小泉八雲。
自然に宿る美を封じ込めたような名を自らに授け、明治の開国後に失われつつあった「古き佳き日本の姿」を人々の記憶に留めようと力を尽くした人物を顕彰する文学館が島根県松江市にある。
外観は城下町・松江にふさわしい瓦屋根の瀟洒な純日本家屋。だが、一歩足を踏み入れると、真反対の超モダンな展示スペースが広がっていた。
「2016年にリニューアルオープンしたばかりなんですよ。その際、展示方法も一気に変えました」と教えてくれたのは、コーディネーターの小泉祥子さん。「収蔵品が以前の1.5倍になる約1500点に増えただけでなく、人物像を全方位から紹介できるような展示になるよう工夫しました」(小泉さん 以下「」内同)
これは見学が楽しみ……なわけだが、中にはいる前に今一度、小泉八雲についておさらいしておこう。
八雲が生まれたのは、ギリシャの西部、イオニア海に浮かぶレフカダ島だ。
母はイオニア群島のひとつであるキティラ島で生まれたローザ・カチマチ。父はアイルランド出身でイギリス軍少佐のチャールス・ブッシュ・ハーン。当時、レフカダ島はイギリスの保護領で、チャールズは軍医として島に駐在し、出会った島の名士の娘と恋におちたのだ。
そんな二人の間に生まれた八雲は、出生名をパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)という。パトリックは典型的なアイルランド名。一方、ミドルネームの「ラフカディオ」は生誕地のレフカダにちなんだ名前だとか。
だが、後半生ではパトリックを省略し、「ラフカディオ・ハーン」と名乗るようになる。なぜ彼はアイデンティティのひとつを消し去ってしまったのか。そして、どうして日本に帰化するという道を選んだのだろうか。その謎を解くにはその人生の道行きを知らねばならないのだが、本館の展示をつぶさに見れば自ずと明らかになるだろう。
「本館の展示は、八雲の人生の軌跡、そして人となりを総合的に理解していただくよう工夫しています。もっともよく知られている著作『怪談』は、もちろん彼の仕事の真骨頂ですが、それ以外の顔も知っていただけたらと考えました」
展示室は三つに分かれ、最初の展示室では八雲が暮らした世界各国での行跡を、パネルや遺品を使って紹介している。入ってまず目に入るのは、八雲愛用の上着と帽子、そしてトランクだ。
旅に出る時の必須アイテムだったという。
「八雲はまさにボヘミアン。一箇所にずっといられない性分でした。初めての旅は母の地・レフカダ島から父の地・アイルランドへの移動です。以降、彼はずっと西へと移動し続け、一度も後戻りしていません。そうして最後にたどり着いたのが日本でした」
第一展示室の壁面は八雲の人生を年代順に追うパネルで覆われ、向かって左半分で来日前、右半分で来日後の足跡を追う形になっている。パネルの前には各時期を象徴する貴重な資料が展示してある。また、パネルの上部には滞在した土地名と年代、そしてその土地で八雲の身に起こった出来事が大書されている。部屋の真ん中に立ち、ぐるりと頭を巡らせれば八雲の生涯の凡そが把握できる、というわけだ。
「観光地にある記念館なので、滞在時間をあまり取られない方もいらっしゃいます。そうした方でもおおまかにはご理解いただけるよう、工夫しました」
うれしい心遣いだが、やはりここはじっくり時間を掛けて見学しなければもったいない。なぜなら、パネル下部には館長で、八雲の曾孫にあたる小泉凡氏が書き下ろした解説文があるからだ。八雲研究家でもある凡氏は、世界中に散らばる縁の地に何度も足を運んだそうだ。
2歳で母とともにギリシャからアイルランドに移り住んだ八雲だったが、その2年後、母は慣れぬ土地で精神を病んだ末、島に帰ることを選び、両親は離婚。幼いパトリックは大叔母に引き取られることになった。敬虔なカトリック教徒だった彼女は、幼子をキリスト教徒として厳格に躾ようとした。
しかし、感受性豊かなパトリックにとって、それは苦痛でしかなかった。ハーンがパトリックの名前を捨てたのは、こうした生い立ちが一つの要因と考えられる。
「一方でアイリッシュの使用人たちから聞いたアイルランド民話の豊穣な世界は、八雲を幻想の世界に誘い、想像力を養いました。また、幼くして多様な文化に触れた経験は、彼の“オープン・マインド”を培ったのだと思われます」
