を奪ったマッチョ男に、まさかのベタ惚れ
桜姫は、自分を強姦して逃げた、野性味あふれるマッチョな男の肌を忘れられることができず、顔も名前も知らない男に恋い焦がれてしまいます。逃げる時に男の腕にちらりと見えた桜に釣鐘の刺青を自分の腕にも同じ絵柄を彫りつけ、その一夜で妊った子どもを密かに産んでいました。
悪五郎の手紙を持って現れた権助と再会した桜姫は、自分の操を奪った男が権助であることを知り、うれしくて権助にしがみつく桜姫。世を捨てるはずが、恋する男に再会して、桜姫は大胆な行動に出たのです。
そこに悪五郎がやってきて、慌てて逃亡する権助。香箱に記された名から、桜姫の相手は清玄だと決めつけられ、桜姫と清玄は不義の罪で追放されてしまします。
桜姫と清玄の二人の運命は…。
好きなタイプは野性味あふれる自由人
それでは、桜姫を魅きつけた権助という男の魅力は何だったのでしょうか?
一夜の契りで子どもが生まれたという事情もあるかもしれませんが、桜姫は、何よりも、権助というの男の原始的な野性味に魅かれたように思われます。桜姫には、野性的な自由な生き方に憧れる性質を持っていて、上流社会にはなじまない荒々しい血が流れていて、周りにいる「体面が何よりも大事」という上流社会の男には物足りなさを感じていたのかもしれません。
そして桜姫は、思いがけず再会した権助の女となり、彼に言われるまま、下層女郎にまで身を落とします。
17年前に亡くなった稚児の生まれ変わりだった!?
桜姫は、吉田家の息女ですが、実は、17年前に清玄と心中した稚児・白菊丸の生まれ変わりだったのです!
長谷寺の所化清玄と相承院の稚児白菊丸は相愛の仲で、未来で夫婦になろうと寺を出奔し、稚児が淵までやってきました。お互いの名を記した起請代わりの香箱(こうばこ)の蓋(ふた)を白菊丸、身を清玄が持ち、白菊丸は左手に蓋を握りしめて、断崖から先に海に飛び込みました。後を追って海に飛び込むはずの清玄は、怖気づいて躊躇し、死に遅れてしまいました。
「白菊やぁい」と迷子をさがす声が遠く聞こえてくる中、放心する清玄。その時、一羽の白鷺がスイと飛び立ったのでした。
桜姫の手からこぼれ落ちた香箱の蓋から、清玄は、桜姫が17年前に心中しようとした白菊丸の生まれ変わりであると知りました。
その因果を知った清玄は、責任感から女犯の罪をかぶり、やがて桜姫を追い求める執着の鬼となります。清玄には、観念に支配されたインテリの弱さが見て取れますが、もしかしたら、清玄は「マジメ男」と言えるかもしれません。
幽霊になっても桜姫につきまとう清玄
桜姫が白菊丸の生まれ変わりと知り、落ちぶれてもなお異常な執着を持ってストーカーのように桜姫を追い続ける清玄。さまよい歩いた二人が巡り会うのが「岩淵庵室」。
桜姫に「思い切って欲しい」と言われた清玄は逆上して出刃をふりかざしますが、その出刃が喉にささり、死んでしまいます。そして、殺された後も、幽霊となって、桜姫を執拗に追い回すのです。
幽霊になっても、ストーカーのように桜姫につきまとう清玄。
桜姫にしてみれば、自分が白菊丸の生まれ変わりとは思ってもいないこと。清玄に追いかけられるのは不快なことでした。幽霊にストーキングされたら震え上がるのが普通ですが、そこは桜姫、
コレ、ゆうれいさん。イヤサそこへ来ている清玄のゆうれいどの。付まとう程な性(しょう)あらば、ちつとは聞き分けたがいゝわな。みづからが先々をくらがへするも、そなたの死霊が付まとうゆへ、なじみの客まで遠くなるわな。……
