日本文化の入り口マガジン和樂web
12月9日(金)
柴扉暁に出づれば 霜雪のごとし(廣瀬淡窓)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
12月8日(木)

柴扉暁に出づれば 霜雪のごとし(廣瀬淡窓)

読み物
Travel
2022.11.05

鎌倉時代版『鬼滅の刃』!?鬼退治した鎌倉御家人を調査&鬼の住処まで行ってみた!

この記事を書いた人

武士が鬼退治や妖怪退治をする話はよくあります。藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)の大ムカデ退治、源頼光(みなもとの よりみつ)の酒吞童子(しゅてんどうじ)退治。源頼政(みなもとの よりまさ)の鵺(ぬえ)退治や、上総広常(かずさ ひろつね)・千葉常胤(ちば つねたね)・三浦義明(みうら よしあき)の九尾狐退治など。

『鎌倉殿の13人』の面々が大活躍!

これらの話は平安時代の話で、鎌倉時代になると現実的になってくるのか武士が怪異を退治するという話は減っています。しかし岐阜県可児郡・瑞浪市には鎌倉御家人が鬼を退治したという伝承が残っています!

どんな伝承かというと、こんな感じです。

関の太郎伝説

正治元年(1199)年ごろ、山の上の洞穴に怪しげな賊が住んでいました。その賊は非常に乱暴者で付近の村の民家を襲い、美しい女性を見ればさらって酷い目に遭わせます。

その賊が産まれたのは「不破関(ふわのせき=関ケ原あたり)」だったので、関の太郎(せきのたろう)と呼ばれていました。その名前を聞くだけで、人々は震えあがり、市場を開いても人が来なくなってしまいました。

そこで村人たちは領主の纐纈盛康(こうけつ もりやす)に訴えます。当時、盛康は京都で後鳥羽上皇の御所の警備をしていました。それで4人の武勇の誉れ高い家来を帰して領内を警備させましたが、関の太郎は妖術を使い空を飛び、姿を消すので捕まえられません。

そこで4人は神仏の力を借りるため、薬師如来の堂に籠って祈りました。すると夢のお告げがありました。

『2月10日の薬師如来の祭りに多くの人が集まる。そこに必ず関の太郎もやってくるだろう。祭りにやってくる身元が確かな村人の手のひらに印をつけると良い』

祭りの日になると、ひとりの美少年が現れました。どこからどう見ても怪しい様子はなかったのですが、手のひらに印はありません。そうして正体を見破った武士が捕まえようとしました。いつものように妖術で逃げようとする関の太郎でしたが、薬師如来の祭日で加護があったため妖術を封じられていました。

こうして関太郎は討ち取られたのでした。

仏のパワーの力を借りて討ち取る、正統派鬼退治! 4人の家来はさしずめ「鎌倉版鬼殺隊」でしょうか。

しかし関太郎の物語には異説もあります。

異説その1 教祖・関の太郎

ある日、ボロをまとった体格の良いお坊さんが願興寺(がんこうじ)へやってきました。若い頃は乱暴者でしたが、仏門に入って改心し、諸国を渡り歩いているそうです。関(岐阜県関市)で生まれ、太郎という名前でした。

太郎坊の人柄に人々は心酔し、次から次へと話を聞きにやって来るので村がとても賑わいました。

領主の纐纈盛康の家来たちは、始めは寺が繁盛するのはよいことだと温かく見守っていました。ところが次第に太郎坊は信者を多く集めて力をつけ、信者たちも領主よりも太郎坊の言う事を聞くようになってきます。

そのことを知った盛康は今のうちに太郎坊の勢力を取り除こうと、「太郎坊は人間ではなく鬼の化身だ」と言って村から追い出してしまいました。

「再びこの地に訪れたら殺すからな」と言われ、太郎坊は山の上の洞窟に籠りました。信者たちは密かにそこを訪れます。そしてある日のこと、願興寺の薬師如来の御開帳があり、太郎坊はそれをどうしても見たくて再び村に行きました。

無事拝むことができてさぁ帰ろうとした時に、信者の1人に見つかってしまいました。信者は泣いて喜んでいましたが、大騒ぎとなってしまい武士に見つかって捕らえられ、処刑されてしまいました。

