14世紀に創建され、地震や津波などの災害にたびたび見舞われながら、地域の尽力もあって再建復興を果たしてきた無量寺。現在の本堂再建時に親交のあった京都画壇の人気絵師、円山応挙に襖絵の制作を依頼したことにより、応挙、そして弟子の長沢芦雪(ながさわろせつ)の作品が方丈の各間を飾ることになります。芦雪が本堂の建築中に描いたという虎と龍の絵図を目ざし、メルセデス・ベンツのコンパクトSUVが、陽光まぶしい南紀の海岸沿いを快適に走りました。
本州最南端に位置する、紀伊半島串本町の無量寺。山門、鐘楼、本堂と、瓦葺きの屋根が太陽を受け、南紀の空に美しく映える。
『睨み合う虎と龍』が町を守り町に守られる美術館[後半]
文・野地秩嘉
芦雪の仕事
無量寺は1707年、宝永大地震による津波で流されたが、79年の長い年月をかけ再建された。再建の年、1786年は天明の大飢饉の最中であり、田沼意次が失脚している。世界に目を移せばフランス革命の直前だ。寺を作り直した愚海和尚は京に上り、かつての知友で、画派・円山派の始祖、円山応挙を訪ねる。和尚は再建された寺のため、襖絵の制作を頼むが、多忙な応挙は串本まで行くことができない。
そこで、代役として選んだのが門下の俊才、芦雪だ。当時33歳の芦雪は応挙が描いた12面の襖絵を持ち、海路と徒歩で串本にやってくる。そして、10か月の滞在中に自身も約270点の絵を残した。
八田師は来歴を語りながら、ため息をついた。「応挙、芦雪の襖絵があるうちの寺は幸せです。毎日、この絵を見ていられるわたしも幸せです。そして、いろいろと発見があります。わたしは芦雪の技術もさることながら、空間構成が見事だと思うのです。さあ、方丈へ行きましょう。方丈のなかで絵を感じてください」
ここで収蔵館から本堂へ移動する。「たとえば、この『群鶴図』です。収蔵館では襖絵が一列に展示されていますから感じないのですが、方丈のなかで絵に囲まれると、まるで鶴と一緒に芦の湿原にいるような気持になってしまうのです」
うながされ、鶴の絵がある下間一之間に座った。座って、鶴を眺めていると、畳の部屋にいることを忘れてしまう。自然のなかにいるように感じた。そして、空間の広がりを感じさせるのが4羽の鶴が編隊飛行している描写だ。1枚の襖の右上に鶴が翼を広げて飛んでいる。わたしの視線は4羽の鶴からその先へ移ってしまう。そうしているうちに、部屋のなかを見渡している自分に気づく。芦雪は鶴を使って、人間の目が空間全体を見るように仕向けているのだ。なんという技術だろうか。
「芦雪は大工が暮らす家に下宿して、建築中の方丈を何度も見学しながら絵を描いていたそうです。空間構成を頭に置いて制作したのでしょう」
無量寺の八田尚彦師。本堂でコンサートを開催したり、「若冲の髑髏で浴衣をつくりたいと思っているんです」など、アイデア&行動力に満ちたご住職。
襖絵は襖自体に絵を描くわけではない。平らな床に紙を置き、そこに絵を描く。あるいは紙を立てて、墨を流すという技法も駆使する。そうやって、できあがったものを襖に表装する。
八田師は芦雪の絵のことになると、夢中で話す。まるで説法を聞いているようだ。「日本画を勉強している方にうかがった話なのですが、芦雪の墨は紙の奥底までしみこんでいるというのです。なんでも、墨絵を描く時は『紙に墨をしっかり入れろ』と先生から指導されるとのことで、『紙にカンナをかけても墨が残っているように』と言われるそうです」
氷のなかの魚
方丈で見ていると楽しいもうひとつの襖絵が、下間二之間にある『唐子琴棋書画図』だろう。唐子とは、中国風の髪形や服を着た幼児だ。琴棋書画とはそれぞれ音楽、囲碁将棋、書道、絵のことで、高士がたしなむ教養と言える。この絵には、子どもたちが寺子屋とみられる場所で書や絵を学ぶ風景が描かれている。
「実は、この絵にあるような風景が現実としてあったのです。無量寺は昔、幼稚園をやっていて、近所の子どもたちはこの絵がある部屋で相撲を取ったり、書道や絵の勉強をしていました。もう老人になっていますけれど、『オレは昔、襖にいたずら書きした』と威張っていた人もいます」
