真っ白な砂浜に、抜けるように美しいコバルトブルーの海。そして少し市街地を抜ければどこまでも続くサトウキビ畑……豊かな自然が色濃く残り、人々を惹きつけてやまない石垣島。八重山諸島の中心地であるこの島は、かつて東アジアと東南アジアを結ぶ中継貿易で大いに栄えた琉球王国(1429年~1879年)の重要な海上交易中継地点でした。
琉球王国は東アジア有数の交易国家として対外的にも認識されていた国。石垣島近郊の海には「明」であった中国からの船、逆に明に貢ぎ物をもって挨拶に向かうための朝貢船、そして島々の交易のための貿易船など、色とりどりの船が行きかっていたことと思います。
残念ながらタイムマシンがあるわけではないので、実際にその光景をわたしたちは見ることはできません……がしかし!石垣島には当時の船の一部や交易の様子を肌で感じることができる場所があるのです。その場所の名前は「屋良部沖海底遺跡」。海底に沈む、琉球王国時代の水中文化遺産です。
かつての避難港下に沈む遺跡
石垣島の西側に位置する、屋良部沖海底遺跡。この遺跡が沈むエリアは、琉球王国時代の避難港であり、台風などで海が荒れた際、船が錨を下ろして嵐が過ぎ去るのを待った場所でした。
しかし相手は自然の脅威。時には錨をつなぐ綱が切れてしまったり、船が沈没してしまったりすることもありました。屋良部崎の避難港については古文書にもその記録が残っています。
「琉球王国時代の進貢船(琉球船)が中国から帰国する途中に座礁・沈没した」
「海底の “隠れ干瀬 ” の存在によりイカリの綱がすり切れてけがをした」
このように嵐によって沈んでしまった、もしくは海に捨てざるを得なかった錨や壺が屋良部沖海底遺跡には沈んでいるのです。
屋良部沖海底遺跡にて発見されている錨は、鉄製で先端が4つに分かれている四爪鉄錨というもの。現在確認されているだけでも大小7つ以上が発見されています。これらの四爪鉄錨を海底に落とした船は対中国交易・使節を派遣するためなどに使用されていた「琉球船・大型外洋船」、琉球王国の島々の交易や輸送に使用されていた「琉球船・中小型船」、薩摩からの船である「薩摩船」、もしくは中国からの船である「中国船」のいずれか、もしくはすべての可能性があるのです。
そして同じく海底に沈んでいる壺は「壺屋焼き」と呼ばれる、琉球王国時代に沖縄で作られたもの。船が沈没したために海底に沈んだものや、少しでも船を軽くするために海に捨てられたものなど、様々な壺が海底に点在しているのです。
いざ、海底遺跡へ!
「こんな歴史ロマン溢れる場所の存在を知ったからには、この目でみるしかない! 」
ということで、実際に潜ってきました屋良部沖海底遺跡。今回ガイドしてくれるのは石垣島にあるダイビングショップ「クローバー」。お店のボートを持ち、少人数制の快適ダイビングを提供してくれるお店です。屋良部沖海底遺跡へと案内してくれるのは、オーナーである板橋さんのスタッフの松本さん。
お店の船であるクローバー号に乗り込み、石垣港から出発です。
この日の海は少し荒れ気味。目的のポイントまで波をかき分けながら高速で進んでいきます。途中何度もふわりと身体が浮くような感覚も……
船で移動すること25分。目的地であるダイビングポイントに到着しました。途中の海は時化ていたものの、この場所は静か。石垣島の西側に位置しているため、西風が吹いているとき以外は島影になり穏やかなのです。さすがは避難港として使われていた場所。
このあたりは亀の寝床があったり、魚影が濃かったりと生物が豊富な場所なのですが、今回の目的はあくまでも琉球王国時代の遺跡を見ること。
わくわくを胸に詰め込んで、屋良部沖海底遺跡へと潜行を開始します。
ゆっくりと海底へと到着すると、そこに広がるのは音のない世界。真っ白な砂浜も、水中にそびえたつ岩場も一面静かな青に包まれています。あたりを見回しながら進んでいくと水深13mあたりで複数の壺を発見!
