猛暑の夏、冷たいものが恋しくなりますね。岐阜県の大垣市には、真夏ならではの涼菓があります。それは水まんじゅう。和菓子屋さんの店先で、お猪口(ちょこ)に入った水まんじゅうが流水に浸されていくつも並んでいる様子はとても涼し気。暑がりの私は、思わず水まんじゅうになりたくなります。
白くぽってりした半透明の生地に小豆のこし餡(あん)が透けて見える水まんじゅうはプルンとした弾力があり、ツルンとした喉越しが快感! 夏になると水まんじゅうは大垣市内はもとより近隣の多くの和菓子店で販売され、近年は水まんじゅうにかき氷をかけた「水まん氷」や、従来の小豆餡以外のカラフルな餡も登場し、新しい大垣の夏の味になっています。
ところが平成6(1994)年、大垣の和菓子屋を震撼させる事件が勃発。大手製パン業者が「水まんじゅう」の商標登録を出願したことがわかったのです。水まんじゅうという名称が商標登録されてしまえば、これまでのように大垣の和菓子屋は水まんじゅうを名乗れなくなってしまいます。水まんじゅうが水まんじゅうでなくなる! さあ、青天の霹靂(へきれき)ともいえるこの事態に、大垣の人々はどのように対処したでしょうか?
水まんじゅうは地域の食文化。果たして文化は商標登録できるのでしょうか。大垣市郭町にある老舗「餅惣(もちそう)」の鳥居清(とりい きよし)さんに水まんじゅうの魅力や製法、歴史などをうかがいながら、事件についてもお尋ねしてみました。
大垣の水があったからこそ生まれた水まんじゅう
大垣は岐阜県西濃地方の中心都市。昔から“水都(すいと)”と呼ばれてきました。なぜなら昔から市内のあちこちで湧水(ゆうすい)や自噴井(じふんせい)と呼ばれるものが見られ、良質の地下水に恵まれて来たからです。湧水とは地下から自然に湧き出てくる水のこと。自噴井とは人工的に掘ったものではなく自然に水が湧き出してくる井戸であり、広い意味では湧水と同じです。大垣市のHPには「わくわく湧き水マップ」が紹介されています。
もっちり、プルンの秘密は葛粉とわらび粉
「餅惣」の鳥居さんにお願いして、さっそく水まんじゅうづくりを見せていただきました。
材料は葛粉(くずこ)とわらび粉、黒餡、砂糖、そして大垣の水。ほかの地域でもこの時期「葛まんじゅう」と呼ばれる和菓子が発売されていますが、水まんじゅうとは似て非なるもののようです。葛粉だけでなく、わらび粉を入れるのが大垣の水まんじゅうの特徴。わらび粉を加えることで耐水性が増すのだそう。
葛粉とわらび粉を大垣の水で練り、砂糖を加えて、火にかけながら機械でよく練ります。
砂糖が溶けて、半透明の状態になったことを“半返し”と呼んでいるそう。こうなったら弱火にしてしゃもじでかき混ぜます。
お猪口に生地→餡→生地の順番に流し込み、お猪口ごと蒸し上げます。すると生地が透明になります。これを“(葛の)本返し”といいます。返るというのは、葛本来の姿に戻るということでしょうか?
できたてほやほやの水まんじゅう! 蒸しあがったばかりの水まんじゅうは、葛湯のような状態になっていてお猪口から抜けません。そのため40~50分ほど放冷し、固まるのを待ってからいただきます。葛にもほんのり甘みがあって、弾力のある生地の食感がたまりません。餡子も上品で、生地と一緒に口の中で溶けていきます。
「餅惣」の裏にはポンプアップ式の井戸があり、常に蛇口からは新鮮な地下水が流れていました。これぞ、まさに源井かけ流し! 和菓子づくりに大垣の水は欠かせません。
天然の冷蔵庫“井戸舟”で冷やして食べた庶民のお菓子・水まんじゅう
ところで、大垣ではいつ頃から水まんじゅうが作られるようになったのでしょうか。
水まんじゅうの起こりには諸説あり、「大垣市史」には
明治三〇年前後、大垣市俵町(たわらまち)の菓子屋上田屋文七(うえだや ぶんひち)である。 初出「美濃民俗一二三号」
と、書かれていますが、どうもはっきりしないようです。
豊富な地下水に恵まれていた大垣ではどこの家にも自噴井(じふんせい)があり、井戸舟(いどぶね)と呼ばれる水槽がありました。井戸舟は地下水を溜めておくための水槽で、2槽または3槽になっていて、飲み水や食器洗いのほか、スイカやトマト、キュウリなどを冷やすのに使われていた天然の冷蔵庫のようなものでした。鳥居さんが伝え聞いたところによると、昔、水まんじゅうは和菓子屋以外にも、こうした井戸舟が常時店先に設(しつら)えてあった餅屋や駄菓子屋、麩(ふ)屋などでも製造販売されていたとのこと。「そもそもは真夏に手軽に作って冷やして食べられる庶民感覚のお菓子だったのではないでしょうか」と、鳥居さん。夏の暑い日、大垣の駅で乗り継ぎの汽車を待つ間、人々は冷たい水まんじゅうを買い求めて店まで出かけたそうです。
お猪口で固めるようになったのも、人々の生活の知恵。「今はパックに入れてお持ち帰りいただいてますが、昔はそんなものはなかったので、お猪口に入れたままの状態で持ち帰っていただいていました。食べ終わったら器を洗って返しにきていただいていたようです」昔、私はお猪口ごと買えるものと思っていました。ハズカシイ…
鳥居さんに昔の写真を、見せていただきました。
大垣城の城門前に建つ老舗「餅惣」
「餅惣」の創業は江戸時代末期の文久2(1862)年。3代目が大垣の名水に因(ちな)んで葛饅頭(くずまんじゅう)の製法に改良を加えて水まんじゅうを作ったとされます。平成10(1998)年に「第23回 全国菓子大博覧会」で、「餅惣」の水まんじゅうは名誉総裁賞を受賞しました。
商標登録をも退けた大垣の“水まんじゅう愛”が熱い
大垣には和菓子屋はとても多く、水まんじゅうを作っている店は20軒ほどあるようです。葛粉とわらび粉の割合、大きさは店によって異なりますが、どこかが独占して「水まんじゅう」という名称を使うことはありませんでした。ところが平成7(1995)年、大垣中の和菓子屋がビックリする出来事が起こったのです。それが水まんじゅうの商標登録事件でした。
「ちょっと待って! 商標登録ってなに?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。商標登録とは自分の商品やサービスと他人のそれらを区別するために使用する事業者のマークをいい、商標登録することによって、自分の商標登録を使っている人、あるいは似たような商標登録をしている人に「使うな」といえるのです。
つまり、どこかの会社が「水まんじゅう」を商標登録すれば、それ以外の所は水まんじゅうを名乗れなくなってしまうのです!!
そんなバカな! 同業者の間に激震が走りました。
さあ、大垣の和菓子店はどうしたでしょう?
「実は大垣には『大垣菓子業同盟会』という団体があります。これはお菓子を対象とした菓子税に反対し、明治18年に設立された同業者の組合です。これによって、大垣の和菓子業者は「同業相和」の精神のもと、一致団結してきたという経緯があります。そこで、同盟会では水まんじゅうの商標登録出願に対して特許庁に異議申し立てを行い、『商標対策委員会」が中心となって『水まんじゅうは普通名称である』と証明をするために、市内の方々に呼び掛けて古い資料を集め始めました」と鳥居さん。
商標登録を出願しても、「自己と他人の商品・役務(サービス)とを区別することができないもの」は登録ができません。つまり、水まんじゅうが普通名称であることが証明できれば、商標登録はできないことになります。
この呼びかけによって、たいへん多くの資料が市民から寄せられました。中には80年前に水まんじゅうの容器として製造された器数千点や大正末期と思われる宣伝チラシなどもあったとのこと。
「水まんじゅうは大垣の水から誕生した和菓子。なくならないように頑張って」とする激励の手紙も来たそうです。
こうした多くの人々の熱意と励ましの結果、平成7(1995)年8月29日出願は却下され、水まんじゅうはこれまで通り、大垣の水から生まれた食文化の一つとして長く歴史に名前を残すこととなりました。
伊勢は「赤福氷」、大垣は「水まん氷」
真夏のこの時期、「餅惣」では水まんじゅうだけでなく、水まんじゅうに氷と蜜をかけた「水まん氷」が販売され、人気を呼んでいます。氷の中から水まんじゅうが顔を出し、甘い蜜とともにいただくのはまさに至福! それにしても和菓子屋なのに、かき氷って?!
「実はうちには餅・赤飯・和菓子・氷販売という四つの屋台骨がありまして、昔から問屋として氷を扱っていたんです」と、鳥居さん。話題の水まん氷は先代である父の良治(よしはる)さんが、お得意さんや知り合いの方へのサービス精神で始めたものだそう。「水まんじゅうをテイクアウトする際には、お猪口から出したものをパックに入れて持ち帰り、用意しておいた氷水にいれて冷やして食べるのが大垣の水まんじゅうのスタイルなんですが、父は、『それなら初めから水まんじゅうに氷を入れて持って帰りゃあ』ということにしたんです。そうすればうちに帰ってわざわざ冷やさなくても、すぐに食べられますから」
これがウケて、それなら店でも同じスタイルで出そうかということになったのだそう。「赤福氷」に似ていますが、「発売当時はSNSもありませんでしたし、赤福氷というものがあることも知りませんでした」とのこと。
水まん氷は今では水まんじゅうとともに、大垣のスタンダードになっています。
水まんじゅうをおいしく食べるコツは、冷蔵庫に入れず、氷水でキンキンに冷やして食べる
「水まんじゅうは冷蔵庫には入れず、氷水でキンキンに冷やして食べてくださいね」と、鳥居さん。冷蔵庫のない時代に考え出された水まんじゅうは、自然に近い状態で食べるのが一番おいしいそうです。名物は、その土地の風土をリスペクトしながらいただくのが、最もおいしく食べられるコツかもしれません。
大垣市内には水まんじゅうを製造・販売しているお店がいくつもあります。ぜひ、食べ比べてみてはいかがでしょうか?
水まんじゅうは毎年4月中旬から9月中旬まで販売されているそうです。
【取材・撮影協力】
餅惣 大垣市郭町1-61 TEL:0584-78-3226