秋と言えば、食欲の秋!?
秋は、お米、梨やブドウ、リンゴ、柿などの果実類、栗など、たくさんの食材が旬を迎える「実りの秋」でもあります。
秋の食材の一つがサツマイモ。サツマイモご飯にしたり、天ぷら、煮物、サラダ、スイートポテト、大学芋など、食事系からおやつ系まで、様々な食べ方があります。サツマイモを使った秋限定のコンビニスイーツやアイスクリームも気になりますが、「サツマイモと言えば、焼きいも!」という方も多いかもしれませんね。
最近は1年中見かける焼きいもですが、一番おいしい季節は秋から冬にかけて。
そんな焼きいもですが、江戸時代後期に「第一次焼きいもブーム」があって、江戸っ子たちに焼きいもが大人気だったことをご存じでしょうか?
薩摩の芋だからサツマイモ?
中南米から世界に広まったサツマイモが日本へやって来たのは、慶長年間(1596~1615年)。中国経由で琉球(現在の沖縄県)へ伝わりました。
17世紀初めには薩摩(さつま/現在の鹿児島県)や長崎に伝わり、西日本へと広まっていきます。
サツマイモの名は、薩摩地方でよく栽培されていたことに由来するのだとか。サツマイモのほかにも、甘藷(かんしょ)、琉球藷(りゅうきゅういも)、蕃藷(ばんしょ)、唐芋(からいも)などの呼び名があります。
享保17(1732)年秋から翌年春にかけての「享保の飢饉(ききん)」をきっかけに、江戸幕府は飢饉に役立つ作物としてサツマイモの栽培を奨励します。
享保18(1733)年、儒者・蘭学者の青木昆陽(あおきこんよう)が『蕃藷考(ばんしょこう)』を著し、幕府へ上呈。サツマイモの効用、栽培方法などの詳細が記された『蕃藷考』は、8代将軍・徳川吉宗に高く評価されます。「薩摩芋御用掛」を命じられた昆陽は、薩摩から種イモを取り寄せ、江戸・小石川白山の幕府薬草園(現在の小石川植物園)などでサツマイモの試験栽培を行います。試行錯誤の末、サツマイモの栽培が成功し、全国にサツマイモの栽培が普及しました。
『甘藷百珍』が紹介する123種類のサツマイモ料理
寛政元(1789)年、『甘藷百珍(いもひゃくちん)』が出版されます。
著者の珍古楼主人は大坂の文人。当時のベストセラー『豆腐百珍』(1782年刊)の姉妹編の一つとして出版された『甘藷百珍』では、123種類ものサツマイモ料理を妙品(28品目)、絶品(11品目)、奇品(63品目)、尋常品(21品目)の4つに分類して紹介しています。
妙品は、「加須底羅(かすてら)いも」「月日(つきひ)いも」など、形よし味よしの料理。絶品は妙品よりも優れていて、絶妙な調和のある料理。「田楽いも」「蒲焼いも」「ふはふはいも」のようにすりおろしたサツマイモを使った料理のほか、皮をむいて切ったサツマイモに塩を振って遠火で焼いた「塩焼いも」、塩をピッタリ塗ったサツマイモを炭火に埋めて蒸し焼きにした「塩蒸やきいも」もあります。奇品は風変わりな料理で、サツマイモを細く切って、葛粉をまぶして茹でた「氷柱(つらら)いも」のような見立て料理もあります。日々の生活で作られる料理が尋常品で、比較的簡単に作ることができるもの。「蒸いも」「焼きいも」は尋常品として紹介されています。
『甘藷百珍』からは、サツマイモの料理法が増え、庶民の食生活に定着していった様子がうかがえます。
幕末の焼きいもブーム
サツマイモは、煮ても、蒸しても、焼いてもおいしい食材。煮る、蒸す場合は鍋や釜、蒸し器が必要ですが、焼きいもは道具なしでも作ることができます。例えば、農村では、わらや落葉を燃やして熱々の灰がたくさんできた時や囲炉裏の灰が熱くなっている時に、灰の中へサツマイモを埋めることで焼きいもを作ることができるのですが、大都市・江戸では難しいことでした。燃料の薪が乏しい上に薪の置き場所もなく、常に火事の危険を考えなくてはいけなかった江戸市中では、炎が大きく出る囲炉裏は使うことができなかったのです。
そこで、焼きいも屋が登場!
