CATEGORY

最新号紹介

10,11月号2024.08.30発売

大人だけが知っている!「静寂の京都」

閉じる
Travel
2020.03.17

島流し先で新規事業⁉︎八丈島で焼酎造りを広めた薩摩の男、丹宗庄右衛門

この記事を書いた人

成功した人間が転落していくのを、あざ笑う人たちがいます。でも、イノベーションを巻き起こす人物はどんな局面でも決して自分を諦めず、やがて軽やかに復活する。「島流し」という屈辱を受けながら、はるばる流れ着いた島で焼酎産業を根付かせ、その名を歴史に残した丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)。そのストーリーと、島酒を知り尽くした店主がおすすめする島の焼酎5選を紹介します!

東京の島酒を生み出した、ある流人

東京島嶼(とうしょ)部の名産品のひとつに、東京の島酒と称され親しまれる、焼酎があります。島に根付いた焼酎醸造の文化。じつは、あるひとりの流人がもたらしたものなんです。

古くからの流刑地、伊豆諸島

東京の島嶼部は、伊豆諸島と小笠原諸島から成ります。
伊豆諸島は古くから、「島流し」(流罪)を言い渡された人々が送られる流刑地として知られ、中世から近世にかけて多くの罪人が流されてきました。

八丈島の八丈小島と八丈富士
写真/一般社団法人 八丈島観光協会

薩摩のセレブ・丹宗庄右衛門、流れ流れて八丈島へ

伊豆諸島のうちの一島、八丈島にもかつて多くの流人がいました。薩摩国の丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)もそのひとり。
丹宗庄右衛門(1812~1875)は薩摩国阿久根(現鹿児島県阿久根市)出身。代々、廻漕問屋(船を使って商売した問屋)を営む家柄で、薩摩藩の御用商人をつとめ、苗字帯刀を許されていました。当時の特権階級、セレブとも言えますね。

しかし、人生何があるかわかりません。貿易が制限されていた当時、庄右衛門は琉球を介した清との貿易を密告されて、罪に問われてしまいます。嘉永6(1853)年、現在の感覚でいえばまだまだ働き盛りの40代前半で、庄右衛門は八丈島に「島流し」されてしまうのです。

「島流し」でもめげない! 庄右衛門が広めた焼酎造り

薩摩国から、流れ流れて八丈島へ。商人としてバリバリに働いてきた庄右衛門にとって、島の印象はどんなものだったでしょうか。
そのころ、八丈島は食糧事情が悪く米も不作でした。食べる物にも不足する状況下で、貴重な米で酒を造ることは禁じられていました。
たびたび飢饉が起きていた江戸時代、幕府はやせた土地でもよく育つさつまいもを積極的に栽培するよう奨励し、八丈島はじめ伊豆諸島にもさつまいも栽培が伝わっていました。薩摩国はそもそもさつまいもが特産品で、さつまいもを使った焼酎造りが盛んな土地。庄右衛門は故郷での知見を活かし、島で芋焼酎を醸造してみよう、と思いつきます。

そこからは、庄右衛門の財力とキャリアがものを言います。薩摩から醸造用の設備と焼酎造りに適したいもを運ばせ、島の人々に焼酎造りのノウハウを伝授したのです。江戸時代の八丈島の様子を記録した『八丈実記』では「米粒一粒費(ついやし)ナク」、つまり、米をまったく使わずに酒を造ることで、「農作家作ニ大益ヲ得タリ」、みんなに大きな利益をもたらした、と称賛されています。

かつて焼酎造りに使われた大きな甕をあしらった「島酒の碑」。
写真/一般社団法人 八丈島観光協会

丹宗庄右衛門は15年の刑期を終えて薩摩に帰郷。島には焼酎の文化がしっかりと根付きました。庄右衛門は胸を張って故郷に帰ったことでしょう。昭和42(1967)年には、庄右衛門の功績を残そうと、八丈島役場のそばに「島酒の碑」が建てられます。
セレブな生活から一転、罪人の烙印を押され未知の土地に流されても、ひらめきを形にして新たに事業を起こす。革新をもたらす人材はいつの時代も柔軟で前向き。めげてちゃだめなんですね。

「押上よしかつ」店主がおすすめする東京の島酒5選!

丹宗庄右衛門の尽力によって八丈島に根付いた焼酎造りは他の島にも伝えられ、現在も伊豆諸島の名産品のひとつとなっています。

伊豆諸島産の焼酎。個性派ぞろい!

