縄文時代の食生活がどんなものだったか、想像がつきますか? 縄文時代、それは現代日本人がリスペクトしてやまない「お米様」を知る以前のお話です。縄文の食事というと、なんとなく屈強な男たちが骨付き肉にかぶりつく、ワイルドな姿を想起する方も多いかと思いますが、実はそんな単純なものではありませんでした。縄文人は、焼く、煮る、蒸す、干す、茹でる、そして燻製、塩漬け、パンにお粥にクッキーに、なんでもありのグルメな人々だったのです。その食へのこだわりかたは現代人さながら、いやむしろ「食の国ニッポン」の起源は縄文時代にあるといっても決して過言ではありません。
そこでこの度、実際に縄文人と同じやり方で料理する、縄文食体験に参加してきました! 場所は東京都にある「都立埋蔵文化財調査センター」。センターのある多摩丘陵は、縄文時代にたくさんの集落が築かれた、関東における縄文のハートのような場所です。ではさっそく、「食の国」のはじまりの地へ、みなさまをお連れいたします!
舞台は都立埋蔵文化財調査センターに隣接する遺跡庭園「縄文の村」です。ここは縄文時代に実際に集落があった場所。50種類以上の樹木や山菜が、当時の植生さながらに再現されています。写真は庭園にある縄文人の住居「竪穴住居」。中では実際に焚火が行われていました。
ワイルドすぎるコースメニュー
さて、現代人のための縄文飯再現教室、本日のメニューは下記になります。
前菜:どんぐりのロースト
スープ:季節の縄文鍋〜山の恵みの宝石仕立て〜
メイン:エゾ鹿肉のワイルドステーキ&山芋とえのき茸の石蒸し焼き
デザート:どんぐりとクルミの縄文クッキー
※勝手にコース風に名付けましたが、実際に縄文人がこのように呼んでいたことを保証するものではありません。
なかなかおいしそうだと思いませんか。「どんぐりはちょっと・・・」と思った方、現代のパンとか米だと思えば意外とイケちゃうもんです。
黒曜石で肉を切る!
まずは、ステーキ用のエゾ鹿肉、そして縄文鍋用の猪肉を切りわけていきます。とはいえ、縄文時代に包丁はありません。ここで出てくるのが縄文時代の必須アイテム「黒曜石」です。黒曜石とは、溶岩が急速に固まることでできる天然のガラスのこと。縄文人は包丁としてだけでなく、石鏃(せきぞく・石でできた矢尻のこと)として、大工道具の錐(キリ)として、あらゆる場面で黒曜石を用いました。
本日の黒曜石は、北海道十勝岳産。原石を調達し、鹿の角と石を使って職員の方が加工したのだそうです。(!)
加工された黒曜石の刃先はギザギザしていて、切れ味バツグンです。私も挑戦しましたが、研ぎたての包丁のようにサクサク切れてとっても気持ちがいいのです。また包丁と違って、肉を切っている感触が指先に伝わってきます。「今まさに生き物の肉をさばいている」という実感のわく、不思議な感覚でした。
ギザギザしているので脂や筋も切りやすい。切りにくい時は、肉を上にひっぱりながら切るのがポイントです。
主食からおやつまで!オールマイティどんぐり
「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったキリストは本当にエライと思います。なぜなら世界には、パン以外にも美味しい主食がたくさんあるのだから!(※キリストの言葉はそういう意味ではありません)
続いて扱うのは縄文飯の代名詞、どんぐりです。どんぐりはそのまま食べることもできるし、粉状にして焼けばクッキーにもなり、土器で炊けばお粥風にもなったかもしれないオールマイティ食材です。日本人にとっての稲、欧米人にとっての麦といったところでしょうか。それにしても、「誇り高き狩猟民(キラン!)」である縄文人がよく食べていたものが実はどんぐりって、かわいくないですか?(笑)
左のどんぐりはマテバシイ。右はスダジイです。ローストしてから食べさせてもらいましたが、ほのかな甘みと渋みがあり、食感は栗のようにホクホクしています。塩をかければ、ビールのおつまみになりそう。
石器でどんぐりを粉にする!
