前回まで2回に渡ってお届けしてきた縄文時代の諏訪を巡る旅ですが、今回からは、縄文時代「終焉後の」諏訪についてお送りします。なぜなら、諏訪の縄文が本当に「すごい」のは、むしろ縄文時代が終わってからのお話だからです!
今からおよそ2500年〜3000年前、西日本に入ってきた「水田稲作」という文化は、わずか400年足らずの間に全国に広がっていきます。それに伴い、1万年以上もの間日本列島を覆ってきた「狩猟民的」縄文文化は、またたく間に「農耕民的」弥生文化に塗り替えられていきます。
ところが諏訪は、日本がどんどん「弥生化」していく中にあって古い形の信仰を守り続け、独自の道を歩んでいたというのです。かつて「縄文銀座」とまで呼ばれた諏訪は、いかにして「農耕民的」弥生文化との共生を図り、日本列島のど真ん中で縄文スピリットを守り続けたのでしょうか? 縄文諏訪旅第3回は、代々諏訪大社の「狩猟民族的」祭祀の一切を取り仕切ってきた守矢家の敷地に建つ「神長官守矢史料館」、そして信濃国一之宮を誇る「諏訪大社」より、弥生時代以降、諏訪の地で静かに、しかしたくましく生き残ってきた縄文スピリットを紐解きます。
神長官守矢史料館。柱が屋根を突き抜けた大胆かつ生気あふれる建築は、まさに諏訪出身の「縄文系」(筆者定義による)建築史家、藤森照信先生の建築家デビュー作(!)です。見る度に必ず縄文心がざわざわ騒ぎ出します。