2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で、斎藤道三と息子・高政の父子対決の舞台となった場所、長良川。川を見下ろすようにそびえている標高329mの金華山、その山頂には織田信長ゆかりの岐阜城が建っています。信長は長良川で行われる鵜飼を好み、岐阜を訪れた大切な客人を鵜飼観覧でもてなしました。
日本のほぼ真ん中にある岐阜県は、愛知・三重・滋賀・福井・石川・富山・長野の7県に囲まれた海なし県。木曽三川(きそさんせん)と呼ばれる3本の大河(東から木曽川・長良川・揖斐川)のうち岐阜市内を流れる長良川は、静岡県の柿田川、高知県の四万十川と並んで日本三大清流の一つに数えられています。
そんな長良川を中心とした「清流長良川の鮎(里川における人と鮎のつながり)」が平成27(2015)年に「世界農業遺産」に認定されました。
長良川流域には鮎が住める清流を守り、多種多様な生き物が暮らせる自然環境の保護や維持に努めてきた歴史があります。長良川の鮎を守ることは流域に残る文化や景観、生態系豊かな自然や土地、そして伝統的な農林水産業を未来へと引き継いでいくことにほかなりません。この記事では清流長良川の鮎を中心に、長良川の清流の秘密や流域の人々の暮らしについてご紹介します。
難しいことは抜きにして長良川の鮎にかぶりつけ!
長年、岐阜の町と長良川流域の活性化に取り組み、「長良川おんぱく」の事務局を務めて来たNPO法人「ORGAN」の蒲勇介(かば ゆうすけ)さんに、岐阜でしか味わえない鮎料理の名店を案内していただきました。
日本一(?)の鮎の塩焼きを、頭からガブリ!
長良川の川湊があり、問屋町として発展してきた岐阜市川原町は、昔ながらの街並みが残るエリアとして、近年若い人たちに人気です。岐阜の伝統的な工芸品やクラフト作家たちの手仕事が並ぶ「長良川デパート」や、「食堂こより」のような古民家を利活用した趣きのあるカフェなど、注目スポットがどんどん増えています。そんな川原町の一角にたたずむのが、鮎料理専門店「川原町泉屋」です。
「泉屋さんの創業は明治20(1887)年。当初はイカダバエと呼ばれる小魚の佃煮や川魚の加工品、あるいは守口大根のような漬物の製造・販売を行う物産店でしたが、5代目店主の泉善七(いずみ ぜんひち)さんが平成15(2003)年、川原町に鮎料理専門店「川原町泉屋」をオープンされました。泉さんの鮎の塩焼きは日本一です!」と蒲さん。
皿の上に乗せられた鮎は、渓流を泳いでいるかのように身をくねらせています。「どうぞ、頭からかぶりついて食べてください」と蒲さん。
「え、頭からなんて……無理じゃない? 確かにしっかりと焼かれてはいるようだけど……」と半信半疑な私。それでもおすすめにしたがって、頭からガブリ!
するとどうでしょう。骨までカリカリに焼かれていて噛み締めるほどに鮎の脂がジュワッとにじみ出る。まさに釣りたての鮎を川原で焼いて食べているかのような、野趣あふれるおいしさです。残すところなく、きれいにいただきました。岐阜県に生まれ育って何度か鮎を口にしている私ですが、鮎に対する認識が変わったかも!
ワインが進む!魅惑の発酵×鮎料理!
続いて出てきたのは、鮎の発酵食「熟(な)れ鮨」。実は、泉さんは長良川伝統の鮎の熟れ鮨のあり方に革命を起こした、”中興の祖”ともいえる方。鮨(寿司)というと酢飯を使った巻き寿司や稲荷寿司、握り鮨などを思い浮かべると思いますが、最も古い形の鮨は熟れ鮨といって酢を使わず、魚をご飯につけて乳酸発酵させたものです。
泉さんは鮎の新しい食べ方として、元々あった岐阜の鮎の熟れ鮨をさらに進化させ、味の深さを追求しようと試みたんだそう。「岐阜の熟れ鮨は秋の落ち鮎のオスを用い、内臓をとったものを1ヶ月程度漬け込む酸味の強い”早熟れ”。特殊性が強く、一般にも知られていませんでした。これをメスの子持ち鮎でやってみてはどうかと考えたのです。試行錯誤しながら作るうち、子持ち鮎の内臓からにじみ出る旨味のかたまりがごはんをすごくおいしくすることがわかり、『子持ち鮎の熟れ鮨』が誕生しました」
前置きが長くなりましたが、さっそくいただきます! 鮒ずしのような強烈な風味ではなく、酸味の効いた濃厚なチーズのようなまろやかさ。調理法は和風ですが、テイストはむしろ洋風。ワインのおともにもピッタリです。
泉さんのすごさはそれだけではありません。熟れ鮨をつくる段階で生まれるクリーミーな発酵ごはんに生クリームとサワークリームを加えた「白熟クリーム」、鮎の塩焼きをほぐし、タマネギを鮎うるか(内臓の塩辛)と混ぜて、鮎脂(鮎の骨をラードの最高峰・カメリアラードで揚げた脂)で炒めたものとブレンドした「鮎のリエット」など新しい発酵食を提案。食材としての鮎がすばらしいのはもちろん、調理法によってレパートリーは無限大に広がります。
鮎は“川のテロワール”だ!