東京・墨田区にある「東京特産食材ともんじゃの店  押上よしかつ」は、東京産の食材にこだわるもんじゃ焼き店。東京産の日本酒や焼酎を取り揃えています。なかでも、東京島嶼部の焼酎の品揃えがすごい。店主の佐藤勝彦さんは利き酒師の資格を持ち、好みに応じてお酒をセレクトしてくれます。

「押上よしかつ」店主・佐藤勝彦さん。店内には東京の島酒がずらーっとディスプレイされ、佐藤さんの解説を聞くだけでも楽しい

そんな佐藤さんおすすめの東京の島酒を5銘柄、紹介していただきました。

「島流し」 八丈島・八丈島酒造

写真/一般社団法人 八丈島観光協会

大正4(1915)年に「清五郎酒屋」として八丈島で創業した八丈島酒造の1本。
八丈島に流された罪人たちは刑期を終え本国に帰った後、幸せな人生を送っただろう……そんな人々にちなんで名づけられたという、その名も「島流し」。八丈島産のさつまいもと国産の丸麦、麦麹が原料。

八丈島酒造の醸造所。焼酎の生産量は、島内のさつまいもの収穫量にも左右されるという
写真/一般社団法人 八丈島観光協会

「島流し」は、材料にこだわって丁寧に手作業で仕込まれる
写真/一般社団法人 八丈島観光協会

佐藤さん:「島流し」は麹の香りが豊か。呑みごたえのある焼酎です。なぜかサラリーマンのお客さんに人気があります……

「青酎」 青ヶ島・青ヶ島酒造


断崖絶壁に囲まれた急峻な地形でフェリーの就航率が5割、「神のご加護がないと辿り着けない島」の異名をもつ青ヶ島。島民168人(2015年11月現在)のうち、なんと10人が杜氏という杜氏率高めな島で、さまざまな種類の焼酎が作られています。
「青酎」はさつまいもと麦をそれぞれ分けて蒸留し、バランスよくブレンド。いもの香りがおだやかで呑みやすい1本。

佐藤さん:人気の銘柄です。香ばしさがあって、濃厚。アルコール度数は35度と高く、ガツンと来ますよ。うちでは前割り(酒を前もって水で割ること)して寝かせたものも提供しています。

「盛若 樫樽貯蔵」 神津島・神津島酒造


神津島は、シンボルである天上山と白い砂浜が織りなす絶景が広がる島。おいしい水が湧き出る土地で、焼酎は厳選した素材と天然水で仕込まれます。神津島酒造は明治27(1894)年創業の蔵元。「盛若」は、樫の木の樽で熟成させたまろやかな味わいの麦焼酎です。飲むと元気はつらつになるため「若い盛り」という意味を込めて「盛若」の名が付いたとか。

佐藤さん:樽香が豊か。軽快な木の香りが楽しめます。ソーダ割りにすればウイスキーのハイボールのような飲み口です。

「七福嶋自慢」 新島・宮原 新島酒蒸留所


サーファーやダイバーに人気の新島。「七福嶋自慢」は新島特産の七福芋を原料とした芋焼酎です。七福芋は白くて小さなさつまいもで、島内では「あめりか芋」と呼ばれます。一時は収穫量が激減しとても希少な品種でしたが、この焼酎の製造を機に生産量が増えました。「あめりか芋」の甘味と麦麹の香ばしさを感じる味わい。

佐藤さん:新島のいものほっこりした味、そのもの。やさしい味わいで呑みあきません。

「庄右ヱ門」 八丈島・八丈興発


八丈島の焼酎産業を興した功労者・丹宗庄右衛門リスペクトの1本、「庄右ヱ門」。
丹宗庄右衛門が八丈島で焼酎製造をはじめた時代には芋焼酎オンリーの展開でしたが、次第に島内でさつまいもの生産量が減少すると、麦焼酎が造られるようになりました。この「庄右ヱ門」は原点に立ち返り、八丈島産のさつまいもを100%使用した芋焼酎。原料確保が難しく品薄な状況が続いている貴重な銘柄です。

佐藤さん:香ばしさとまろやか感があり、いもの旨みもあります。

東京の島酒ともんじゃ焼きを楽しむ店

「押上よしかつ」では、日本酒や焼酎に合うようにもんじゃ焼きやお好み焼きの生地を調整しています。東京都東久留米市産「柳久保小麦」に米粉を加え、しっとりもっちりやわらかいのが特徴。東京の伝統野菜「江戸東京野菜」を使い、“東京の郷土料理”としてのもんじゃ焼きを追求しています。
東京の島酒はここで紹介した以外にも多数用意。東京産をはじめ全国のおいしい日本酒もそろいます。東京スカイツリー見物の後は、ぜひ「押上よしかつ」で、特別なもんじゃ焼きと東京の島酒を楽しんでくださいね。

「東京特産食材ともんじゃの店 押上よしかつ」

住所:東京都墨田区業平5-10-2
営業時間:
月~土17:00~24:00(22:30までに入店)
日・祝 11:30~14:00(夜は予約営業)
定休日:不定休
※営業時間・定休日は変更となる場合があるので、来店前に店舗に要確認。
公式サイト

書いた人

寺社巡り、歳時記、やきものなど、さまざまな日本文化にまつわるウィークリーブックの編集担当を経て、料理専門誌編集部へ。たんぱく質不足。炭水化物過多。お腹はゆるゆるでいいが背中はバキバキでありたいので、背筋を中心に日々トレーニングしたりしなかったり。