なんと、こちらの話では纐纈さんたちが悪い感じですね……。でも領主にとって領民が自分の言う事を聞かないというのは、なかなかの危機なのかもしれません。

そういえば『鬼滅の刃』でも、新興宗教の教祖となった鬼が出て来ましたね。果たしてこの話の関の太郎は人間だったのか、それとも鬼だったのか……。

異説その2 纐纈一族の異端児

その若者は、纐纈一族の中でも特に体格に恵まれていました。けれど気が優しく、武芸より機織りを好むような性格でした。そのため一族から相手にされず馬鹿にされ、ある日とうとう家出をしました。

当てもなくさまよっていたところ、山賊たちの仲間になってしまいます。若者は武勇に優れているわけではなかったのですが、山賊たちは体格が良い纐纈一族の者が仲間になったことを触れ回りました。

この事を知った纐纈一族は一族の不名誉をそそぐため、討伐を決意しました。しかし軍勢を指揮していた盛康はある作戦を実行します。

「山賊たちは、生活に困っているから悪事を働くのだ。お前たちの安全な生活を保障しよう。その代わり二度と悪事に手を染めるな」

こうして山賊たちは土着の民として生活し、若者も改心させましたとさ。

おお、この盛康さんはとても立派です! 鬼ではなく山賊ですが、山賊を山賊でなくすことが一番の山賊退治というわけですね! 私はこの話が一番好きかもしれません。

私もこの話が好きです!

纐纈盛康ってどんな人?

それでは実際の纐纈盛康さんってどんな人だったのでしょうか。

実は鎌倉御家人であるのですが、『吾妻鏡』には登場していません。平治(へいじ)の乱を描いた軍記物語『平治物語』に登場します。

それによると、纐纈盛康は、源頼朝の父・義朝(よしとも)の家人です。乱の後捕まった頼朝が伊豆へ流される時、家人たちが集まってきて出家する事をすすめます。しかし盛康だけはそっと「髷は切らないでくださいね」と耳打ちしました。

「あなたが助かったのは八幡菩薩の加護にちがいありません」

これにより、頼朝は出家しろと誰に言われても無視をしたといいます。そして盛康は京から伊豆までの道中を、鏡宿(かがみのしゅく=現滋賀県蒲生郡)までお供しました。

その後、盛康は公的な文献には登場しませんが、領地のあった岐阜県可児郡御嵩町の願興寺にある『大寺記』という記録にはこのように書かれています。

建久・正治(1190~1201年)の頃、纐纈盛康という人物がいた。平治の乱後、頼朝を見送った後は、後白河法皇の御所の警備をし、法皇が亡くなった後(1192年)に鎌倉へ行って頼朝と再会した。そこで頼朝からこの地の地頭職を賜った。

そして当院(願興寺)の薬師如来の由来を聞いて深く信仰し、多くの寄付をしてくれた。そして当郷で毎月10日に市を開き、栄え、境内に多くの建物を建てた。

こうしてみると、立派なお殿様だったようですね!

いざ、鬼退治の地へ!

立派な領主として名が残っているのだから、さぞやその遺構もあるにちがいない!! ということで伝説の地、御嵩町へフィールドワーク(という名の妄想旅行)に行ってきました!

鬼の墓

まずは名鉄広見線の御嵩口(みたけぐち)駅に降り立ちました。駅の近くには、なんと盛康さんが退治した関の太郎の墓があるとのこと!

市場で討ち取った関の太郎の首を桶に入れて京都へ持って行こうとしたところ、突然重くなって動かなくなってしまい、その場所に埋めたという伝承があります。

それが御嵩町にある「鬼の首塚」ですが昭和の初めごろは「鬼の胴塚」と「鬼の手塚」もあったそうです。鬼はすぐに生き返ってしまうので、体をバラバラにして埋葬しなければいけませんでした。現在、胴塚と手塚は失われてしまったものの、『御嵩町史』にはかつての地図が載っていました!

現在の地図に落とし込むと、こんな感じです。

国土地理院地図で作成
怖い図だな(笑)。

まず胴塚へ向かいました。

胴塚?

