「『事実』という話は、面白くもなんともないんだわ」
矢継ぎ早に、ご住職の言葉が重なる。
「事実は、『あっ、そうなのか』『なるほど、へえー』って。でも、作り話は、感動というものが、ちょっとオーバーになってくる」
私はただ頷くことしかできない。
じつは、軽い気持ちだった。こんなところで白状してはなんだが。いつもの如く「珍しい寺」という評判に、夏の夜の蛾のようにあっさりと引き寄せられてしまったからだ。そんな不純な動機を知ってか知らずか。ご住職の口からは、予想外の言葉が飛び出す。
「実話というのは、こういうものかと。いくら無信心な私でも、ああそうなのかと。まんざら『1+1=2』じゃないなということが、あるもんだから」
こう話されるのは、「間々観音(飛車山 龍音寺)」のご住職、岡田守生(もりお)氏。
この寺の御利益についての話である。
ご住職自ら無信心とは、恐れ多い。しかし、あえて、そのような「スキマ」を見せることで、訪れる者はホッとするのだろう。がんじがらめの説法ではなく、誰でもありのままを受け入れるその度量。「押し」ではなく「引く」ことが大切なのだと教えられた。それにしても、懐の深さを感じずにはいられない。
さて、前置きが長くなったが。
今回、私が訪れたのは、愛知県小牧市にあるお寺。世間では「ままかんのん」と知られる有名な寺である。アクセスも、名古屋駅から高速バスで30分ほど。思ったよりも近い。
「間々観音(ままかんのん)」という名の通り。こちらでは、まさしく、授乳、子授け、安産など、他にも多くの御利益があるのだとか。確かに「授乳」だけあって、境内は「乳房」ばかり。そこにも乳、あそこにも乳と、簡単にいえば、「おっぱい」だらけの寺なのである。
そんな珍しい寺があると聞けば、やはり行ってみたくなるもので。またもや取材へと、雪の中を飛び出した。
寺の起源や御利益はもちろんのこと、耳を疑うような話まで。
そして何より、そこには忘れられないご住職との出会いがあった。
間々観音にまつわる言い伝えとは?
「全部、『かな?』っていうことが続くワケ、ここの寺は」
ぶっちゃけ過ぎじゃないだろうかと、こちらが心配するほど。ご住職はあっけらかんと、この寺について語ってくれた。
じつに、間々観音に関する伝承は3つある。
寺自体と御利益についての起源である。
寺の起源は、こうだ。
小牧山で狩人が7頭の鹿を射たところ、その鹿の姿がたちまち7つの石に変化した。辺りに五色の雲が現れ、そこに、四方に御光を放つ観音様の御尊像を発見したというのである。と同時に、山には、こんな言葉が三度響き渡ったのだとか。
「小牧なる飛車の山の狩人は八つある鹿を七ついしかな」
この光景を目撃した村人により霊験は伝えられ、早速、小牧山中腹に草堂が建立された。だが、この約70年後。時代は、戦乱の世となる天正年間(1573年~1592年)を迎える。小牧山も砦と化したが、龍音寺住職祖玄和尚(浄土宗)によって合祀され、現在に至るという。
一方で、間々観音の御利益である「授乳」にも、ある起源が。
昔、村の南はずれに、新婚の夫婦がいたという。幸せもつかの間、子が1歳にならないうちに、夫が他界。家は貧しく、親戚にも母子を養う力が無かったために、母親の乳が出なくなったのだとか。
そんな窮状を見て、村の老人がお米を少し分けるのだが。やはり、すぐには授乳できず、母親は死を決意。どうせなら、山上の観音様にお米を供えて死後の安楽を願おうと、御尊像の前で無心に祈り続けたという。しかし、山を下りると、あら不思議。いつしか空腹感がなくなり、乳房が張ってきたのだとか。
こうして、授乳により子は無事に育つことができたという。余った乳も近所の子に分け与え、母子の生活も成り立つことに。記録では、永禄年間の末(1569年)頃もなお、母子は共に健在だったようだ。
それだけではない。じつに、この間々観音の御利益は「交通安全」や「ペット健康守護」と幅広い。これにも起源がある。永正年間(1504年~1521年)の頃のこと。この地に、病気の馬を健康な馬に、駄馬を駿馬に変える農夫がいたという。男の名は、伯楽。
しかし、晩年にこの男が語った内容というのが。じつは、自分には何の力もない。ただ、馬を洗い清めて、山の御堂まで登り、観音様に一心にお願いした結果だったというのである。ひとえに、観音様のお力だったとか。
当時、馬は交通の要であった。現代では「自動車」との意味合いになるのだろうか。そのため、この寺の御利益の1つにあるのが「交通安全」。これは、さらに形を変え、「ペット健康守護」にも転じることに。
これらの起源に関して、ご住職はこう語る。
「『じゃないだろうか』『だろうな』とか。そういう内容が多いんだよね」
端的にいえば、起源は言い伝えであり、断定的とはいえないのだという。
ただ、霊験となると、これまた話は別。
その起源がどうであろうと、実際の御利益は、目に見えるもの。信じる信じないよりも以前に、そこには事実がある。
「霊験となってくると、事実ですから。お乳が出たとか。それを吸って、完全ではないんだけれども、育ったとか。そういう話を聞く」
正直、ご住職も最初は半信半疑だったという。
しかし、そんな内容の報告が増えてくれば。いつしか「霊験」というものを信じるしかない心境に。
