長い冬を終えてようやく春の息吹が感じられる弥生3月。春というだけで心はずむ3月の「江戸ごよみ東京ぶらり」では、江戸の雛祭りや江戸開府に先駆けて創業した老舗酒造が手掛ける江戸名物をご紹介。
江戸ごよみ東京ぶらり 弥生候
“江戸”という切り口で東京という街をめぐる『江戸ごよみ、東京ぶらり』。江戸時代から脈々と続いてきた老舗や社寺仏閣、行事や文化など、いまの暦にあわせた江戸―東京案内。すっかり春気分の3月は、雛祭りの歴史から江戸の節句事情、また江戸っ子を虜にした白酒のお話しを。3月を楽しむ東京ぶらりをご案内します。
雛祭りは厄災を祓うことからはじまった?
3月といえば、「雛祭り」。女子のすこやかな成長を祝う日として知られていますが、それが定着したのは江戸時代。そもそも雛祭りは、「上巳(じょうし)」、「形代(かたしろ*)」、「雛遊び(ひいなあそび)」、の3つの行事や習わしが結びついたものとされています。
*けがれや厄を託して川や海に流すもの。多くは紙の人形(ひとがた)をしている。
古代中国で3月はじめの巳の日(上巳)には「桃花節」という邪気を払う儀式がありました。水辺で厄災を祓う風習もあったようです。その儀式が日本古来からの禊と結びつき、自らの厄災を形代に移して川や海に流すという、日本の「上巳の祓い」となります。そして儀式としての形代は、その役目とともに愛らしい紙雛(かみびな)としても発展して、平安時代には貴族の子女の遊び道具になります。
上巳の祓いの形代と遊び道具の雛人形が結びつき、また江戸時代に五節句として祝いの行事となったことで、お雛様を飾っての「雛祭り・上巳の節句」が武家から庶民にまで広く浸透していきます。しかし上巳が祓いではなく祝い日となったとはいえ、明暦2(1656)年刊の『世話境草』には「三月三日ひな遊び巳祓」とあり、江戸初期のころは雛遊びと巳の祓いが一緒になっていたようです。
江戸の絵巻に描かれている日本橋の雛市
享保(1716年~)以降、江戸に人形や雛飾りをあつかう雛市が立つようになります。とはいえ、はじめは京都からの下りものがほとんど。しかし寛政(1789年~)には、名工と呼ばれた原舟月、川端玉山などの江戸の人形師が登場。江戸職人の人形が市に並ぶようになりました。なかでも日本橋の本石町十軒店と銀座尾張町は江戸の二大雛市として知られていました。
江戸名所を描いた天保7(1838)年刊『江戸名所図会』には、雛市で本石町十軒店(日本橋室町あたり)が賑わう様子が描かれています。市開きの2月25日から終いの3月2日まで、人形や道具を買い求めるひとで終日賑わったとか。東京メトロ「三越前」駅の地下通路には、文化文政の頃の日本橋の賑わいを描いた「熈代勝覧(きだいしょうらん)」(ベルリン国立アジア美術館所蔵)の複製絵巻が約17メートルにわたって壁面に飾られています。当時の町や通りの雰囲気などはもちろん、通りを歩く人の屈託のない笑顔やお金を数える商人の表情など、江戸に暮らすひとの生き生きとした様子が伝わってくる色鮮やかな絵巻。そんな熈代勝覧には、十軒店の雛市も描かれているので近くに立ち寄りの際はぜひご覧ください。
家の狭さが生んだ苦肉の“雛段飾り”
雛飾りといえば、内裏雛に三人官女や五人囃子を飾る段飾りが定番。実はこの段飾り、江戸から生まれたスタイルなのです。江戸の風俗史『守貞謾稿』には「京都や大坂は二段にして赤毛氈をかけて中央に夫婦雛を飾り、江戸は七、八段にして上段に夫婦雛を飾る」とあります。江戸の町人は狭い家に暮らしていたために、必然的に段を設けて人形を飾るように。それが武士や農民へと伝わり、広くても狭くても段飾りが一般的になったそう。もし江戸の家が広かったら、「ひな段芸人」というネーミングも生まれなかったかもしれません。
サトウハチローが作詞した童謡「うれしいひなまつり」にも詠われる、雛祭りに欠かせない桃の花や菱餅。上巳を桃花節として邪気払いをした古の中国では、桃の香気が邪気を払うとされていました。門扉に桃の枝を挿して魔除けにしたという話もあります。暦では花の多い季節ながら、雛祭りにあえて桃の花が飾られるのはその名残。供え物の菱餅は、赤・白・緑の三色で彩られています。赤は桃の花を指して魔除け・厄除けを、白は残雪を意味して清浄さを、緑は蓬や母子草でつくり邪気払いを意味しているそう。また雛祭りの定番となった白酒は、江戸中期より飲まれるようになったと言います。