どんぐりを使って今回私達が挑戦した料理は、いわゆる「縄文クッキー」です。小麦粉の代わりにどんぐりを、鶏卵の代わりにうずらの卵を、そして砂糖の代わりにハチミツを使います。縄文クッキーは、実際に縄文遺跡から出土しています。
まずは、まな板代わりの石の上に、木の実を立てて、上から石をぶつけて殻を割っていきます。これがけっこうな力技。でも大人がやれば、意外と簡単に割れます。
クルミの殻を割っています。子供は力が足りなくてけっこう苦戦していました。殻を割って出てきた実は、石ですり潰して粉状にしていきます。
どんぐりとクルミが粉状になったら、すった山芋、うずらの卵、そしてはちみつを入れて、固まるまで手で混ぜていきます。
混ぜ終わったタネがこちら。この時点で参加者の方から「あ、意外と普通に美味しそう」との声が。(笑)
あとは、生地を適当な大きさに形成し、熱した石の上で焼けばどんぐりクッキーの完成です。
思い思いの形に加工する子供たち。
クッキーは、縄文人のカロリーメイト
「クッキー」とはいいますが、実はおやつだったわけではありません。むしろ、狩猟や旅に持っていくための携行食としての役割が大きかったといいます。そのためか、高カロリーな食材がぎゅっと詰まっていてかなり腹持ちします。まさに、現代のカロリーメイトというわけです。今回はハチミツを用いて甘くしましたが、縄文人は山菜や肉など、もうちょっと栄養のあるものを入れたかもしれません。
石の上で焼かれていきます。縄文人はこれを山登りの時や他集落の祭の時なんかに持っていったんですかね。地域ごとに具が違ったりして、現代の「え、ウソおにぎりに煮卵入れちゃうの?!」みたいなやりとりもあったかも。
縄文土器で絶品ジビエ鍋!
さて、いよいよ縄文鍋を作っていきます。黒曜石で切り分けたイノシシの肉、なめこやまいたけなどのきのこ類、山芋、そして肉の臭いを消すためにゴボウを少し入れます。ゴボウは日本原産ではありませんが、福井県や青森県、北海道などの縄文遺跡からはゴボウの種子が出土しています。つまり、縄文時代に渡来した可能性が高いのです。
今回は秋の鍋なので、キノコがたくさん入りますが、春ならコゴミ、ノビル、ゼンマイなどの山菜がたくさん入ったでしょう。縄文時代というと肉食のイメージが強いかと思いますが、そうではないのです。北海道はともかく、本州の縄文人にとっては、冬にしか獲れない肉はむしろ「保存食」の類で、いつでも食べられるものではなかったようですよ。
じゃん! 縄文土器で煮込んでいきます。
一説によると、大陸から稲作文化が押し寄せた時、北海道の縄文人がそれを受け入れなかったのに対して、本州の縄文人がすんなり受け入れることができたのは、元々植物性食物に対する依存が高かったためだとも言われています。「大陸のどんぐりは小粒だねー。え? コメって呼ばれてるの?」くらいの感覚だったのかもしれません。
土器は呪力を持っている!
今回使用した土器は、縄文人作の実物を参考に職員の方が製作したものです。なんと実際に、縄文人が土器作りのために土を掘り起こしていた遺跡から採集された粘土を用いたのだそうです。土ならなんでもいいというわけではないのですね。
左が「加曽利E式」と呼ばれる中期後半の関東地方で流行したスタイル。右の波打つような文様は「連弧紋(れんこもん)」と呼ばれ、多摩地域周辺を中心にみつかる”Tokyo Original”な文様なんだそうです。
ところで縄文人は、土器をただの生活道具とは考えていなかったようです。縄文人は土器を祭でカミに捧げ、壊れた場合も、カミにお返しするように集落の決められた場所に集められていました。つまり縄文人にとっては、実用品でありながらとても神聖なものだったということ。
土器は、エネルギーを変換させる神秘の装置です。そのままでは食べられない食材も、土器で煮込むことで食べられるようになります。あるいは味や食感が変わり美味しくなります。これは火と水のエネルギーが食物を変化させるからです。土器で煮込んだ食材を食べるということは、火と水が持つ力を直接体に取り込むということに他なりません。この現象は、科学を知った現代人にとっては「体温が上がること」「保湿されること」「消化によく、栄養が摂れること」など、ずいぶん味気ない単なる常識ですが、目に見えない神秘の力を信じた縄文人にとっては、恐るべき呪力だったに違いありません。「火」という呪力と「水」という呪力が交合する神秘の装置、それが土器なのです。
石を焼けばオーブンいらず
さあ、土器の神秘の力によって山の恵みが美味しく煮込まれる間に、鹿肉のステーキと蒸焼きを作っていきます。蒸焼きは、山芋ときのこをホイルで包み、職員の方が早朝から焼いていた熱い熱い石の中に入れて蒸します。
