Travel
2019.11.13

イエスは日本で106歳まで生きた?青森に残る「キリストの墓」の謎を探る

この記事を書いた人

イエス・キリストはゴルゴダの丘での処刑を逃れ、ひそかに日本にやってきた-。そんな突拍子もない伝承が青森県の村にある。結婚して子どもを3人残し、106歳まで生きて天寿を全うしたというのだ。ついのすみかになったとされるその村には「キリストの墓」があり、毎年6月には墓前で神主が祝詞をあげ、村人たちが盆踊りを踊るというが本気なのか。珍スポットには目がない私。ワクワクしながら現地を訪ねてみると…。

キリストの末えいは地方公務員?

手前が「キリストの墓」と伝えられる十来塚、奥が「イスキリの墓」とされる十代墓

手前が「キリストの墓」と伝えられる十来塚、奥が「イスキリの墓」とされる十代墓

JR八戸駅から車で1時間。青森県新郷村の静かな丘の上に、その墓はあった。二つの土まんじゅうの上に、それぞれ木製の十字架が立てられている。一つは「十来塚」と呼ばれるキリストの墓。もう一つは「十代墓」と呼ばれ、ゴルゴダの丘でキリストの身代わりになって処刑された弟のイスキリなる人物の墓とされている。木漏れ日の中の十字架は確かに神々しさを感じさせる。冬になると一帯は深い雪に覆われるという。
「キリストの墓」について日本語と英語で説明されている

「キリストの墓」について解説する案内板。日本語と英語で説明されている

墓のそばには、イスラエル大使がこの地を訪れたことを記念する石碑があった。新郷村の村長もイスラエルを訪問し、現地で新郷村とそっくりの風景を見たと話していたそうだ。

ここはもともと、村の旧家・沢口家代々の墓所の一角。村役場の話によると、キリストの子孫とされる沢口家には、目が青く鼻が高い日本人離れした風貌の人物もおり、村人の間で「天狗が住んでいる」と言われていたという。もしかしたらキリストの末えいかもしれない沢口家の現在の当主は、村役場に長年勤務したあと、数年前に定年退職した。
キリストの子孫とされる沢口家には日本人離れした風貌の人物もいたという。キリストの里伝承館の展示より

キリストの里伝承館の展示。キリストの子孫とされる沢口家には日本人離れした風貌の人物もいたという

二つの土まんじゅうについては、村では古くから「偉い侍の墓」と語り継がれてきたが、誰の墓であるかは分かっていなかった。それが「キリストの墓」と「断定」されたのは、1935(昭和10)年のこと。茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる「竹内文書」という古文書に、キリスト日本渡来について記されていたそうで、竹内巨麿なる人物がその記述を頼りにこの地を訪ねてきて、墓をキリストのものと断定した。墓を見つけたときは、これが求めるキリストの墓だと、感激で気も失わんばかりだったという。翌1936(昭和11)年には考古学者の一団が「キリストの遺書」を「発見」するなどして、村は一躍注目を集めるようになった。

だが、そんなさなか、竹内は不敬罪で起訴されてしまう。「竹内文書」に当時最大のタブーだった天皇家の祖先に関する記述があったためで、同文書も偽書と断定された。竹内は戦時下の1944(昭和19)年に逆転無罪を勝ち取ったが、当局に証拠として押収され裁判所に保管されていた「竹内文書」は、1945(昭和20)年3月の東京大空襲により、謎を残したまま大部分が焼失してしまった。

「ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄

2019年6月2日に開催された「キリスト祭」で、「ナニャドヤラ」を踊る人々(新郷村役場提供)

2019年6月2日に開催された「キリスト祭」で、「ナニャドヤラ」を踊る人々(新郷村役場提供)

「キリストの墓」に木製の十字架が立てられたのは1963(昭和38)年のこと。以来、村では毎年「キリスト祭」という慰霊祭が行われ、村の「ナニャドヤラ芸能保存会」の人たちが墓を囲んで踊るのが恒例となっている。