鳶職人から医者まで手配した白酒の売り出し日
「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と江戸っ子に詠われた酒造・豊島屋。江戸開府に先駆け慶長元(1596)年創業、当初は神田・鎌倉河岸で江戸城普請に集まった男衆相手に豆腐田楽や酒を出す店を商っていました。16代目当主の吉村俊之さんは、420年を越える店の歴史や名物の白酒についてこう話します。「今でいう居酒屋みたいなものでしょうね。当時は京や大坂の下り酒を売っていました。江戸の繁栄とともに店もますます繁盛していったようです。江戸名物の白酒ですが、何代目かの当主の夢枕に立った紙雛のお告げをもとに考案したと伝わっています」。
蒸したもち米や米こうじを味醂で醸した白酒を売り出すと、またたくまに江戸で評判となります。「味醂で醸すため白酒は甘みが強い。当時は甘いものがとても貴重でしたから。また雛祭りのお酒ということで、女性が堂々と飲めたことも人気に繋がったのかもしれませんね」。天保7(1836)年刊の『江戸名所図会』には、「鎌倉町 豊島屋酒店 白酒を商ふ図」にも、その人気ぶりが描かれています。「当時は2月25日から数日間のみの販売でした。江戸中から人が押し寄せたため、入口と出口を別々にしたり、あらかじめ購入いただいた白酒切手と引き換えにしたり、と販売方法にもいろいろと工夫を重ねたようです。また具合の悪くなったひとを見つけるための鳶職人、もしもに備えた医者などを手配。万全を期して販売していたようです」。江戸っ子を虜にした名物の白酒は、当時とほぼ変わらぬ味で今も受け継がれています。1月末から旧暦雛祭りまでの限定販売。アルコール分7度としっかりお酒なので、大人の雛祭りにお楽しみください。
明治半ばに、みずから清酒づくりをはじめた豊島屋。明治天皇の銀婚式をあやかり命名した「金婚」は、江戸総鎮守の神田明神や山王日枝神社、明治神宮へと奉納されて御神酒としてふるまわれています。また2017年には、東京・八王子産の食用米と100年前にみつかった江戸酵母、東京・東村山にある酒蔵に沸く富士山系の伏流水で仕込んだ「江戸酒王子」を販売。「東京が注目される一年に向けて、米も水も酵母もオール東京で造った日本酒。爽やかな酸味と甘みが特徴で白ワインにも似ているので洋食にもあわせやすい」と吉村さん。江戸庶民に親しまれてきた伝統の味とともに、東京の日本酒を追求し続ける老舗酒造・豊島屋です。
おまけ二十四節気、3月は啓蟄と春分
最後に江戸市民の暮らしに寄り添っていた暦・二十四節気(にじゅうしせっき)についてもご案内を。2020年の弥生こと、3月の二十四節気は3月5日の「啓蟄(けいちつ)」と2月20日の「春分(しゅんぶん)」です。
5日の「啓蟄」は、冬眠していた虫たちが目を覚ますことを意味します。冬の寒さに耐えていた植物や動物も春の訪れを感じはじめるころ。20日の「春分」は、昼と夜の長さがほぼ同じぐらいになるころ。春分から夏至までは日照時間がどんどん長くなっていきます。そして春分をはさむ前後一週間はお彼岸です。お彼岸のお供え「ぼたもち」は、牡丹の花に見立てた菓銘です。秋の彼岸には萩の花に見立てて「おはぎ」と呼ばれていますが、最近では春も秋もおはぎと呼ぶことが多いようですね。
年明けからもう3月!早い、早すぎると感じているアナタ。3月ってなんだか慌ただしさがあるのは、春のはじまりだからでしょうか。江戸っ子にならって、雛祭りぐらい昼から白酒でのんびりしたいものです。
江戸的に楽しむ3月の東京案内
豊島屋本店(ショップ)
住所:東京都千代田区神田猿楽町1‐5‐1
電話:03-3293-9111
営業時間:10:30~17:00
休日:日・祝日(土曜は不定休)
https://www.toshimaya.co.jp/