一面の畑になっていますが、高くなっている場所がありますね。ここが「胴塚」だったのでしょうか。

次に行った首塚は、石碑がありました。

関の太郎首塚

周りには由緒書きや、子供向けの案内の看板も立っていて、地元の人から大切にされている事が伺えました。

そして手塚は線路を挟んだ向こう側。

手塚?

『御嵩町史』によると、昭和20(1945)年ごろには、円形墳のようなものがあり桜の木が植わっていたそうですが、現在はその桜の木もありませんでした。

纐纈神社

手塚跡から再び線路を渡り、御嵩口駅の近くに行くと「纐纈神社」があります。

国土地理院地図で作成

纐纈盛康の孫にあたる人物を祀ったものと伝わっています。

纐纈神社

社自体は小さいですが、周辺は公園として整備され、やはり地元の人たちに愛されているようでした。

願興寺

さて、関の太郎伝説でも、纐纈盛康にとっても重要な場所である願興寺へと向かいます。御嵩駅までは歩いても7~8分ほどです。

国土地理院地図で作成

御嵩口駅から御嵩駅に向かう直線は、盛康さんが開いた市場があったそうです。

御嵩駅の目の前にドーンとある願興寺は、なんと現在は改装工事中! 2026年7月まで大改修のため、本堂は白い幕で覆われていました。

いよいよ鬼の住処。鬼岩公園へ!

御嵩町からは予約制の乗合タクシーに乗り、いよいよ関の太郎の本拠地があった鬼岩公園に向かいます。

鬼岩ドライブインから

鬼岩公園にはさまざまな見どころがありますが、今回は関の太郎が住んでいたと言われる「鬼の岩屋」と、まるで刀で切ったかのような亀裂が入った「鬼の一刀岩」を目指します。

「雰囲気あるな~~~」

鬼の一刀岩

とりあえず、高低差のある一刀岩コースを登り、緩やかな岩屋コースで降りることにしましたが……。

「……いやいや、これ片道20分とか、嘘でしょ……」

道中の亀裂がある岩を見ては、「もうこれが一刀岩ってことでよくね?」と呟きつつ、軽い気持ちで鬼岩公園に来たことを後悔し始めた頃でした。

目の前に絶景が!!

私の写真の腕で伝わります? このポコポコ出てるのが一つの岩なんですよ。

絶景に癒されて気力回復し、気合を入れて一刀岩を目指しました。すると……。

蓮華岩と名付けられた大きな花崗岩の間を進むと……。

確かに刀で切ったような亀裂が!! さらに足元に目を落とせば……。

「こ、これは!!」

誰かが置いて行ったのか、刀の柄が……。

「全集中!」

「ていやっ!」と振り下ろし、私は大満足しました。

鬼の岩屋

鬼の一刀岩があるところが、コースの頂上だったようで、あとは下り坂です。

御智那岩

落ちそうで落ちない「御智那岩(おちないわ)」を通り過ぎ。

もみじ橋

真っ赤で目立つ紅葉橋を渡って、川沿いを進むと……。

鬼の岩屋

ついに関の太郎の住処、鬼の岩屋が!! ……って、コワ~~~!

出入りは自由で、中は自動で電気がつくとはいえ、ちょっとひとりで入るには躊躇する暗さ! でもこの恐怖に打ち勝ってこその鬼退治! 魔除けのご利益もあるということで意を決していきましょう!

怖かった……。

完走した感想

というわけで、無事鬼退治伝説も完走しました。関の太郎も退治した纐纈盛康さんも地元民にとても愛されているようで、ほっこりします。

鬼岩公園はまるで日本じゃないような絶景の連続。本当に鬼が出て来そうな異界に迷い込んだ雰囲気で、入口に戻って来た時はホッとしました。

人の気配がするって素敵……

ちなみに公園近くの鬼岩パーキングの飲食店は水曜日定休日なので、それ以外の日に行くのがおススメです。私は水曜日に行ってしまってお腹すきました!(関の太郎の罠か!?)

お疲れ様です!!

これから紅葉の季節になるので、鎌倉時代が好きな人にも、鬼が好きな人にも、そうでない人にも、ますますオススメしたいスポットですね!

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。