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愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。(日本霊異記)
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読み物
Culture
2020.06.08

食べ歩きはカッコイイ!日本の食文化を大きく変えた「1971年7月、マクドナルド開店の日」

この記事を書いた人

日本の食文化の発展を語る上で、「マクドナルド」と「カップヌードル」は欠かすことのできない存在だと筆者は考える。

なぜか。それは「野外で食べる」ということが一般化するきっかけになったからだ。

豊臣秀吉の軍勢が中国大返しの半ばでおにぎりを食べたり、江戸へ向かう新政府軍が焼き芋をかじりながら行軍したり……というのは例外的な行動である。日常生活の中で市街地を歩きながら食べ物を口にするというのは、公共マナーに反するものだった。そのような常識が、1971(昭和46)年を境に大きく変わっていく。

この年、銀座にマクドナルド日本1号店がオープンした。しかし当時の新聞記者は、この店が日本の食に関する習慣を永遠に変えてしまうとは夢にも考えていなかった。

若者文化と高度経済成長

「若者文化」とは何か?

一言で言えば、可処分所得の余裕から来る現象である。

今では信じられないようなことだが、1960年代前半までは若者文化というものが存在しなかった。より正確に表現すれば、二十歳前後の者がそれより上の世代から独立した文化を持つことができなかったということだ。

しかし、国民の月収が年々上がると若年層にもその恩恵が回ってくる。1960(昭和35)年の大卒初任給は1万5000円前後だったが、1971(昭和46)年のそれは4万6000円ほどになった。この時代はブレトン・ウッズ体制の下で1ドル=360円の固定レートが維持されていたから、やはり相当な経済成長である。

就職前の大学生が、毎週日曜日に遊べるだけの金を持つようになった。その金の源泉がアルバイトか親のスネかじりかは、ここでは問わない。10年前とは比較にならないほど豊かになったのだ。若者が大人に干渉されない独自の文化を作るためには、それなりの経済力がなくてはならない。

発音を日本人向けに改良

1971(昭和46)年7月20日、銀座三越の1階にマクドナルド日本第1号店がオープンした。

アメリカのマクドナルド本社からフランチャイズ契約を交わしたのは、輸入雑貨企業の藤田商店である。社長は藤田田(ふじた・でん)という人物。

この藤田は、日本語とそれを母語として使う日本人の性格をよく心得ていた。

そもそも「マクドナルド」という固有名詞は、日本以外の国ではまず通じない。「McDonald’s」を敢えてカタカナにすれば「マクダゥナルズ」という具合か。が、忠実な発音は日本人に敬遠されてしまうと藤田は考えた。それを3字対3字の韻を踏む発音に改良し、日本人の舌に優しい名前にしてしまったのだ。

商品の価格は、ハンバーガーが80円でチーズバーガーが100円、ビッグマックが200円。デフレ真っ只中の時代を若者として過ごしてきた筆者から見れば、この価格設定は相当強気だと感じる。

何より、米食文化の国でハンバーガーが受け入れられるのか……という懸念が囁かれていた。

ベタ記事扱いだったマクドナルド

ここで、当時の新聞をチェックしてみよう。

1971(昭和46)年7月21日付の朝日新聞朝刊に、『“本場の味をどうぞ”ハンバーガー銀座に進出』という見出しでマクドナルド1号店の様子が報道されている。

ところが、この記事自体は経済面の一角を少しだけ割いている程度。扱いは大きくない……というよりもほぼノーマークといったところだ。いわゆる「ベタ記事」である。

マクドナルド開店よりも1ヶ月前、ウインピーとバーガーシェフが日本進出を果たしている。つまり新聞記者の目から見れば、マクドナルドは「複数ある外資のひとつ」に過ぎず、しかもこの先勝ち残れるかどうか分からない店舗だったのだ。

レストランとはまた違う「ファストフード店」という概念が浸透していない、という要素もあるだろう。

「野外で食事をする」という行為は、先述の通りマナー違反と思われていた。ピクニックはどうなんだという声もあるかもしれないが、あれは自然の中を行楽する上でのものだ。銀座のど真ん中でそれなりにボリュームのあるものを食べながら歩行する、ということに老人たちは眉をひそめた。が、十分な小遣いを手にした若者はもはや独自の文化を構築できる存在である。上の世代が何を言おうが、関係ない。

カップヌードルにも多大な影響

マクドナルド第1号店の店先は、毎週日曜に歩行者天国が実施される場所でもあった。

1971(昭和46)年11月、この歩行者天国で日清食品がカップヌードルの試食イベントを開催した。

カップヌードルの発売直後、これを誰に対して売ればいいのかという問題があった。1個100円という決して安くない商品に対して初めての大口発注をかけたのは、自衛隊だった。では、一般層に対してはどのような切り口の販促を実施すればいいのか?

銀座の歩行者天国は、マクドナルドのハンバーガーを片手に自由を謳歌する若者で賑わっていた。安藤百福以下日清食品の社員がそれを目の当たりにした瞬間、カップヌードルの方向性が定まった。カップヌードル自販機とテレビCM『ハッピーじゃないか』は、当時の若者文化を見事に反映させている。

それと同時に、「食べ歩き」を許容した日本の食文化は新たなステージへ踏み出したのだ。

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。