明治時代、モノクロ写真に彩色をほどこした写真が流行しました。現代人が見てもカラー写真のようで、100年以上も前の写真とは感じません。この彩色写真は、「横浜写真」と呼ばれています。それは、どうしてなのでしょう?
外国人写真家によって生み出された鮮やかな横浜写真
安政6(1859)年に開港すると、横浜は海外の窓口として新しい技術や外国人が多く集まってきました。明治時代になると、在日外国人に対する土産物や輸出品として、日本各地の風景や風俗の写真を彩色したものが販売されるようになります。それが横浜で売られていたことから、「横浜写真」と呼ばれるようになったようです。その創始者と伝えられているのが、イタリア系英国人写真家のフェリーチェ・ベアト。文久3(1863)年に来日する前から、幕末の日本各地を旅して、写真に収めていました。明治元年頃から作品をアルバムにして販売していたようです。横浜写真は、ベアトの弟子となった日下部金兵衛のように、外国人写真家から技術を学んだ日本人写真家によって、ますます拡大していきます。その後、安価なポストカードも登場するようになりました。
可憐な姿にうっとり
明治時代に海を渡った横浜写真のポストカードは、アメリカ・ニューヨーク公立図書館に数多く所蔵されています。外国人に好まれそうな、着物美人のポストカードは、雰囲気がありますね。
アイドルみたいですね! 現代の芸能界でも、人気が出そうなビジュアルで、表情がアンニュイ。着物もカワイイ♡
ビビットな赤やピンクが効いてます! 横にある陶器が、暖房器具とわかる人は少ないかもしれませんね。灰をならした上に、火起こしした炭をのせ、かざした手を温める手あぶり火鉢(ひばち)です。灰をならす火箸(ひばし)ものぞいていますよ。
当時の農村の暮らしがわかる
フォトジェニックなポストカードだけでなく、当時の暮らしぶりがわかるものもあって、興味深いです。これを見た外国人は、異国情緒を感じていたのでしょうか? 当時の農家は、牛で田んぼを耕していたのですね。
こちらは、のどかな農村に住む女の子が、行商人から何かを買おうとしています。小さな背中から、待ちきれない様子が伝わってきます……。水飴か何かのお菓子でしょうか。早く食べたいね~。
こちらは、農作業をしているお母さんと女の子たち。何の作業なのでしょう。女の子はお手伝いしてるのかな?
わー!笑顔がいいですね! バケツに水をくむお手伝い? みんなと一緒にいるだけで楽しそう~ 着物がちょっと大きめの子は、お下がりなのかも。
番外編
こちらは、ポストカードではなくて、パンフレットの写真です。アメリカの劇場で、出し物をした時の写真のようです。武士風の扮装の男性と、はっぴのような着物を着た男の子2人。どんな内容だったのでしょう? 曲芸のようなもの、もしくは喜劇? 想像すると楽しいですね。
「誰でもミュージアム」とは?
パブリックドメインの作品を使って、バーチャル上に自分だけの美術館をつくる「誰でもミュージアム」。和樂webでは、スタッフ一人ひとりが独自の視点で日本美術や工芸の魅力を探り、それぞれの美術館をキュレーションしています。「誰でもミュージアム」はwebメディアだけでなく、各SNSアカウントや音声コンテンツなど、さまざまな媒体のそれぞれのプラットフォームに合わせた手法で配信。アートの新しい楽しみ方を探ります。