石の周りの空気はサウナのように熱せられています。まさしく天然の遠赤外線です。
ちょっと待って、ホイル・・・? 急にカタカナが出てきてしまいましたね。もちろん縄文時代にアルミホイルはありません。縄文人は、濡らしたカシワやホオの葉っぱなどを何重にもしてホイルの代わりにしていたそうです。このやり方だと、葉っぱの香りが食材に移って香ばしくなるのだとか。また、縄文人は石の中に土を混ぜたりして、オーブン(?)の温度調節も行っていたそうです。
蒸し焼きの完成! なんだか普通のキャンプ飯のようですが、これを数千年前の縄文人も食べていたというのがポイントです、はい。
縄文人は石オタク
蒸し焼きの横では、鹿肉が石の上で焼かれていきます。石は石器としての使用に限らず、フライパンにもオーブンにもなります。どこの縄文遺跡からも、焼けた石がわんさか見つかるのだそうです。
生肉を見るとなぜかテンションが上がりますね。きっと縄文人もそうだったでしょう。
ちなみに縄文人はみんな石オタクです。私達には「全部同じ」に見えますが、縄文人は集落間で互いの石を融通しあったりしていたそうです。彼らにしてみれば、良質な石は立派な自慢のタネだったのかもしれません。「これいいでしょ? 地元の山でとれた石なんですけどね(照)」なんて自慢気に渡されても、現代人にしてみれば「なんのこっちゃ」ですけれども。
縄文鍋実食
そうこうしているうちに、縄文鍋がいい匂いを漂わせてきました。正直、この縄文鍋が今回いただいた中で一番おいしかったです。猪肉の脂がいい出汁をだしていて、塩しか入れていないとは信じられない味の濃さ。クッキーやらステーキやらでもう満腹なのに、みなさん何回もおかわりしてましたよ。
今回の出汁は昆布で取りましたが、他にはキノコや干貝が出汁として用いられたのだとか。昆布は北でしか採れないので、東京まで届いていたかどうかはわかりません。しかし縄文時代の集落間ネットワークは日本列島を縦横無尽に移動するダイナミックなものでしたから、決してありえない話でもないのです。
東京人は縄文時代からファッショニスタだった(かもね)
縄文時代の集落間ネットワークといえば、ここ東京にも、長野県から黒曜石が、新潟県からヒスイが、また土器にいたっては、東北・北陸・東海、さらには関西などからも運ばれていました。では、東京の縄文人は代わりに何をお土産にしていたかというと、実はまだよくわかっていません。とはいえ、もらうばかりだったわけではないはず。ここで研究員の方が、ある仮説を教えてくれました。
多摩ニュータウン№72遺跡から出土した土器。(東京都埋蔵文化財センター提供)南東北~北関東から運び込まれました。土器そのものが運ばれたのか、中に何かが入っていたのかはわかりませんが、縄文人の広範囲に渡るネットワークの強さを物語っていますね。
センターの近くには、縄文人に多くの恵みをもたらした多摩川が流れています。多摩川の名前の由来は、「麻の多い川」だとする説があります。昔からこの辺りでは、大麻や苧麻(ちょま)がやたらと採れたらしいのです。苧麻とは、「カラムシ」とも呼ばれるイラクサ科の植物で、飛鳥時代には持統天皇も民に栽培を奨励したというほど、上質な糸の原料になります。つまり、この辺りの縄文人の特産品は、植物繊維を使った糸、あるいは衣だっただろうというのです。もちろん、植物は時と共に朽ち果ててしまいますから、証拠は残っていませんが、ファッションの中心地「トーキョー」の輸出品としてはぴったりだと思いませんか?
「食の国」たる根拠は豊かな自然にあり!
都立埋蔵文化財調査センターの縄文集落は、川のそばの小高い丘に位置しています。ここに住んだ縄文人は、川の恵みや山の恵みを煮たり焼いたり干したり蒸したりして、案外豊かな食生活を送ったようです。また丈夫で涼しい衣をお土産にすることで、他集落との関係も良好だったのだとしたら、ここでは穫れない食物も手に入ったに違いありません。猪や鹿だけでなく、魚や貝などもたまには食卓にあがったかもしれません。酒作りのための土器もでているところをみると、きっと酒も飲んだのでしょう。「食の国日本」の根拠が豊かな自然にあるのなら、その恵みを旬の時にもっとも適切な方法でいただいていた縄文人は、ある意味では私達現代人より食通だったと言えるかもしれませんね。
取材協力:都立埋蔵文化財調査センター
住所:〒206-0033 東京都多摩市落合1-14-1
営業時間:9:30〜17:00
定休日:12月29日〜1月3日、その他臨時休業あり
公式webサイト:https://www.tef.or.jp/maibun/index.jsp