泉さんの斬新な鮎料理のアイデアは「おいしいものを食べたい」という食に対する飽くなき探求心と、長良川への愛が原動力。
「鮎は“川のテロワール”です」と泉さんは言います。テロワールとはもともと気候や土壌など、農作物の生育環境を表すフランス語。すなわち、ワインが原料であるぶどうの生育環境を表しているように、鮎の味も育った河川の環境を反映したものだということ。
「鮎の食味は、捕れた川によって全然違います。それは鮎が川の石に付いた苔を食べて育つ魚だからです。苔は清流の味であり、清流を育むのは流域の森林や山。鮎の中には育った川はもちろん、流域の環境すべてが凝縮されているのです」
鮎がおいしいということは、それだけ鮎が育つのにふさわしい環境が整っていることになります。
小ぶりで流線形、艶があってほんの少し黄色味を帯びた天然ものの鮎は長良川の清流そのもの。清流で育つ鮎はスイカの匂いがするといわれ、食味もさわやか。解禁してから禁漁になるまで、いろいろな味がお好みで楽しめます。
川原町泉屋 店舗情報
住所:〒500-8007 岐阜県岐阜市元浜町20
営業時間:11:30~14:00(LO13:30) 17:00~21:00(LO19:00)
公式サイト:http://www.nagaragawa.com/
おいしい鮎が育つのにふさわしい環境、長良川
「魚へん」に「占う」と書いて「鮎」と書きますが、中国では、この漢字は「なまず」を表すのだそうです。
その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮遠征に出かけるにあたり、「もし遠征が成功するならば、魚よ、かかれ」と祈念して釣り糸を垂らしたところ、鮎が釣れたことで「これは吉兆」と大いに喜び、戦いに勝利したことが由来だとか(ほかにも諸説あり)。天皇の行幸の際には鮎が献上されたというエピソードも多く、今でも長良川鵜飼では御料場という禁漁区を設けて、そこで捕れた鮎は皇室や伊勢神宮に献上されています。
“土佐の一本釣り”ならぬ、“長良川の一本釣り”って?
伝統的な鮎漁、鵜飼で有名な長良川ですが、古来、鵜飼以外にもいろいろな形の鮎漁が行われてきました。たとえば中流の美濃市や上流の郡上市では鵜飼に似た「夜網漁」という漁法が行われています。夜、川に網を張り、舟の上で篝火を焚き、櫂(かい)で舟べりや川面を叩いて鮎を網へと追い立てます。鵜を使って鮎を捉えるのが鵜飼ですが、これは鵜を使わず、網で鮎を捕獲します。
鵜飼が夏の長良川の風物詩とするなら、秋の風物詩は産卵のために川を下って来た落ち鮎を狙って仕掛ける「瀬張り網漁」です。川底に白い布やビニールを敷き、川面にロープを張ります。水の流れでロープが音をたてることで鮎が驚き、停滞したところに網を投げて捕まえます。
また、川の落差を利用して、木で組んだやぐらの上に竹の簾(す)を張ったヤナと呼ばれる仕掛けを設置し、流れ下って来た落ち鮎を捉える簗漁も盛んです。ヤナの上では鮎やそのほかの魚のつかみ取りもできるとあって、子どもたちにも人気。観光ヤナでは鮎料理も食べられます。
さらに長良川には竿一本で、オトリ鮎をエサに鮎を釣る太公望(たいこうぼう)たちの姿もあります。“土佐の一本釣り”ならぬ、“長良川の一本釣り”です。友釣りは鮎の縄張り意識を利用した方法で、日本古来のもの。釣り糸の先に生きたオトリの鮎をつけて泳がせることで、縄張りから追い出そうと体当たりしてきた野生の鮎を掛針に引っ掛けます。冷たい川につかりながら、鮎と真っ向勝負して釣れた時の嬉しさはまた、格別でしょうね。
清流長良川のシンボル、鮎!