「やはり、その人数が2人、3人…5人となってきて。男の人もって」
私も、つい前のめりになってしまった。男の人が。まさか。
「お乳とはいえないけれども、それを飲んでおったら、その1滴が数百倍の栄養素になった気がするっていうおばあさんが来た。親子で来てさ、男もそうだったんかねって。こうした生の声を聞くと、奇々怪々な現代科学では考えられないようなことがあると」
「一宮の人でも、お父さんが子ども育てたっていう人が来て。男の人も乳が出るって。実際は乳じゃないんだろうけど。まあ、子どもに飲ましたって聞いて。生の声を2人も聞いたもんだから」
ちなみに御利益は、男性だけでなく、出産していない女性にもあったという。
乳飲み子を残して亡くなった妹に代わり、その子を育てたというお姉さんも来られたことがあるという。こちらにお願いに来て、乳らしきものが出たというのである。
そんな話を幾度となく耳にしたご住職。だからこそ、その言葉には重みがあるのだろう。
「これが霊験なんかって。そういうことを目の当たりにするもんだから」
そして、話は冒頭の部分へと続くのである。
実話はあくまで事実だからと。作り話は感動がオーバーになるが、実話はそうではない。面白味がなくても、感動が少なくても。それこそが、事実たる所以なのだと。
そんな言葉の数々に。
私は、ただただ頷くことしかできないのであった。
一時期は廃寺だった?再興させるまでの奮闘
さて、1つ疑問が。
どうして、このように「おっぱい」ばかりの境内となったのか。
早速、ご住職におうかがいした。
「昭和20年代に、一度、秘仏の御開帳があったみたいだけど。それ以来はないんだわ。なんかあって、ここの寺。急に人が来なくなっちゃった。だから来たワケ。誰も来たくないって状況になったから」
この寺には、秘仏があるという。
現在は「巽堂(たつみどう)」に安置されている千手観音像。
かの弘法大師空海が自ら造立したといわれている御尊像で、もともとは霊峰小牧山の観音堂に安置されていたのだとか。
当時、この寺に来られたご住職は27歳。忘れもしないあの日。
「昭和51(1976)年の11月12日。凄く寒かった。水も凍ってしまって、ホントに冷たかった。足の裏の熱が吸い取られるくらいに冷たかった。修理に来た電気屋さんも震えちゃって。『なんだ、ここは!』『どうなってるんだ、ここは!』って」
よほどの寒さだったのだろう。
昨日のことのように、ご住職の口からその様子が語られる。
「私が来た時には、誰もおらなかった。昔はすごかった。なんでこんななっちゃったのか、教えてくれる人もいなかった。(当時のこの寺は)ホントに廃墟で。売れるものは全部売って。すっからかんかんのかんで。飛べない鳩だけがおったで。羽はあるんだけど、飛べない鳩がざーっと走ってくるワケ。すっごく早い。なんか、それが奇々怪々で」
ご住職の話を聞きながら、独り静かに想像する。
廃寺。異様な冷気。飛べない鳩。
もうそれだけで、ホラーミステリー小説の舞台となりそうな予感。
「最初は、牛や馬のわらじだとか、皆さんが1つ1つ作ってくれたお乳のはりぼてだとか、びしーっとあったんだわ」
祈願して授乳ができるようになれば、そのお礼として手作りの乳房を奉納する。そんな人が、あとを絶たなかったようだ。
「これが、気持ち悪いって」
「えっ?」
「ゾゾっと来たワケ。新しいのやら古いのやらが、いくらでもあって。古いのは(お乳が)ぼろーんって取れちゃって。中には、髪の毛で作ったお乳があって、べろんってなってて。なんとなく、イイ感じがしなかった」
「まさか…そういったものを全て?」
「燃やしちゃった」
「で、新しいものを?」
「そう、罪滅ぼし」
納得した。だから、境内には、至るところに「乳型」の置物があるのだ。きっと、これはご住職なりのメッセージなのだろう。これまでに奉納された人々のお礼の気持ちを代弁したのだと。そう、改めて理解した。
境内だけではない。絵馬も一新された。
現在の絵馬は、こちら。
この絵馬が出来上がるまでに、大変な苦労があったとか。
「一番はじめにやったのが、瓦の素材に泥を塗ってべたっとくっつけるモノ。そのときはくっついてるけど。当時のボンドと泥だから、接着性が弱い。だから、気付けばぼろっと落ちてくる」
つまり、無残にも、絵馬から乳房が落下するのである。
せっかく祈願したにもかかわらず。その絵馬から落ちるだなんて、縁起でもない。しかし、ご住職は、こう切り抜けたという。
「お乳がいっぱい落ちてますねってなったけど、『乳離れです』って」
さすがである。
そんな失敗を経て次に作成されたのが、マヨネーズの容器のような素材を使った絵馬。
「重たすぎるとなって。次に、これがいいわと思って。できたら、軽くて、いいねって。でも、すぐにダイオキシンが社会問題になって。2、3年しか続かなかった」
またしても、絵馬は失敗。
しかし、改良を重ねて。三度目の正直として出来上がったのが、現在の絵馬である。
「だるまのような紙粘土で、肌がごつごつして。軽くて接着剤もくっついてくれるし。これがいいって」
現在も、絵馬に祈願を書き入れる人は多い。
今度こそ、乳房は落ちず。
人々の祈りは、こうして、しっかりと絵馬に込められるのであった。
時代の流れの波は「願い」にも押し寄せる?
