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2019.12.09

東京にお城の跡が100もあるって知ってた?おすすめの7城を観光ガイド

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道灌から小田原北条氏100年、そして徳川氏の江戸260年へ

文明12年(1480)、長尾景春が再び挙兵し、古河公方がこれを後押ししますが、道灌は景春が本拠とする日野要害(現、埼玉県)を攻略。古河公方はさらなる継戦を断念し、文明14年(1483)に和議が結ばれ、28年続いた享徳の乱がようやく終わります。その功績が八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした太田道灌にあることは、誰の目にも明らかでした。

しかし、家臣の声望があまりに大きくなると、主君があらぬ疑念やねたみを抱くのは世の常です。文明18年(1486)7月、道灌の主・扇谷上杉定正(さだまさ)は、道灌を本拠の糟谷(かすや)館に招いて暗殺。死ぬ間際、道灌は「当方滅亡」と口にしたといいますが、その言葉通り、扇谷上杉家は滅亡への道をたどりました。

両上杉氏の勢力に代わって戦国時代の関東を席捲(せっけん)したのが、小田原北条氏でした。北条氏2代氏綱(うじつな)は、道灌が築いた「江戸城」を確保。また氏綱は娘を世田谷城の吉良頼康(よりやす)に嫁がせ、足利一門である吉良氏を傘下に収めています。頼康は、道灌に協力して江戸城の留守をあずかった成高の息子でした。赤塚城、志村城の千葉氏も、北条氏の家臣となります。

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世田谷城跡土塁

おすすめの城5

「世田谷城」

(世田谷区豪徳寺2丁目)
世田谷区役所の近くにある古刹(こさつ)・豪徳寺。招き猫伝説や、彦根藩井伊家の菩提寺として知られますが、寺に隣接するのが世田谷城跡です。足利氏一門の吉良氏によって応永年間(1394~1426)頃に居館が築かれ、吉良成高が城郭として修築、「世田谷御所」と呼ばれました。妻が扇谷上杉家の出身ということもあり、成高は一貫して太田道灌に協力します。城は南に突き出た舌状(ぜつじょう)台地上に築かれ、三方を烏山(からすやま)川が洗い、天然の濠としていました。現在、豪徳寺参道に沿って土塁と空堀が残り、隣接する小高い丘が世田谷城址公園となっています。主郭は豪徳寺にあったと考えられ、寺と城址公園一帯が城域だったでしょう。なお世田谷城の支城に、大平出羽守が拠った奥沢城(世田谷区奥沢、九品仏浄真寺)がありました。
アクセス:東急世田谷線「宮の坂」下車 徒歩約5分

初代の伊勢宗瑞(いせそうずい、北条早雲)以来、5代約100年にわたって関東に君臨した北条氏ですが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅びました。代わって関東に入ったのが徳川家康です。家康は道灌が築き、北条氏も拠点とした「江戸城」を近世城郭へと大改修し、日本最大の城に生まれ変わらせて、徳川260年の牙城としました。

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江戸城富士見櫓

おすすめの城6

「江戸城」

(千代田区千代田)
現在、皇居となっている江戸城は、徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって築かれたもの。本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸、吹上曲輪(ふきあげぐるわ)を外曲輪が囲み、今日の千代田区全域と中央区の大半、港区の一部を含む、世界でもまれな大城郭です。かつては家康、秀忠、家光がそれぞれ新たな天守をあげていましたが、4代将軍家綱の時の明暦の大火で焼失し、以後、再建されていません。なお、太田道灌が築いた最初の江戸城は、現在の本丸部分にあたるといわれます。
アクセス:地下鉄各線「大手町」下車 C13a出口より大手門まで約5分

そして時代は幕末へ。嘉永6年(1853)、アメリカ艦隊を率いるペリー来航に、徳川幕府は江戸湾の防備を固めるため、「品川台場」を築きました。台場とは「砲台場」のことです。これもまた東京都内に残る城郭の一つです。

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第三台場

おすすめの城7

「第三台場」

(港区台場1)
嘉永6年のペリー来航後、幕府は江戸湾防備の強化に乗り出します。そして勘定吟味役格の江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)らの進言もあり、西洋式の海上砲台「御台場」築造が決まりました。台場は石垣で囲まれた四角形や五画形で、大きさは現存する第三台場を例にすると、1辺が160m~180mほど。石垣の上に土塁が築かれ、そこに18ポンドカノン砲が設置されました。第三台場の場合、南東と南西に5門ずつ、北東と北西に4門ずつが配備されています。こうした台場を南品川猟師町(品川洲崎)から深川洲崎の海上に11基築造する計画でした。さらに途中で、陸続きの御殿山下台場も加えます。このうち第一、第二、第三台場は翌年7月に、第五、第六、御殿山下台場は同12月に竣工。第四、第七は着工するも途中で中止。第八以降は未着工に終わります。ペリーの再来航は2月に早まったので、結果的に間に合わなかったのですが、築造途上の台場を見て、ペリーは江戸湾に入らなかったともいいます。台場は敵艦に十字砲火を浴びせることのできる配置でしたが、実際に火を噴くことはありませんでした。現存するのは第三、第六台場で、第三台場は自由に見学できます。
アクセス:ゆりかもめ 「お台場海浜公園」下車 徒歩約15分

簡単にお城めぐりの「はしご」ができる

いかがでしたでしょうか。今回、取り上げた7城は、第三台場を除いて、すべて太田道灌が関わる城でした。訪れると、地形などから当時の雰囲気と、城にまつわる人々の息づかいを感じることができるでしょう。太平の世が続いた江戸時代のイメージで、一般に23区内は合戦とは無縁と思われがちですが、室町時代後期から戦国時代にかけて、実は激しい戦乱の舞台でもありました。

また東京近郊に暮らしながら、江戸城をじっくり見学したことがないという人も意外に多いものですが、非常にもったいないことです。徳川幕府による日本最大にして最強の城は、現在皇居として、ある意味現役であり、一般公開されている皇居東御苑(本丸、二の丸、三の丸)を歩くだけでもその威容に目を見張るはずです。そして東京湾に面する観光スポットお台場は、幕末の危機感から生まれたもう一つの城でした。

これらの城の見学が、鉄道で1日に複数「はしご」できるのも交通至便の都内ならでは。天気の良い日を選んで、ぶらりと都内のお城めぐりに出かけてみてはいかがでしょうか。東京の風景が、それまでとはまた、違って見えてくるかもしれません。

参考文献:黒田基樹『図説 太田道灌』、東京都教育委員会編『東京都の中世城館』(以上、戎光祥出版) 他

書いた人

東京都出身。出版社に勤務。歴史雑誌の編集部に18年間在籍し、うち12年間編集長を務めた。「歴史を知ることは人間を知ること」を信条に、歴史コンテンツプロデューサーとして記事執筆、講座への登壇などを行う。著書に小和田哲男監修『東京の城めぐり』(GB)がある。ラーメンに目がなく、JBCによく出没。