夜が明るよ。ゆうれいが朝直しでもあるまいサ。消へな。帰りな。
と、しつこく現れる清玄の幽霊に、習い覚えた安女郎の乱暴な言葉をまぜこぜにして悪態をつくのでした。
枕辺に清玄の幽霊が現れ、恨みを述べても桜姫はびくともしません。客は怖がりますが、彼女は一向に平気です。桜姫にとっては、自分が白菊丸の生れ替わりであるということは何の意味も持たず、彼女の人生を縛る理由にはならないのです。
お姫言葉が売り!人気女郎としてのし上がる
権助は、女房にした桜姫を「まずは下層の暮らしを仕込まねば」と、千住の女郎屋に売ってしまいます。
桜姫は腕にある小さな釣鐘の刺青とお姫様言葉を使うことから、「風鈴お姫」の異名を持つ人気の女郎になります。ところが、その姫の枕元に清玄の幽霊が付いて回るので、客がこわがって寄りつかないと、権助の元へ帰されてきます。
帰ってきた桜姫を、権助は「一緒に寝よう」と誘いますが、
よしねへな。わつちやア 一ツ寝をする事はしみしんじついや気だ。今夜はみづからばかり寝所にいつて、仇な枕のうれいものふ、旅人寝が気さんじだよ。
と、お姫様言葉と鉄火な啖呵がちゃんぽんになったセリフで権助に言い返す桜姫の様子は、とてもユニークです。
さらには、
アレ アノ女はどつからつれて来たのだ。これ、口広いこたつが、ぬしの下タ歯と極つた女子(おなご)はみづからより外、この日の本に二人とあつていゝものかな。
と、ちょっと焼きもちを焼くかわいらしい一面も持ち合わせてます。
桜姫は、悪党の権助さえ手を焼くほどの、みごとなあばずれ女に変身したのです。桜姫は堕落して落ちぶれていくほど自由になり、そして、強くなっていきます。
明かされた真実。桜姫のとったまさかの行動とは…
桜姫は、自分につきまとう清玄の幽霊から、権助は清玄の実弟で、「信夫の惣太(しのぶのそうた)」と言う盗賊なのだと聞かされます。
一方、権助は本質的に卑しい男でした。権助は次第に安定した生活に慣れ、町の寄り合いで百善の仕出しを喜ぶ男になっていきました。当然、過去も未来もないという野性味はなくなっていきます。
権助は、酔った勢いで、桜姫の父を殺して家宝「都鳥の一巻」を奪った旧悪をつい桜姫に話してしまいます。桜姫は、権助が吉田家を崩壊させた張本人だと知ると、権助と二人の間にできた子どもを殺します。
吉田家の家宝「都鳥の一巻」を取り戻した桜姫は、お家再興の願いがかない、元の姫君に戻りました。
表面的には、桜姫は親の敵討をしたことになりますが、実は、彼女は並の男になってしまった権助との生活をすべて抹殺することで、新しい世界に飛び立つ決心をしたのかもしれません。
作者の四世鶴屋南北とは?
四世鶴屋南北は、江戸・日本橋の染物職人の子として生まれました。
生来の芝居好きのため狂言作者を志し、初世桜田治助に入門し、26歳で歌舞伎役者・三代目鶴屋南北の娘と結婚。長い下積み生活を経て、享和3(1803)年、49歳で立作者になりました。以後25年間で、江戸後期の刹那的・退廃的な世相を巧みにとらえた、残忍で卑猥かつ滑稽な現実ものある作品を120篇書き、「大南北(おおなんぼく)」と称されました。
「風鈴お姫」には、モデルがいた?
南北の「桜姫東文章」の面白さは、何といっても公家のお姫様である桜姫が、権助のために宿場女郎「風鈴お姫」に身を落とすところにありますが、実は、風鈴お姫のモデルとなった女性がいたのです!
