「食べる抹茶」を世界に羽ばたかせた!愛知の地方都市が世界のNISHIOになるまで

「食べる抹茶」を世界に羽ばたかせた!愛知の地方都市が世界のNISHIOになるまで

かれこれ7年ほど前、タイへの出張のためのお土産を選んでいると、タイ通の友人に「お土産は抹茶がいいよ」とアドバイスを受けた。「飲む、あの抹茶?」と聞くと、「いや、食べる抹茶」と言われ、衝撃を受けた記憶がある。その後、日本にもタイからの来日観光客が急増するようになり、お土産に大量の抹茶のお菓子を購入していく姿をテレビでもよく見かけるようになった。いつのまにやら、抹茶は「飲むもの」だけでなく、「食べるもの」へと変化していたのだ。

確かに、私たちも気づけば、抹茶アイスは定番の人気商品になっているし、チョコやケーキなどのスイーツも豊富だ。木村拓哉が主演したドラマ「グランメゾン東京」では「抹茶クリームチーズパスタ」が登場し、話題になった。お茶室で飲む抹茶は非日常だが、スイーツや料理に使用される抹茶は、今や日常的な食べ物だ。

この「食べる抹茶」を世に広めたのが愛知県の一地方都市、西尾市というのはご存じだろうか。「西尾市」と聞いても、ピンと来ない人が多いかもしれないが、風光明媚な三河湾に面した静かな農業や漁業の盛んな地域。「一色うなぎ」の産地としても有名で、最近では、離島の「佐久島」が現代アートの島として注目を集めている。忠臣蔵の「赤穂浪士」に討たれた吉良上野介(きらこうずけのすけ)が代々居を構えたのは、ここ西尾市吉良町。悪名高き君主として名を残しているが、地元では善政を行った名君として親しまれている。今も吉良家の菩提寺・華蔵寺(けぞうじ)には、忠臣蔵ファンが押し掛けるなど歴史ある町だ。

抹茶づくりに適した気候、土壌、材料がそろい、抹茶の里として発展

西尾市にお茶が伝わったのは、文永8(1281)年、鎌倉時代に実相寺(じっそうじ)の住職がお茶の種を蒔いたことに始まり、最初は薬用のためのお茶として広がっていった。明治5(1872)年に、紅樹院(こうじゅいん)の住職によって、宇治から製茶技術が伝えられ、地元農家が栽培を開始するようになる。ただ、京都と静岡という茶の二大産地に挟まれた西尾市は、同じことをしていてはとうてい勝ち目がないことに早くから気づいていた。そこで抹茶の原料、てん茶に絞った生産農家が増えていく。現在でも西尾市では、97パーセントがてん茶を栽培している。それは全国でもとても珍しい。

文永6(1279)年に創建された実相寺は吉良氏の菩提寺でもある。南北朝時代の文化財も数多く遺る由緒ある寺

「宇治抹茶」という巨大ブランドの壁に苦しんだ「西尾抹茶」

西尾市は、温暖な気候と矢作川の育む豊かな土壌に恵まれ、良いお茶ができる環境があった。さらには隣の岡崎市は、上質な御影石が採れることもあり、抹茶にする工程で使用する石臼の産地となっている。販路には、尾張徳川藩からの流れで喫茶文化の盛んだった名古屋市が近かったこともあり、「環境」「道具」「商圏」と好条件がそろっていた。

最初に摘み取られる一番茶の抹茶畑が広がる

しかし、明治初期、すでにお茶の産地として有名だった京都や静岡に挟まれ、後発で茶の栽培を始めた西尾市には、相当の苦労があったという。全国に抹茶の営業に行っても、「宇治の抹茶」の巨大ブランドに押されて、なかなか愛知県以外での取り扱いは増えていかなかったそうだ。そもそも「宇治茶」は京都だけでなく、奈良、滋賀、三重で生産されるお茶も「宇治茶」と表記される。市町村単位の生産量では全国有数の西尾市でも、「宇治茶」の4府県にまたがる生産量とブランドの前には幾度となく苦杯をなめることとなった。

創業当時はお茶と藍玉(あいだま)を製造していたことが現在の社名「あいや」の由来である

西尾市で明治21(1888)年に創業した老舗、株式会社あいやには「抹茶を忘れず、抹茶を離れろ」という言葉が受け継がれている。抹茶の原料てん茶の生産を主流にするが、抹茶にこだわるだけでなく、時代時代にあった抹茶を作り、販売していかなければならないということだ。

3代目社長の時代に、京都や静岡のお茶と同じ土俵で戦うのではなく、食品加工用の原料として売り出してはとスタートしたのが「食べる抹茶」の始まりでもあった。さらに国内のみで勝負するのではなく、海外へ。まだ抹茶が知られていない場所で売り込めば、勝てるのではと輸出へとシフトしていった。その長年の努力があって、株式会社あいやでは、現在生産量の半分以上を海外へ輸出しているそうだ。しかし黒字化するまでには20年以上の歳月がかかったという。

