シリーズ一覧はこちら。
私たちにとってはごく普通の入浴習慣も、初めて経験する外国人には、ビックリされることが少なくありません。現代でもそうなのですから、江戸から明治時代にかけて日本を訪れた外国人の目に、温泉はどのような印象を与えたのでしょうか。
鎖国をしていた江戸時代も、海外との情報の交換が、唯一の窓口であった長崎・出島を通して行われていました。そのうち、江戸時代初期に来日し『日本誌』を著したドイツ人医師・ケンペルや、幕末にオランダ商館医となったドイツ人・シーボルトなど、出島を訪れた外国人は必ずと言っていいほど、長崎に近かった佐賀県・嬉野(うれしの)温泉を訪問。温泉を体験するとともに、成分の分析などの研究も行っていました。
思いがけない有名人が温泉を体験していた!
江戸時代に温泉を体験した外国人はほかにも、トロイア遺跡を発掘し、日本と中国を訪れた『旅行記』を書いたドイツの考古学者・シュリーマン、フランス貴族で女性冒険家のボーヴォワール、イギリス初代駐日公使オールコックらがいます。彼らは、混浴であった温泉の浴場に驚きを隠せなかったものの、「郷に入りては郷にしたがえ」の精神を有していたのか、比較的好意的に受け止めていました。
明治時代になると、政府が海外の知識人を招請(しょうせい)し、旅行で訪日する人が増加。温泉を初めて体験する外国人も増えていきます。そんな人々の役に立ったのが、前述の人々が残した日本に関する記録でした。それを見て、入浴習慣などをあらかじめ承知していた人は、温泉に対する偏見もなく、混浴などに対しても意外なほど寛容。むしろ積極的に体験しようとしていたようです。
温泉も混浴も、意外にすんなり受け入れられていた
やがて、神奈川県・箱根温泉や群馬県・伊香保(いかほ)温泉、長崎県・雲仙(うんぜん)温泉などが保養地として発展。外国人向けのリゾートホテルが誕生するなど、外国人への対応をいち早く進め、温泉の魅力を広く海外にアピールする役割も果たしました。
温泉が観光と結びついて受容されていった一方で、政府に招かれて来日した学者や技術者などの「お雇(やと)い外国人」の中には、温泉を研究対象とする人が現れます。その代表が、日本人が礼儀正しいふるまいをしていることに感心したという感想を述べています。
これらは決して、好意的な意見だけを選んだわけではありません。混浴に対して驚きはしても、嫌悪感を抱いたというような感想はほとんどなかったのです。しかし、当時の明治政府は混浴を禁止していきます。むしろそれを非難する外国人が多かったのは、皮肉な話です。
開国して間もなく、諸外国の発展ぶりを知った明治政府は、国民生活を世界的水準にしようと、日本の伝統を否定してまで欧米の国々に追いつこうと、必死だったのかもしれません。だから、混浴が野蛮だと軽蔑されるのを恐れていたのでしょう。
ですが、外国人は混浴を日本の伝統的風習として尊重し、温泉の魅力の一部として受け入れていた…。それを知ると、温泉はこれからますます、世界の注目を集めることになっていきそうです。
【湯宿DATA】
ホテル一井(ほてるいちい)
住所:群馬県吾妻郡草津町草津411
電話:0279-88-0011
宿泊料金:2名1室利用時1名15,000円(税込)~(1泊2食付)
アクセス:JR北陸新幹線「軽井沢駅」より草軽交通・西武観光バス「草津温泉」下車。送迎あり(到着時要連絡)。
公式サイト:https://www.hotel-ichii.co.jp/
構成/山本毅 参考文献/『温泉と日本人 増補版』八岩まどか(青弓社)、『温泉の日本史』石川理夫(中公新書)
※本記事は雑誌『和樂(2023年2・3月号)』の転載です。
※表示の宿泊料金は税金・サービス料込みの金額です。別途入湯税や、入浴料などがかかる場合があります。また、連休や年末年始など、特別料金が設定されている場合もあります。
※お出かけの際には宿のホームページなどで最新情報をご確認ください。