「死ぬまでにやりたいことリスト」を作っておくといいよ、と言われたことがある。リストアップしておいて、1こ1こ達成していくと楽しいから、と。
その時にはさして重く受け止めてもいなかったのだが、世情的にも個人的にも、「あって当たり前」「行けて当たり前」「できて当たり前」が、けっして「当たり前」ではないのだということが痛感されるようになってきた。そもそも、死ぬまで、と言ったところで、自分がいつまで生きていられるのかすら判然としない。今現在、特に気がかりがなかったとしても、だ。
「死ぬまでにやりたいことリスト」を作るとするなら、その筆頭に燦然と輝くのは間違いなく高千穂(たかちほ)旅行「だった」。「天孫降臨(てんそんこうりん。アマテラスオオミカミの孫・ニニギノミコトが地上に降り立った、の意味)」の地として名高い宮崎県北部、熊本・大分と境を接する「神話と伝説のまち」、ここを訪れることは長年の夢だったのだが、縁とは奇なるもの、令和4年の秋、突如として生涯最大の希望が叶うこととなった。
神話と伝説の息づく地、高千穂へ
高千穂は記紀にもその名が残る、古くよりの名所である。旅行客は年間約140万人(2021年度は新型コロナの影響により約83万人)を数え、パワースポットとしても非常に高い人気を誇る(ちなみに『延喜式』に記される天孫降臨の地は県内に2カ所あるが、ニニギノミコトがそれぞれの地に片足ずつ着いたため、ということになっているのだそうだ。もう1カ所は鹿児島県境付近)。
町には日本神話の神々の像が点在し、それらのうちのどれかは必ず自分に似ているのだという。日常の中に記紀の世界が溶け込むような、緑の美しい場所である。
しかしその高千穂でも、「当たり前」が当たり前にならない事態が起きた。令和4年9月17~19日の台風14号被害である。高千穂峡が大増水に見舞われ、岩が崩れ、遊歩道の一部も押し流された。復興までには最低でも1年間を要する見込みだという。令和4年10月現在遊歩道は閉鎖され、当然、観光ボートなどが出せる状況ではない。
ボートを楽しみにしていたから、少し残念な気持ちはあった。が、よく考えてみれば、ここを聖地と崇めてきた年月からすると、舟からではなく、地上から拝してきたのであろうことは想像に難くない(ここを舟で観光しはじめたのは昭和初期ごろからだそうだ)。これもまた巡り合わせであろう。
そして、この大惨事にあっても、高千穂町企画観光課の課長補佐・谷川氏は穏やかに笑う。「神々が岩肌をきれいに洗ってくれた」と。多額の復興費用に作業手配、各所からの問い合わせなど、心懸かりは山積しているのであろうに、自然ですから仕方がありません、と達観した表情を浮かべるのだ。
宮崎県の主要観光スポットは、人間の造形物が単体で存在するというより、自然そのものであったり、自然と非常に近しい場所として在るという。観光地の整備も人間の利便性ではなく、自然とともに生き、自然に寄り添う、といった方向性でなされているのだそうだ。だからなのだろうか、この高千穂の地にはいまだ神々の気配が息づくような雰囲気が漂う。
常の姿も無論美しいだろうが、この困難にあってなおしなやかな人々の姿にこそ、強い思いが込み上げてきた。
願いは復興。人々の思いを乗せた、高千穂あまてらす鉄道
実は、これまでにも高千穂を大災害が襲っている。その爪痕が、意外なところに残っていた。
「この路線は今、鉄道ではなくて、遊具という扱いなんですよ」。そう話す専務の口調には、微かなやるせなさが滲む。
現在、高千穂あまてらす鉄道として使用されている路線は、かつて国鉄(のちに第3セクター)として高千穂~延岡間を結んでいた。しかし平成17(2005)年9月6日、台風14号が高千穂を襲い、橋梁2カ所が流出、廃線を余儀なくされた。奇しくも令和4年と同様の「台風14号」による「9月」の被害である。
現在は屋根のないディーゼルエンジン搭載カート「グランド・スーパーカート」に乗って路線の一部(片道2.4㎞、約30分)を楽しむことができる。
また、平成17年まで現役だった車両の運転体験という、なかなかに貴重なアトラクションもある。運転技術を教えてもらって実際に運転できるとあって、100回以上体験に訪れているファンも複数いるのだとか(詳細は公式サイト参照)。
カートはユーモアたっぷりの案内放送とともに高千穂の自然の中を進む。地元の人たちが手を振ってくれることもしばしばあり、心躍ると同時にほっと癒される30分間の旅である。
カートの動力はとんこつラーメンの廃油を利用したバイオ燃料で、復路ではとんこつラーメンのよい香り……ではなく、チャーハンのような香ばしい、まあいずれにしても腹の鳴るような香りを楽しむこともできる(副産物だが)。
屋根のないカートは外気をダイレクトに受けるが、そこには五感で高千穂の自然を感じてもらえるよう、といった意味合いもあるのだそうだ。が、図らずも「三密」を避けて楽しむことのできる、時代に合ったスポットとなっている。
鉄道復活の夢を乗せながら、ディーゼルカートは今日も高千穂を行く。
我が心を今一度、せんたくいたし候
高千穂峡は、阿蘇山の大噴火による火砕流と長い年月によって現在の姿となった。川岸にそびえる岩肌・柱状節理(ちゅうじょうせつり)は上部が約9万年前、下部が約12万年前にできたとされる。人の寿命を80年とするとその約1500倍、この地にあって盛衰を眺めてきたことになるが、その間にはきっと大小様々な困難が通り過ぎていったに違いない。
古来、人は自然とともにあった。自然を敬い、自然に怯え、そこに神を見た。その本来の姿を今回、期せずして目の当たりにしたのかもしれない。
天と地と、そして人と。日常に忙殺されて溜まっている雑多なものを、この高千穂の地が洗い流してくれた気がした。
取材協力
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・あまてらす鉄道https://amaterasu-railway.jp/attraction
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