オープン・マインドとは、出会った人や文化に対して、曇りない目でまっすぐと向かい合う心を指す。ギリシャとアイルランド、二つの異なるルーツを持ち、生涯にわたって世界各国を渡り歩いた八雲を語る上で欠かせないキーワードだ。
十代の早い時期にフランスのカトリック神学校に入学するも馴染めず、イングランドのカレッジに転学したが、その間、事故によって左目を失明した上、父が病死、大叔母は破産するなど、若き八雲を次々と不幸が襲う。
それらを振り払うかのように19歳で米国に渡って以降、一度も母国に帰ることなく、北米および中米の各地を転々とした末にたどり着いたのが日本だった。
「八雲はアメリカ南部のニューオリンズやカリブ海に浮かぶ仏領マルティニーク島でクレオール文化に出会い、魅せられました。当時に書かれた文章を読んでも、見るもの聞くものに心躍らせている様子が読み取れます。1894年の万博の際には、クレオール文化を紹介すべく本を3冊も書いているんです。そして、それらはクレオール文化の基礎文献として、百何十年たった今でも敬意をもって受け継がれています。固定したアイデンティティを持たず、欧米白人社会ではマイノリティだった彼にとって、異文化混淆が生む新しいカルチャーは何より素晴らしいものと感じられたのでしょう。純血主義の時代に混淆こそ豊かな文化の源だと喝破した。そんな先見性を持つ彼だからこそ、日本の文化にも曇りない目で向き合うことができたのでしょうね」
第一展示室で生涯を俯瞰した後は、第二展示室へ。
ここでは複数のキーワードを設定し、八雲の事績や思考の特色を表現している。
入ってすぐ右、ブース状になっている「再話」コーナーは、八雲が英文で再話(昔話や伝説を文学的に表現すること)した日本の口承怪談を、さらに和訳した文章の朗読を楽しむことができる。朗読者は俳優・佐野史郎さん、音楽はギタリスト・山本恭司さんによるものだ。ともに松江市出身であり、八雲ファンであることを広言している方々だ。
他には「怪談」「ジャーナリズム」「クレオール」「いのち」「日本のこころ」「日本のくらし」「教育」「小泉八雲から広がる世界」など、八雲の多面的な魅力を伝えるべく、映像や貴重な資料の復刻版なども含めて展示されている。ゆっくり見て回っていたら、一時間ではとても時間は足りない。
第三展示室では企画展が行われ、年に一度の頻度で展示が変更される。
「企画展はリピーターの皆様に好評です。観光地という特性もあって、企画展の展示期間は長くしています」
また、二階にあるライブラリーでは八雲の著作や関連書が多数閲覧できるほか、作品やゆかりの地を調べられる検索システムも設置されてある(現在は新型コロナウイルス感染症対策として使用停止中)。八雲の世界についてより深く分け入るにはうってつけの施設だ。
「八雲のアイデンティティはとても複雑で、単一の世界に収まるものではありませんでした。そんな彼のことをワールドシチズン、世界市民と呼ぶ人もいます」
地球の3分の2を巡る生涯を送り、各地で出会った異文化を愛したラフカディオ・ハーンは、最後にやってきた日本の文化に心酔し、とうとう「小泉八雲」となった。
グローバル化が進んだ現代だからこそ、八雲のような「異なる人種や文化への公平で愛ある眼差し」を持っていた先人に学ぶのは大切なことだろう。一文学者の行跡を知るのみに留まらない、21世紀を生きる私たちにとって得るものの多い文学館である。
【館情報】
館名:小泉八雲記念館
場所:〒690-0872 島根県松江市奥谷町322
開館日/時間:年中無休
4月1日~9月30日:8:30-18:30(受付は18:10まで)
10月1日~3月31日:8:30-17:00(受付は16:40まで)
入館料(2021年1月現在):
大人 410円 / 小・中学生 200円
2館共通券(小泉八雲記念館・小泉八雲旧居)も有。
アクセス:
●JR松江駅から
ぐるっと松江レイクラインバス約16分「小泉八雲記念館前」下車
松江市営バス約14分「塩見縄手」下車、徒歩5分
一畑バス約20分「塩見縄手入口」下車、徒歩1分
●一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約20分
●専用駐車場はなし、最寄りの駐車場を利用