日本における焼きいもの最初の記録は、享保4(1719)年に来日した朝鮮通信使の記録『海游録』にあり、京都郊外での焼きいも屋の情景を記しています。
江戸に焼きいも屋が出現したのは寛政5(1793)年頃。
御家人であったと言われる山田桂翁(やまだけいおう)が、江戸の様子やうわさ話などをまとめた『宝暦現来集(ほうれきげんらいしゅう)』には、
芋を焼て売事、寛政五年の冬本郷四丁目番屋にて、初て八里半と云ふ行燈を出し、焼きいも売始けり(『宝暦現来集』巻之五)
とあります。看板の「八里半」は、「栗(九里)に近い味」という意味を表します。
この頃の焼きいもは「焙烙(ほうろく)焼き」でした。焙烙とは素焼きの底が浅い土鍋で、焙烙の底にサツマイモを並べ、重い木の蓋をして弱火でじっくり焼き上げます。焙烙は割れやすいため大きいサイズのものがなく、人気の焼きいも屋は「焙烙焼き」では対応できなくなります。
そこで、底が浅い大きな鉄製の平釜で一度に大量の焼きいもを作る「釜焼き」が始まります。「釜焼き」にはサツマイモを丸ごと焼く「まる焼き」と、太いサツマイモを切って焼く「切り焼き」の2種類があり、江戸の人々は「まる焼き」を好みました。看板に「〇焼き」とあるのは、「まる焼き」の焼きいも屋です。
砂糖が貴重だった江戸時代、焼きいもは手軽に食べることができる甘いもの。値段も安かったこともあり、文化・文政期(1804~1829年)頃、江戸で焼きいもが大ブームとなりました。
比丘尼橋(びくにばし)は、京橋川が外堀に出る河口に架かっていた橋。現在の銀座一丁目付近で、絵の右側奥に江戸城の石垣が見えます。
橋の手前、左側にある「山くじら」は、猪などの肉を専門に食べさせる尾張屋の看板で、猪以外にも熊や鹿、猿の肉もあったと言われています。右側の葦簾(よしず)張りは、看板に「○やき」「十三里」とあるので焼きいも屋です。
「十三里」は、「焼きいもが焼き栗の味を上回るほどおいしい」という意味です。「栗(九里)より(四里)うまい十三里」つまり「九里+四里=十三里」という洒落が江戸っ子にうけて評判となって、焼きいも屋はますます繁盛します。
なお、「十三里」には、江戸時代のサツマイモの名産地であった川越まで、江戸・日本橋から13里(=約52㎞)あったからだという説もあります。
江戸の焼きいも屋は副業
当時の江戸の町々には、町内警備のため、町の入口と出口に木戸が設けられていて、木戸番が朝晩の木戸の開閉のほか、火の番の仕事をしていました。木戸番には町内から手当が出ていましたが金額は少なかったようで、駄菓子や生活雑貨などを売ったり、冬には焼きいもを売って副収入を得たりしていました。つまり、焼きいも屋は、木戸番の秋から翌春までの半年間の副業だったのです。
木戸番とは別に、屋台で焼きいもを売る人もいたようです。
上の絵には12月とありますが、旧暦の12月は現在の新暦では1月頃に当たり、寒さの厳しい時期。女性たちは着物を重ね着した上に道中着と呼ばれるコートを着たり、半纏(はんてん)を着たりして、しっかり防寒対策をしています。
左側に「焼芋」の看板を出した焼きいも屋があります。大きな竈(かまど)の焚口から炎が外に噴き出しています。竈の横には、たくさんのサツマイモが積まれています。中央には、雪の中、丁稚(でっち)をお供に出かけてきた商家のお内儀、右側には背負った赤ん坊をあやす母親が描かれています。雪の中、焼きいもを買いに来たのでしょうか?
焼きいも屋は明治時代に入って一段と繁盛します。大規模な焼きいも専門店も次々と現れ、明治33(1900)年には、東京府内の焼きいも屋は1400軒以上もあったのだとか。
大正時代に入って焼きいも人気に陰りが出始め、大正12(1923)年の関東大震災で転廃業する者が続出します。
第二次世界大戦後、昭和26(1951)年に石焼いもが登場して人気となりますが、昭和45(1970)年の大阪万博の頃を境に衰退します。
平成15(2003)年に電気式自動焼いも機が開発されて、スーパーマーケットなどに普及。手ごろな値段で焼きいもが提供されるようになります。翌年には、銀座三越に焼きいも店が開設され、高級焼きいもブームが起きました。
江戸の焼きいも用サツマイモの二大産地
それでは、江戸の焼きいも用のサツマイモは、どこから来ていたのでしょうか?
江戸の焼きいも用のサツマイモの生産地は、川越藩領(現在の埼玉県)と下総(しもうさ)の馬加村(まくわりむら/現在の千葉市花見川区幕張付近)の二つ。サツマイモは重量があってかさばるので、舟で江戸に運ばれてきました。
この二つの産地の焼きいも用サツマイモの供給力はほぼ互角でしたが、味にうるさい江戸っ子の好みは川越産のサツマイモ。川越藩が位置する武蔵野台地は、関東ローム層と言われるサツマイモの栽培に適した土壌で、落葉で作った堆肥を利用することで甘みが強く、味も香りも抜群のサツマイモを生産することができたのです。
焼きいもの楽しみ方、いろいろ
「焼きいも」とは、名前のとおり、サツマイモを焼いたもの。簡単なようで、おいしい焼きいもを作るのは意外と難しいかもしれません。焼きいものおいしさの決め手は食感・甘味・風味の3つのバランスなのだとか。サツマイモは加熱することで甘みが増えます。品種や貯蔵日数によっても甘さも変化します。
昔ながらの水分少なめのほくほく系「ベニアズマ」、のどごしが滑らかなしっとり系「べにまさり」「シルクスイート」、クリーミーで濃厚な甘さのねっとり系「べにはるか」「安納芋」など、サツマイモの種類も増えました。
現在は、焼きいも専門店も全国各地にありますし、通販やコンビニ、スーパーマーケットなどでも焼きいもが購入できます。アウトドアクッキングで焼きいもづくりにチャレンジしたり、自宅で焼きいもを作って熱々の焼きいもをほおばり、残りはスイーツなどにアレンジすることもできます。
この秋、自分の好きな焼きいもを探してみるのも楽しいかもしれませんね。
主な参考文献
- ・『日本大百科全書』 小学館 「サツマイモ」「焼きいも」「青木昆陽」の項目
- ・『焼きいもが、好き!』 日本いも類研究会「焼きいも研究チーム」企画編集 農文協プロダクション 2015年1月
- ・『焼きいも事典』 いも類振興会 2014年10月
- ・『錦絵が語る江戸の食』 松下幸子著 遊子館 2009年7月
▼和樂webおすすめ書籍
日本文化POP&ROCK