割れずに綺麗なままのもの、半分に砕けて岩に同化しているものなど、琉球王国時代の壺がゴロゴロと転がっていました。様々な形はあれど、どの壺の表面にも貝やサンゴがびっしり。そこに流れたであろう長い年月が、壺を覆っています。
壺は保存状態がいいものが多く、数百年前に嵐の中沈んだとは思えないものばかり。海に落ちた壺はゆっくりゆっくりと海底へと沈んでいったのだろうか、などとどこまでも想像は膨らんでいきます。
そこから進むこと約10分。水深22.5メートルあたりにて今度は大きな四爪鉄錨が目に飛び込んできました。その大きさはなんと2メートル級!並んで写真を撮るとその巨大さがよくわかります。2メートルの錨を積んでいた船ということは、その大きさは千石船級サイズ。たくさんの人と荷物を乗せた船に一体何があったのか……当時を思うと、ぞわりと恐怖が湧きあがってきます。
船は停泊させる際、錨を風の吹いている方に向けて打ちます。もしもこの四爪鉄錨が当時のままの向きであるとするならば、当時の風向きがわかるかもしれない。そう思って錨の向きを調べてみると
なんと西向きに打たれていました。つまり西からの激しい風が吹いていた際に、この四爪鉄錨をのせた船は避難所に停泊していた可能性があるのです。前述したように屋良部崎は石垣島の西側にあるポイント。西風以外の風向きであれば島影になり穏やかですが、吹き荒れる西風からは遮るものがなにもなく、ひどく荒れる場所なのです。
もちろんこの四爪鉄錨がなんらかの理由により向きが変わった可能性もあります。また当時どのようにして錨を下ろしたのかも想像することしかできません。しかし海底に沈む大きな錨は、当時海が荒れ狂っていたであろうこと、そしてここで大きな海難トラブルがあったことを静かに、そして雄弁に語り続けているのです。
知識を学び遺跡に出会う!屋良部沖海底遺跡セレクテッドスペシャリティーダイバーコース
屋良部沖海底遺跡は2010年に発見された、まだ新しい遺跡。未知な部分が多く、今なおその調査が進められています。壺が密集する場所では船体の部品である船釘が見つかっており、今後この場所から海底の砂の中に埋まっている沈没船が発見される可能性もあるといいます。もし沈没船が見つかったとして、その中から一体どのようなものが出てくるのか……想像しただけでも胸が高鳴ります。
今回わたしはダイビングショップ「クローバー」のファンダイビングで潜りに行ったのですが、この屋良部沖海底遺跡、2022年3月1日より遺跡研究者と地元ダイビングショップの連携による特別なコースが開設されました。その名も「屋良部沖海底遺跡セレクテッドスペシャリティーダイバーコース」。屋良部沖海底遺跡に特化した、アカデミックなダイビングコースです。
このコースは約10年という長い年月をかけ、九州大学浅海底フロンティア研究センターが地元石垣島教育委員会や様々な機関と連携しながら進めてきたもの。海底にある水中文化遺産をそのまま現地保存し、野外ミュージアムとして公開を進めるという「海底遺跡ミュージアム構想」に基づき生まれたもので、文化遺産の保護のふたつの側面、「保存」と「活用」を満たす取り組みです。
遺跡に関する知識を学び、保全のためのトレーニングを受けた特別なガイドさんによる事前講義に、海底での詳しいガイド。より深い知識をもって潜ることで、さらなるワクワクを感じられるに違いありません。自分の呼吸音しか聞こえない、静かでほの暗い海の底。そんな中でずっしりと重く、色鮮やかな歴史のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。
◆NAUI屋良部沖海底遺跡スペシャルティダイバーコース 予約先
取材協力:ダイビングショップ「クローバー」