そもそも鮎は川と海を行き来する回遊魚で、寿命はたったの1年。
秋に孵化した仔魚は河口から海へ出て、波打ち際に生息する動物性プランクトンなどを食べて成長します。春には故郷の川へUターン。群れをつくって中流から上流へと遡上(そじょう)し、石に着いた苔だけを食べて成長します。
鮎が苔を食べることは、川の水質保全にも役立っています。鮎はえさ場を守るために縄張りを作る魚としても知られ、自分の縄張りに入ったほかの魚を攻撃することも。秋には再び下流へと下り、その途中で産卵して一生を終えます。
今でこそ鮎は希少な水産資源とされていますが、昔は日本中の川が鮎が住む清流だったのですね。
長良川が現代でも清流を保つ理由
全長166㎞の長良川流域には約86万もの人々が暮らしていますが、下流に長良川河口堰(ぜき)があるほかは中流や上流にダムはなく、水質汚染の原因となるような大きな工場も存在しません。上流域・中流域とも水質Aの環境基準を達成しており、環境庁の「名水百選」や環境省の「日本の水浴場88選」にもなっています。
清流の秘密を探るべく、長良川を源流から辿ってみましょう。
3千m級の山々が連なる北アルプスの景観が美しい、岐阜県の北部・飛騨地方と豊かな穀倉地帯である濃尾平野の広がる南部・美濃地方。実は、岐阜の県土の8割を占めるのは豊かな森林で、その広さは全国第2位なんです。
保水力の高い森林は、“緑のダム”ともいわれています。長良川の源流・奥美濃の大日ヶ岳山中に降った雨は地中に沁み込み、やがて一筋の流れとなって北は庄川、南は長良川に別れ、それぞれ日本海、太平洋へと注いでいます。
川を守るため、漁師が山に木を植えている?
長良川の源流部を管理する「郡上漁業協同組合(郡上漁協)」では、平成22(2010)年から、植樹をすることで豊かな源流の森を育てようと「長良川源流の森育成事業」をスタートしました。
戦後、日本の山は落葉樹を伐採してスギやヒノキ、マツといった大変多くの針葉樹が植えられました。針葉樹は建材としての用途が多く、農山村の経済を豊かにすると考えられたからです。落葉樹の場合は落ち葉が腐葉土となって山や森に堆積し、腐葉土から養分が川に流れ込み、魚のエサとなるプランクトンがそれを食べて豊かな漁場が生まれるのですが、針葉樹では腐葉土ができず、山がやせてしまいます。山がやせれば漁場としての川も豊かさを失っていきます。そこで、郡上漁協では川の豊かな生態系を取り戻すために、広葉樹を主体とした自然林を回復させようと、広葉樹の植樹を始めたのでした。
事業のスローガンは「山から川へ、そして海へ」。川から海へ、そしてまた川へと遡上する長良川の鮎は、流域すべてがつながって循環していることを教えてくれる大切な存在なのです。
岐阜の暮らしを支える清流長良川
こうして守られ続ける清流長良川は、長い歴史の中で、岐阜の人々の豊かな生活と文化を育んできました。
水舟と生活水の浄化循環システム
長良川の最上流部は郡上市。郡上踊りや白山信仰でも知られています。郡上の人々は昔から水とともに暮らし、水をとても大切にしてきました。今でも町のあちこちに湧水や山の水を引き込んだ“水舟”と呼ばれる水槽があります。水舟は2槽または3槽から成り、最初の水槽は食べ物を洗ったり飲み水に使い、2槽め、3槽めで汚れた食器などを洗います。そこから出たご飯粒などは下の池に飼われている川魚のエサとなり、浄化された水は再び川へと帰る循環システムが今も当たり前のように守られているのです。
川沿いには遊歩道が設けられ、連歌の宗匠・飯尾宗祇(いいお そうぎ)ゆかりの宗祇水(そうぎすい)など水に関する観光スポットも整備され、水と人々の暮らしが密接に結びついてきた歴史が感じられます。
長良川の水運によってもたらされた豊かな工芸文化
海のない岐阜県において川は水運の拠点でした。戦国時代の末期から、長良川では上流の材木を筏流しで運搬したり、物資の舟運が盛んになりました。美濃市を流れる板取川で漉かれていた美濃和紙も長良川の水運によって岐阜に運ばれ、岐阜うちわや岐阜提灯、岐阜和傘などに加工され、広くその名が知れ渡るようになったのです。
