小説や時代劇・漫画・アニメで大人気の新選組。中でも、特にファンの多い隊士の1人が沖田総司(おきたそうじ)です。
そして、沖田総司のイメージと切り離せないのが、労咳(ろうがい)、現在の肺結核ではないでしょうか。
剣術の才能にあふれ、常に新選組の重要なポジションを任せられていた沖田総司を襲った労咳とは、どのようなものだったのでしょう?
沖田総司ってこんな人
まずは、沖田総司についてざっくりと。
幕末の天保13(1842)年(天保15年とも)、奥州白河藩士・沖田勝次郎(異説あり)の子として江戸で生まれました。幼名は宗次郎(そうじろう)、本姓(ほんせい:家系の由緒を示す本来の姓、名字とは別)は藤原、諱(いみな:生前の実名。通常は口にされない)は春政(はるまさ)・房良(かねよし)。
9歳で天然理心流(てんねんりしんりゅう)宗家の道場に入門すると、天才的な剣術の腕前を見せ、若くして免許皆伝となって塾頭に取り立てられました。後に新選組の局長となる近藤勇の弟弟子です。
その後、新選組の中核メンバーとして活躍しましたが、慶応3(1867)年ごろから肺結核の症状が悪化、江戸に戻ったのち、慶応4(1868)年5月30日に千駄ケ谷で亡くなりました。享年27(25とも)。
新選組時代には、色黒長身の猫背でいつも笑顔を絶やさず、冗談ばかり言って子供と遊んでいるような人柄だったと伝わりますが、江戸で塾頭をしていたころには、荒っぽい稽古ですぐ怒る、と恐れられていたようです。
元治元(1864)年の池田屋事件で戦闘している最中に、喀血して昏倒する、というシーンが有名ですが、実際は熱中症のようなものだったらしく、症状が酷くなりはじめたのは慶応3(1867)年の秋~冬ごろではないか、と言われています。
労咳(肺結核)って?
結核は、結核菌によって引き起こされる感染症で、菌に冒された箇所によって、肺結核・腸結核・腎結核・結核性髄膜炎などと呼び分けられています。
肺結核と人類の戦いは非常に古く、平安時代の『枕草子』や『源氏物語』にもその様子が描かれています。20世紀なかばに治療薬が発見されるまで、長きにわたって死病と恐れられており、高杉晋作・樋口一葉・正岡子規・森鷗外・竹久夢二・中原中也らも肺結核で亡くなりました。
また、芸能人が感染して入院を余儀なくされたニュースにもあるように、現代でも肺結核は過去の病気ではありません。
結核で恐ろしいのは、症状が現れるまでに時間がかかり、いつ感染したのか分からないまま感染を広げていってしまうこと。患者の痰、咳、くしゃみ、唾などによる空気感染が経路として知られており、適切な治療を開始しないと、発病者の約半数が死亡するとされます。全身のだるさ、37度台の微熱、食欲不振や体重減少、寝汗など、風邪などのような症状で始まることも多いため、注意が必要な感染症です。
江戸時代には、黒猫を飼育すると労咳(結核)が治る、と信じられていました。
土方歳三も肺結核にかかっていた?
新選組副長・土方歳三も、肺結核に罹患したのでは、と言われることがあります。土方自身がこの病で亡くなることはありませんでしたが、土方の両親は肺結核によってこの世を去りました。
ストレスや栄養不足などによって免疫力が低下すると、感染症全般にかかりやすくなります。自宅内でもできるストレス解消法を見つけ、充分に栄養と休養をとって、難局を乗り切りたいですね。