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2019.08.21

75頭の鹿の首を捧げる「御頭祭」って? 縄文時代は終わったあともスゴかった!【長野】

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縄文人の祈りをつなぐ精霊「ミシャグチ」とは

諏訪の縄文を語る上で、「洩矢神」と共に覚えておきたい神、あるいは精霊の名が「ミシャグチ」です。ミシャグチは、古代より長野県を中心に、主に中部〜関東で信仰されてきた神様で、そもそも諏訪大社上社の「狩猟民的」祭の根幹にあるのは、このミシャグチ信仰なのだとも言われます。

現在、ミシャグチは「子孫繁栄」のご利益があるとされることが多いのですが、そもそもは「石の神」だったとも、「蛇の神」だったとも言われています。ところで「石の神」「蛇の神」「子孫繁栄」と聞いて、思い出すものがありませんか。そう、連載第1回の「尖石縄文考古館」で見た、諏訪の誇るエキセントリックな土器「蛇体取手土器」です。


蛇体取手土器。「蛇体」装飾部分拡大。(全て尖石縄文考古館蔵)

蛇体取手土器は縄文時代中期に諏訪のあたりで生み出されたと見られ、中部〜関東まで派生していったスタイルの土器です。尖石縄文考古館の山科先生によると、この蛇体取手土器が生み出されたすぐ後に、縄文人のマツリの道具「石棒」も大量に作られるようになったのだそうで、両者は元々同じ動機から作られたのかもしれないのです。すなわち、蛇の「多産」と、脱皮をする「再生」の能力、また石棒に象徴される「子宝」と「再生」への願いです。


縄文中期の石棒と石皿。(全て尖石縄文考古館蔵)石棒は男性器の象徴、石皿は女性器の象徴とされています。

ミシャグチの起源が、縄文時代の蛇体取手土器、あるいは石棒や石皿にあるとする説は全く推測の域を出ません。しかし現在分布するミシャグチ信仰の根強い地域と、縄文時代に「蛇体取手土器」によって築かれていた一大文化圏は、非常に奇妙な一致を見せています。また、現在ミシャグチを祀る神社はその御神体として、縄文中期の石棒と石皿を祀るのが典型的なのだそうです。縄文人が蛇体取手土器や石棒に託した祈りが、形を変えつつ現在までつながってきたのだとしても決して不思議ではありません。

中部〜関東のミシャグチ文化圏を守ったのが洩矢神?

呼び方は、ミシャグジ、ミサグジ、ミサクチ、など地域によって様々ですが、ミシャグチを祀る神社は全国におよそ2000社あると言われています。そしてその総本社の形をとっているのが、諏訪大社上社の前宮です。上社前宮は諏訪大社4社の中でもっとも成立が古く、また古代「洩矢族」の本拠地であったと考える研究者もいます。そもそも、諏訪大社上社の神事を神長官守矢氏が取り仕切ってきたのも、守矢氏がミシャグチ信仰に関する一切の権限を有する司祭であり、ミシャグチ神を降ろす秘法もまた、神長官のみが行うことができるとされてきたからです。

もしかしたら守矢氏の祖先神「洩矢神」とは、蛇体取手土器、あるいはのちに石棒・石皿、あるいはその後ミシャグチとなる縄文的祈りでつながった中部〜関東の縄文文化圏を守る神だったのかもしれませんね。


守矢家の敷地に祀られるミシャグチ「御頭御射宮司総社(おとうみしゃぐちそうしゃ)」

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。