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肥沃な土壌に育まれた農作物
長良川が流域の人々に与えたのは決して恩恵ばかりではありません。度重なる洪水を引き起こし、そのたびに人々は被害を被ってきました。複雑に川筋が入り組んでいた下流部では江戸時代には薩摩藩による宝暦治水、明治になってからはオランダ人のヨハネス・デ・レーケらによる木曽三川分流工事など、何度となく河川改修が行われています。しかし、一方で洪水は上流の肥沃な土や養分を運び、それが堆積することで豊かな農地が生まれました。岐阜市近郊では枝豆やブロッコリー、ホウレンソウなど農作物の栽培も盛んです。
流域の未来を育む「長良川システム」
「清流長良川の鮎」が「世界農業遺産」に認定されたことは、冒頭でご紹介しました。これまでお伝えしてきたように、「清流長良川の鮎」は生物としての鮎を指すだけではなく、鮎が住む清流やその他の水産資源をはじめ、それを維持している流域の人々の暮らしや自然環境、それに対する活動すべてが一体化していることを表しています。これらを包括した「長良川システム」は、「里川」をキーワードに、それぞれが深く関わり成り立っていることが、世界農業遺産に認定される際、高い評価を受けたのでした。
長良川流域の各地で約2カ月間にわたって行われる体験イベント「長良川おんぱく」や清流長良川の季節を感じるWebマガジン「長良川STORY」など。「長良川システム」を未来へとつなげ、流域に暮らす人々すべてがそのことを誇りとして生きられるよう、NPO法人「ORGAN」は多角的なアングルからさまざまな取り組みを行っています。
そんな「ORGAN」が近年力をいれている活動の一つが、「世界農業遺産「清流長良川の鮎」担い手育成」です。長良川流域文化の担い手の多くが危機的状況にあることから、こうした伝統産業の継承を支援するために「長良川流域文化を未来につなげるプロジェクト」を立ち上げ、それに賛同し支援してもらえる「長良川サポーター」も募集しています。
「ぼくはUターンして岐阜の柳ヶ瀬という商店街でいわゆる地域おこしの活動を始めた際、『ORGAN』というフリーペーパーを創刊しました。その取材中に市の伝統工芸品である『岐阜うちわ』と出会い、『岐阜にもこんなに美しいものがあるのか』と感動したんです。それが現在のNPOとしての活動につながっています。それまで、岐阜なんて何もないと思っていました。でも、岐阜うちわについて調べるうち、流域の美濃和紙の文化や和紙職人さんのことを知って、長良川を核とした流域のいろいろなストーリーがあることに気づきました」と同法人代表の蒲さん。
「鮎もその中の一つです。かつて、流域には職漁師というプロの漁師がいました。釣り師とは違います。趣味ではなく、漁で生活している人々です。でも、そんな人たちも漁では生活できなくなってどんどん消えていく。そうなると、漁のための魚籠(びく:釣った魚を入れる籠)や魚を釣るための竿(さお)を作る職人さんも仕事がなくなっていなくなってしまう。ものづくりの文化も消えていくんです。今残っているのはわずか1人、2人といった状況です。そうした危機的状況をもっと広くいろんな人に知ってもらい、長良川の清流を保ちつつ、いつまでも鮎の棲める川、漁のできる川としての仕組みを遺していきたいと考えています」と話してくれました。
鮎の漁業体験施設もおすすめ!
「鮎釣りをやってみたいけど、どこかに体験できる施設はないのかな?」という方にはこちらがおすすめ。
長良川上流部、郡上市白鳥(しろとり)町の「清流長良川 あゆパーク」では、自然と触れ合いながら鮎のつかみ取りや釣り堀体験などができ、釣った鮎を自分でさばいて焼いて食べることもできます。そのほかにもバードコールや風鈴、食品サンプルなどのクラフト体験も楽しめ、囲炉裏で塩焼きにした鮎は格別のおいしさです。近くを長良川が流れ、「道の駅 白山文化の里 長滝」に隣接しているのでとても便利。長良川源流部に近い野外施設での体験は、初心者やファミリーにはピッタリです。
清流長良川あゆパーク 基本情報
住所:〒501-5104 岐阜県郡上市白鳥町長滝字下川原420番10
公式サイト:https://ayupark.jp/