「ナニャドヤラ」は岩手県北から青森県南にかけての南部地方に伝わる盆踊り唄で、歌詞は「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」という単調な繰り返しだ。この意味不明の歌詞について、米国に住んでいた神学博士の川守田英二という人物が、ヘブライ語で神をたたえる意味で、メロディーもユダヤで古来歌われてきたものにそっくりだと主張。それがキリスト渡来説の根拠のひとつとなっている。もっとも民俗学者の柳田国男はヘブライ語説を否定し、「なんなりとおやりなさい なんなりとなされませんか なんなりとおやりなさい」と訳しているそうだ。

1963年に第1回「キリスト祭」が開かれた際は、神父が招かれ、みんなで賛美歌を合唱した。これが村民たちの間では「祭りにはなじまない」と不評だったため、翌年からは地元神社の神主が墓前で祝詞を上げる形式になったという。新郷村役場によると、「村にはクリスチャンは1人もおらず、キリスト教会もありません」とのこと。この地が隠れキリシタンの里だったというような話もないそうだ。

それでも村役場では、村の地名や風習にはキリストと関係ありそうなものが幾つかあると主張している。

(1)地名の由来は「ヘブライ」?
この地が合併して新郷村になる前の村名は「戸来(へらい)村」。戸来はヘブライから転化したものではないか。

(2)十字架にまつわる風習
村には、赤ちゃんを初めて外に連れ出す時、その額に墨で十字を書く風習がある。足がしびれたときにも額に十字を書く。亡くなった人を埋葬すると、その上に3年間は十字の木を立てる風習もある。

(3)「ダビデの星」の家紋
村には「ダビデの星」を家紋としている家がある。

(4)父母の呼称がヘブライ語?
村では父親を「アヤー」、母親を「アッパー」と呼ぶ。これはイスラエルでの呼び方と似ている。
村では初めて子どもを外に連れ出す時、額に十字を書く風習がある

村では初めて子どもを外に連れ出す時、額に十字を書く風習がある

村役場は「本当だったらいいな」

キリスト渡来説を信じるかどうかはともかく、「キリストの墓」がこの村にとって重要な観光資源となっているのは確かだ。墓の周辺は「キリストの里」と名付けられ、公園として整備されている。毎年6月第1日曜日の「キリスト祭」には米軍三沢基地の米兵や県外からの観光客、さらに海外からも見物に訪れる。恐山と並ぶ青森のミステリースポットとしてマニアの間で人気を集めているのだ。

村のラーメン店では「ダビデの星」形のナルト入り「キリストラーメン」が名物。キリストの里伝承館では、もう一つの村の名物「ドラキュラアイス」というアイスクリームが販売されており、ふたには十字架が描かれている。なぜドラキュラかというと、吸血鬼の嫌いなニンニク入りだから。ニンニクは村の特産品だ。
特産のニンニクを使った村の名物「ドラキュラアイス」

ふたに十字架が描かれた「ドラキュラアイス」

村としてキリスト渡来説をどう捉えているのか。ある関係者は「村の人たちで本気にしている人はあまりいないかもしれない」と明かすが、同村企画商工観光課の堀合真帆主事は「私自身は、キリストの墓が本物である可能性はあると思っています。本当だったらいいなという感じです」と期待を寄せる。

キリスト渡来説を地元の伝承として大切にする村役場の姿勢からは、夢やロマンの追求だけでなく、「キリストの墓」を村おこしに役立てたいというしたたかな戦略もうかがえる。「興味を持ってもらえて、観光客がいっぱい来てくれればいいなと願っています」と堀合さん。人口約2500人のこの村では少子高齢化と過疎化が深刻な課題となっており、地域活性化への思いは切実だ。私たちにだって、異説を頭ごなしに否定するのではなく、謎は謎として楽しむ大らかさがあってもいいかもしれない。

ちなみに同じ青森県内には、シャカがインドからやってきて山で修行したとの言い伝えも残っており、「シャカの墓」もあるという。また今度行ってみようかな。