その女性は、品川の宿場女郎の琴こと、京都の公卿日野大納言資枝(ひのだいなごんすけき)の息女右衛門姫(えもんひめ)。宿場女郎が、実は公家のお姫様であったという噂話は、江戸中で大きな話題となりました。
文化3(1806)年、ついに奉行所で取り調べが行われることになりました。琴は、歌の修行のために諸国を遍歴した旨を白洲で申し立てましたが、なぜ宿場女郎に身を持ち崩したかという点については不明で、更なる噂が持ち上がりました。
奉行所は、念のため、日野家にお伺いを立てたところ、「そのような息女はいない」との返答があり、翌年、琴は日野家のお姫様を詐称した偽者ということで、追放の刑に処されます。その後、琴がどうなったかは不明ですが、江戸の町を騒がせた風聞を、鶴屋南北は、早速その話題を盛り込んで、彼女を吉田家の息女桜姫とし、美貌の女形・五世岩井半四郎にあて、「桜姫東文章」を書きあげたのです!
初演時に桜姫を演じた名女形・五世岩井半四郎
初演時は、江戸後期最高の名女形・五世岩井半四郎が42歳で桜姫を、七世市川團十郎が弱冠26歳で清玄と権助という対照的な二役を演じました。
岩井半四郎は、『役者評判記』の例外的な最高位「無類」にまで昇りつめ、女形として初めて座頭格の扱いを与えられた、この時代を代表する歌舞伎役者です。女形は上方系が第一とされてきた伝統の中で、江戸っ子の役者として大成した彼は、世の道徳観を気風(きっぷ)良く踏みにじる新時代の女性「悪婆(あくば)」を歌舞伎の主人公として作っていきます。もちろん、桜姫にもこの悪婆の要素が注ぎ込まれました。
強く、妖しく、美しい女。その名は「悪婆」
歌舞伎には、「悪婆」と呼ばれる役があります。
「婆」という字が入っていますが、まだ若く、そして美しくて可愛い女性の役です。「婆」という字は、もしかしたら、「お転婆娘」をイメージするのが良いかもしれません。
悪婆の魅力は、スカッとした気性にあります。悪知恵に富み、人をだますのが得意ですが、ベタベタして男をたらし込んだり、やさしいふりをして同性をいじめたりするような悪ではなく、ジトジトとした悪とは無縁なのが悪婆の特徴とも言えます。悪婆は、善人のふりはせず、悪人とみられることを潔く受け入れ、時には男勝りにすごんで見せることも。
乱暴な言葉遣いをし、粗暴なパフォーマンスは、上っ面な気どりを鼻で笑い飛ばすような爽快感さえあります。そして、そこからこぼれ落ちる不思議な色気と可憐さ。悪婆は、男勝りであることが女性としての魅力にもなっている、超江戸的でかつ超現代的な、素敵な女性だと言えます。
粋で奔放でモテる。それでいて、ちょっと悪の匂いもするし、頭もいい自立した女性、それが悪婆なのです!
「自分にはできないけれど、あんなに自由奔放に生きられたらいいな。素敵だな」という、江戸の庶民の女性達の羨望が悪婆という役を作り上げたのかもしれません。
「心のままに生きたい」と願ったお姫様・桜姫の魅力
桜姫は、運命に翻弄され、流転の人生を歩んだように見えます。
実は、彼女は、階級社会、身分社会を超えて
「心のままに生きたいの! 」
と行動し、本能的に求めた自由な人生を生きた極めて現代的な女性であり、可憐で美しいだけではなく、非常にタフなお姫様だったのかもしれません。
主な参考文献
- 桜姫東文章(歌舞伎on the web)
- 『演劇界』 66巻11号 2008年11月 巻頭特集「歌舞伎のヒロインたち」
- 『演劇界』 62巻11号 2004年8月 特集「桜姫東文章の魅力」
- 『桜姫 2009渋谷・コクーン歌舞伎』 松竹、東急文化村 2009年7月
- 『桜姫 2005渋谷・コクーン歌舞伎』 松竹、東急文化村 2005年6月