子どもたちがいたずら書きしたくなる気持ちもわかる。それくらい、唐子琴棋書画図に描かれた子どもや子犬は可愛い。芦雪は対象の姿を再現しているのではない。子どもや子犬が持つ動きと雰囲気を描いている。
芦雪の落款を模した『儀平菓子店』の干菓子と最中。同店の名物うすかわ饅頭とともに、串本土産として人気。
さて、襖絵には彼の印が捺してある。六角形の輪郭線のなかに『魚』の字があるものだ。そして、六角形の線は『氷』をかたどったものだ。
南紀に来る前、芦雪は自らを「氷に閉じ込められた魚」と感じていた。自由に描くことができない自分に歯がゆく感じていたので、魚(印形)という判を作った。ところが、串本に来て、思う存分、筆を振るうことができた。そのため、串本以後の作品にある印の輪郭線は一部が途切れている。
「氷は解けた。自由になった」虎図、龍図を描いて、精神が解放された芦雪は印形を変えたのだ。
串本応挙芦雪館にいる間は幸せだった。そして、見た後もなおワクワクした気持ちは続いた。芦雪の作品をもっとたくさん見たい。わたしが帰り道に思ったのはそういうことだった。
美術館をめぐる旅〜串本編ガイド〜
タウンもオフロードも軽快に走る、メルセデス・ベンツのコンパクトSUVで向かった無量寺・串本応挙芦雪館。ぐるりと太平洋に囲まれた紀伊半島の海沿いドライブは、季節を問わずなんとも爽快!応挙と芦雪の障壁画に圧倒され、若冲や白隠などにもほっこり。人気画家の作品を堪能したら、本州最南端の町の美味をどうぞ。
串本応挙芦雪館
目的の美術館はココ!
応挙と芦雪の水墨障壁画が2度楽しめる日本一小さな美術館
江戸時代の人気絵師である円山応挙と長沢芦雪による方丈襖絵で国際的にも知られる、臨済宗東福寺派の無量寺。収蔵庫に本編が、本堂方丈の各部屋にデジタル高精細による再製画が収められている。本堂に隣接する美術館では、応挙、芦雪に加え、伊藤若冲や白隠の掛軸なども。
応挙と芦雪の襖絵は55年ほど前に境内に建てられた美術館に移され、平成2(1990)年に保護性がより高い収蔵庫へ。8年前には方丈のかつてあった位置に再製画が収められ、収蔵庫で本作をじっくり眺めてから方丈で空間鑑賞するという現在の形が整った。
webサイト:串本応挙芦雪館
儀平菓子店
美味しい串本土産はココ!
優しいおいしさのまんじゅうと芦雪の落款のお菓子をお持ち帰り
明治26(1893)年創業の、串本を代表する老舗和菓子店。「お菓子は甘ければおいしい」という時代に、あずきの風味を生かすため飴の砂糖は控え、皮はごく薄くといったまんじゅうを開発したのが約100年前。3日がかりでつくるこし餡は、舌の上で溶けるようななめらかさと優しい甘さであとをひくおいしさ。
無量寺や芦雪と縁の深い当店では、芦雪の落款を施したお菓子も。和三盆の干菓子920円。うすかわ饅頭のいびつな形は、仕上げに手でふんわり握って橋杭岩に見立てたもの。箱詰めは6個720円から、3個入りのパックもあり。
webサイト:儀平菓子店
メルセデス・ベンツ
GLA 180
南紀をドライブしたのはこのクルマ!
人気のコンパクトSUV登場!
アウトドア人気ですっかり市民権を得たSUV車。その中でも街乗りや日常使いを想定して燃費や走行性を改良、多様なライフスタイルに対応する設計で登場したニューカマーがこれ。メルセデス・ベンツ初のコンパクトSUVは、ラグジュアリーさとカジュアルさが同居した現代の気分や潮風にマッチした1台に。
【メルセデス・ベンツ GLA 180】
右ハンドル 7速A/T 総排気量1,595cc 全長4,430mm 全幅1,805mm 全高1,510mm(S/R付) 車両本体価格3,980,000円(税込) ※撮影車両はオプション装着車です。
問い合わせ先/ヤナセ www.yanase.co.jp/
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-取材協力/メルセデス・ベンツ大阪西淀川-
-撮影/永田忠彦 構成/小竹智子-
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