とにかく、ご住職との話は爆笑の連続。
味のある語り口に、ついつい引き込まれてしまう。もちろん、ナイーブな話題でも、ご住職の人柄で話しやすい雰囲気に。その飾り気のない言葉が、妙に胸にグッとくる。
「目くじら立てて、どうやってこの子を育てたらいいのって思っちゃうんだけれども。やはり日々の営みがあって、時に子どもが泣いたらどうするかってことで、間々観音さんに来たんだよ、昔の人は。今みたいに、車で来れる感じじゃないからね。気持ちが随分と重い」
「今の時代の人たちと違って、昔の人は気持ちが通じあうものがあったよなあって。分かりやすい単純な気持ちっていうの。今は、複雑すぎて、駆け引きやら、違った気持ちってやつがあって。なんか違うんだよ。余分な何かがある、見え隠れする」
そんな時代の変遷を反映するかのように、祈願内容にも変化が起こっているのだという。
「(乳といっても)『母乳』がちょっと薄れて来て。『乳腺炎』になって、それが、今度は『乳がん』になって。そいで、乳がんから今度は『複製』になって。乳がんで乳房を切除した人が、元のようなお乳になるようにって。そういう人やら業者が来て。初めての新しい手術だから成功するようにとかねえ」
「乳がん」を患っている方が、1人、2人…10人と増えていくと同時に、今度は、授乳祈願の方が、反対に10人、5人…と減っていく。そういう時代の流れを感じるのだと、ご住職は話される。加えて、子育てについての祈願内容にも変化が。
「ここは、安産、子授け。子どもが元気になるようにだとか。普通の状態になってほしいっていう人も来る。昨日までは元気だったのに、今日から物思いにふけるようになっちゃったって人も。色んな現象の人が来る。最近特に多いのは、精神的にちょっと元気がないような人。非常に増えてきちゃって。まあ、これも社会現象かなって思ってね」
確かに、そうだ。
当初は、授乳できない人が、藁にもすがる思いでお参りしたのだろう。ただ、時代の流れに伴って、育児方法の選択肢は大いに広がった。昔と異なり、母乳で育てないという人も。
一方で、子育てに関する悩みにも、変化が訪れる。
健康といっても、一概に肉体的な面だけではなく、精神的な面も含めることが多くなった。体は丈夫でも、心が病む。そんなケースもあるのだ。
ただ、残念ながら、人の悩みはそうそう消えるものではない。
単に、形が変わっただけ。
そんな人々に、どう接するか。どのような存在で、寄り添うのか。
これが、現在、寺に対して問われているコトなのかもしれない。
ご住職は、現在の状況を真正面から受け止める。
「御祈願とはそういうもんかって。今年から『身体健全』で行きますよって、寺から宣言するじゃなしに。皆さんの方から『願い』が来る。皆さんの方から教えられてくるようなことばっかり。こういうことだがや」
取材の日に、珍しく雪が降った。
ご住職がこの寺に来られた日を思い出すような非常に寒い日。
そんな昔に思いを馳せながら、無事に取材を終えた。
それにしても、なんとも不思議な魅力のご住職だった。
「まあ、やる時にはやる、やらん時にはやらん。酒飲むときには大いに笑うとか。そういう感じでいけばいいじゃないって。四六時中、張り詰めるとパンクしちゃうから。メリハリ付ければいいって。なんかそんな人生になってきた感じかねえ」
全てを。
良いも悪いも、その人のありのままを。
包み込んでくれるような、そんな感覚がした。
これでないとけいない。そんな1つの答えを導き出すのではなく。
今のままでいいのかも。話をすることで、そう思えてくるから、本当に不思議である。
それでは。
ホントの最後の最後。
ご住職の言葉で締めくくろう。
「奇跡、不思議な現象ってある。日常茶飯事とはいえんけども、そういうふうなお願いをする人がみえたときに、対応出来うるだけの容量をこっちが持ってんとあかんなと。『(この願い)はどうでしょうかねえ?』って言われて。『それはねえ…(難しい)』じゃあかんなと思って。ホントに一生懸命な人には、一生懸命に対応できるだけのこちらの腹積もりがある。そういうお坊さんでいたい」
基本情報
名称:小牧山 間々観音
住所:愛知県小牧市間々本町152
公式webサイト:安産/お乳/成長のご利益 |小牧山 間々観音| 公式ホームページ (wixsite.com)