1955年当時の工場内の様子

アメリカの健康ブームでセレブが抹茶に注目! 抹茶からMATCHAへ

株式会社あいやは、アメリカ向けに1983年緑茶の輸出を開始。まずはグリーンティーの市場から始めたが、1985年のプラザ合意による円高の結果、輸出を断念。続いて、健康志向に着眼し、抹茶のサプリメントを販売するも全く売れずに撤退。それでも諦めずに販路を模索する中、ようやく2001年頃から、アメリカで健康医学が流行り始め、お茶、グリーンティーが健康に良いと関心がもたれ始めた。食品メーカーも健康食材としての抹茶に関心をもち始めたため、食品の展示会を利用して積極的に販路拡大に努めた。これが大きな転換期となった。

「アメリカでのブース出展時には、伝統的な石臼を持って、実際、粉にしていく様子を見せました。さらにオリジナルで用意した抹茶アイスを提供したところ、評判になりました」とあいやの広報担当の本多正直さん。

抹茶は煎茶と異なり、茶葉の栄養素を丸ごと摂取できる。そのため、多くのビタミンやカテキン、テアニンなどが含まれる抹茶は、自然の薬、自然のサプリメントと言える。抗酸化作用をもとにアンチエイジング効果が期待できるなども相まって、アメリカで人気が出た。カフェで出すラテも人気となり、1980年代から、オーガニック抹茶の栽培に取り組んできたことも食の安全に関心の高い層に受けた。今ではオバマ前大統領やアメリカのセレブたちは、抹茶ラテを好んで飲むようになっている。

伝統製法を守りながら、最高品質の抹茶はこうして生まれる

「現在、西尾市の生産量は年間約450トン。そのうちの5分の1は海外に出荷しています」と話してくれたのは西尾茶協同組合事務局長の奥谷陽一郎さん。

これが伝統の「棚式覆下栽培」で太陽光を96パーセントカットする

西尾抹茶の特徴は、茶葉の生産だけではない。その製法は今も伝統に基づき、量産ではなく良質を目指しているという。原材料の茶葉は「棚式覆下栽培(たなしきおおいしたさいばい)」といって、96パーセントの太陽光を遮る遮光素材で25日間以上、茶葉を覆っていく。これは、遮光することで、大きい面積で浴びたいと茶葉自体が大きく育ち、厚さも薄くなることで、アミノ酸たっぷりの美味しい茶葉が出来上がるそうだ。また、加工においては、手動からオートメーション化になっても、御影石の茶臼を使用している。
「高級茶にはもともと石臼を使っていたんです。抹茶は粉の中でも繊細で、細かいため、多量の熱を持つと風味がとんでしまう。1分間に60回、茶臼で挽くことで、粉々になった茶葉が放出された時点で茶葉の熱が冷やされ、一番おいしい抹茶が出来上がる。手間はかかるし、量はできないが、熱がそれ以上加わらないので、風味が良いんです」と奥谷さん。

機械化されても抹茶を挽く部分は茶臼を使用

これらの抹茶製造工程は工場見学でも見ることができるし、手で臼を挽く体験もできる。また、西尾市の中学生は、てん茶の茶摘みを長年、就労体験しているとか。地場産業がどのように行われ、発展していくかを小さい頃から学んでいるので、自分たちの産業という意識がとても強いという。

そのため、抹茶ブームの牽引役となっているのは市内にあるカフェだ。早くから、抹茶を使ったオリジナルスイーツを提供。市外からも訪れるほどの人気を誇っている。中でも西尾抹茶をたっぷり使ったエスプーマのかき氷やバウムクーヘン、ティラミスなどは行列ができるほどの人気だ。

西条園あいや本店で一番人気のバームクーヘン

「平成28(2016)年から、西尾市では、夏は『西尾かき氷』、冬は『西尾パフェ』と20店舗以上のお店が協力して、スタンプラリーを行っています。見て、食べて、楽しんで、西尾の抹茶を知ってもらう機会になればと思っています」と西尾市観光協会事務局長の近藤稔幸さんも、行政・企業・市民が一体となって、「西尾の抹茶」を盛り上げていると語ってくれた。

一地方都市の熱い思いは、未来へとさらに大きく羽ばたいている。

市内22店舗のカフェや甘味処が22店舗参加し、オリジナルスイーツが楽しめるイベント
開催期間 2020年9月30日まで開催
問い合わせ 一般社団法人西尾市観光協会
西尾かき氷2020公式HP

住所 愛知県西尾市上町横町屋敷15
西条園あいや本店

「食べる抹茶」を世界に羽ばたかせた!愛知の地方都市が世界のNISHIOになるまで
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする