パソコンのない時代にどうやって作っていたの?愛知の陶磁器メーカー・ノリタケの超絶テクニック

パソコンのない時代にどうやって作っていたの?愛知の陶磁器メーカー・ノリタケの超絶テクニック

「オールドノリタケ」。それは、森村組と日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)が明治時代中期から第二次世界大戦終結までに製作した陶磁器の総称です。

「盛上」「金盛」「エナメル盛」といったさまざまな技法を凝らされ、優れた技術と伝統的な感性が融合した芸術作品として今なお人々を魅了している「オールドノリタケ」の世界をご紹介します。

明治時代から続く老舗陶磁器メーカー「ノリタケ」

「ノリタケ」の歴史は、森村市左衛門、豊(とよ)兄弟が銀座に貿易商社「森村組」を立ち上げたことに始まります。1876(明治9)年のことです。

渡米した豊は、ニューヨークの6番街に「モリムラブラザーズ」を設立、森村組が輸出する日本の骨董品や陶磁器、うちわ、提灯といった雑貨類の販売を開始しました。

装飾性の強い花瓶や飾皿、飾壺などを「ファンシーウェア」と呼びますが、当時のアメリカでは、上流階級の嗜好品としてヨーロッパ製ファンシーウェアが人気を博していました。

小売業から卸売業に転換したモリムラブラザーズは、陶磁器のもつ将来性に確信を持ち、オリジナルの陶磁器作りを開始します。こうして、ヨーロッパ製にも引けを取らぬほど完成度の高い製品を次々と生み出しました。

技法を駆使し、西洋の美術様式や当時の流行を取り入れた手が込んだデザインでしたが、一般大衆向きの価格であったため、店頭に並ぶと飛ぶように売れました。

「オールドノリタケ」に施されている技法をいくつかご紹介しましょう。

オールドノリタケ超絶テクニックの数々

盛上

陶磁器の表面に粘土等で立体的な装飾を施す技法を盛上といいます。欧米でも「MORIAGE」と呼ばれ、森村組が得意としていたことからオールドノリタケの多くにこの技法が用いられています。

中でも一陳(いっちん)という道具を用いる技法を一陳盛といいます。生クリームを絞り出してケーキをデコレーションするように、一陳の中に泥漿(でいしょう)と呼ばれる水分の多い粘土を入れ、手で絞り出して生地の上に点や線を盛り上げます。

金点盛

金盛は一陳などで模様を盛り上げ焼成した後に筆で金液をかぶせ塗りする技法です。浮き彫りのように見せる効果があります。また、一陳や竹串で細かい点を盛り上げ、焼成後、金液をかぶせ塗りする技法を金点盛といいます。

エナメル盛

光沢のあるガラス質の多い絵の具で盛り上げた技法です。宝石を埋めこんだように見えることからジュールともいいます。

転写紙

画柄を印刷したシート状のもので、白素地に貼り付け焼成し画柄を施します。転写紙により、同じ画柄を大量生産することができるようになりました。当時、多色刷の転写紙はすべてヨーロッパからの輸入品であり、材料としては大変高価なものだったようです。そのため、工賃が安かった日本では、陶磁器の多くが熟練の画工による手作業で画付けが施されていました。

モールド

石膏の割型の内側に人物や動物といったさまざまなモチーフを彫刻し、その型に泥漿を流し込んで成型する方法です。焼成後、さらにぼかし技法で彩色を施し絵柄の立体感を高めます。

当時の絵付職人はライオンを一度も見たことがないはずですが、職人の手にかかれば、デザイン画を見ただけで、このとおり。

テレビもネットもない時代に、デザイン画だけで完成!?

モリムラブラザーズではいち早く図案部を設け、アメリカ人の好みに迅速に対応するシステムを整えます。アメリカで採用されたり日本から派遣されたりした絵師たちは現地で生活しながら、肌で感じ取った流行をデザイン画に反映させていました。

ご覧ください。デザイン画と寸分たがわぬこの完成度を。

そのデザインは、ヨーロッパで描かれてきた伝統的な図柄はもちろん、古代エジプト風やネイティブアメリカンといったモチーフまで、図柄は多岐に渡ります。

例えばこちらは、空を見上げるネイティブアメリカンを描いた飾壺。

テレビもインターネットもなく、外国人すら見たことがないであろう絵付職人たちがアメリカから届いたデザイン画だけをたよりに作り上げた作品です。

見本帖は現代の商品カタログ顔負けの内容

ノリタケには、今でも当時の陶磁器のデザインが描かれた画帖が約120冊存在します。中でも「見本帖」は、色彩や絵柄、形などがすべて再現されたものであり、実際の商品のかわりに顧客のもとへ持参していたもの。いわば当時の商品カタログでした。

開発になんと10年!困難を極めた純白の生地

1894(明治27)年、モリムラブラザーズは、ディナーウェア(洋食器)の販売を決意します。ところが一つ問題がありました。
当時、森村組が仕入れていた生地は純白でなく灰色を帯びており、ディナーウェアには適していなかったのです。純白の生地の開発は困難を極め、9年後、ようやく白色硬質磁器を完成させることができました。

そして1904(明治37)年、森村組は名古屋市則武(のりたけ)に「日本陶器合名会社」を創立、近代的な設備を整えた工場を建設し、洋食器の本格的な製造にとりかかります。現在にいたるノリタケの誕生です。ところが、生産を軌道に乗せるには、更なる試行錯誤が必要でした。

20年もの歳月をかけて、ついに完成!日本初のディナーセット

そしてついに、1914(大正3)年、日本初のディナーセット「SEDAN(セダン)」を完成させます。ディナーウェア販売の決意から実に20年。苦難の歳月でしたが、モリムラブラザーズの主力商品になりました。

ディナーウェアはその後大変な売れ行きで、意匠には時代背景が反映された画柄が次々と考案されていきます。

その数は、現在までに5000点を超えており、中には80年間販売し続けた画柄も存在します。

古いのに新しい――。今も世界中で愛され続ける「オールドノリタケ」には、時代を超えて人々を魅了する力が秘められているようです。

解説したオールドノリタケの貴重な作品の数々は、愛知県名古屋市にあるノリタケの森で見られます。

ノリタケの森

住所:〒451-8501 名古屋市西区則武新町3-1-36
公式webサイト:https://www.noritake.co.jp/mori/

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