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2019.08.20

縄文人もミーハーだった!縄文中期の最前線トレンドは「信州ブランド」の黒曜石【長野】

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銀座への憧れは、いつの時代も変わらない?

諏訪が「縄文銀座」といわれる所以、それは縄文時代の中でもっとも時代特有の文化が花開いたと言われる縄文中期に、人やモノがこの地域に集結し、巨大な集落をいくつも築いていたからです。


各地から八ヶ岳山麓に届けられた品々。(全て尖石縄文考古館蔵)右上のコハクは千葉県産、右下の水晶は山梨県産だと見られています。左の緑色に輝く石は、これまた縄文人憧れの品、新潟県産のヒスイです。

なぜ、人々はこぞって八ヶ岳山麓に集まったのか? その問いの答えは決して1つではないはずですが、なにせ時は「黒曜石狂時代」です。全国の黒曜石の中でも一際美しく輝く信州産黒曜石が人々の興味を駆りたて、人が人を呼んでいたのだとしても決して不思議ではありません。

たとえ地元が黒曜石の一大産地だったとしても、たとえどの黒曜石でも機能が同じだったとしても、またたとえ、自身の生活には必要のないものであったとしても、信州ブランドの黒曜石は実利を超えて人々を夢中にさせたのです。いつの世も、若者というのはブランド品に憧れを持つもので、また大した理由もなく都会に行きたがるもの、ということなのかもしれませんね。

「あれ、おまえの石鏃、それもしかして信州産?」
「あ、気付いちゃった? いや、自慢するわけじゃないけどさ、こないだ信州から来た子にもらっちゃって(照)」
「これが憧れの信州産黒曜石か・・・話には聞いてたけど、やっぱ羨ましいぜ」
「今八ヶ岳お祭り騒ぎだってよ、黒曜石鉱山でひと旗あげようって移住する奴も多いらしいよ」
「そりゃあ黙っちゃいれねぇな! よし俺らも自信作の土器を土産に行ってみようぜ!」
「え、ど、土器持ってくの・・?」

・・・こんな会話が、その昔あったかもしれませんね。(なかったかもしれませんね)


「阿玉台式土器」(全て尖石縄文考古館蔵)茨城県など東関東地方で流行したスタイルの土器。完成度の高さから、この辺りの人々が作ったのではなく、東関東からわざわざ運びこまれてきたとみられています。土器そのものが運ばれたのか、中に何かが入っていたのかはわかりませんが、どちらにしても、たとえば茨城から長野まで運ぶには相当な労力を要したはずです。

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。