いま、日本文化も大きな試練の時を迎えているのだと思う。いわずと知れた新型コロナウイルスの流行によってである。
ボクが小さな机をひとつ借りて、原稿を書きにいっているフロアのビルから10分程歩いたところに歌舞伎座がある。
散歩だとか、銀座や有楽町界隈で取材があるたびに通る歌舞伎座の前は、今年の初めまで人にぶつからないように歩くのが大変だった。
上京した頃、1990年代の初めの歌舞伎座は、近年ほどの賑わいはなく、ふらっと立ち寄って一幕見をすることもできた。
それが、建て替えの頃にはすっかり国内外から人が訪れる観光地になって、隣にある立ち食い蕎麦屋も、様々な国の言語が飛び交い、いつもごった返していた。
止むことはないと思っていた人の波は、新型コロナウイルスの流行によって、歌舞伎座が休業を余儀なくされるとパタリと止んだ。
靖国通りを挟んだ向かいにあった老舗の弁当屋は、早々と見切りをつけて暖簾を下ろした。
わかりやすいニュースの素材だったのか、閉店の数日前からは、ずっといくつものテレビカメラが店の前に陣取っていた。
そんな様子を眺めていると、近くで店を営んでいる知人に出会った。
「歌舞伎座が再開しないと、人なんて戻ってこないですよ」
それまで、外国人観光客向けだった各国語の看板を、日本語だけのものにかえたりは、してるという知人も諦観に満ちていた。
それから数カ月、歌舞伎座は再開した。とはいえ、人の賑わいも戻ってきたとは言い難い。なにより、ここ数カ月の間にボクらは、どことなく人混みにそこはかとない恐れを感じるようになっている。
文化の危機の中で担い手たちはどうするのか
人が集まるのが困難な中で「新しい生活様式」の一環として、テレワークだとかインターネットを用いた、新たな生活やビジネスのスタイルが存在感を増している。
でも、それが社会を変えるほどに、普及するかといえばボクはちょっと首を傾げてしまう。どうやっても、顔を突き合わせないとできないことは、けっこう多いものだ。
取材といって、ただ相手の話したことを器用にまとめるだけならオンラインで十分だが、それ以上のことはできない。
記録する以上に、その状況に対面し、相手のちょっとした所作や顔色を窺うのはモニターを通してでは、どうしても限界があると思う。
それは、ものを書くとかつくるとかに限らず様々な分野でも同じだと思う。そうした状況に抗えない中で「文化」はどう変わっていくのだろう。
そんなことを考えていたら、年末に開催予定だった同人誌即売会・コミックマーケットも開催断念と伝わってきた。
もとより、恒例の会場である東京ビッグサイトが今年は東京五輪に使われるため、夏の開催はない予定だった。
そのかわりの5月の開催予定は、感染拡大の影響を受けて中止。そして、東京五輪の延期や感染の動向を踏まえて年末の開催も断念されてしまった。
毎回、取材だとか理由をつけて訪れているコミックマーケット。大勢の人が押し寄せるから価値ある文化だとか、そんなことを主張する気はない。
ただ、何万と集まる出展者が頒布する同人誌の中には、ただならぬものがある。「これを書きたい」「書かずには死ねない」そんな鬼気迫る情熱を感じるものとの偶然の出会いを求めて止まないのだ。文化の花開いた江戸時代、浮世絵に春画、戯作の数々は民衆の心をうち、文化として現代に伝えられている。それらは金銭的な栄誉ばかりを求めて量産されたものかといえば、ちょっと疑問だ。前に江戸時代の戯作者の原稿料はいかほどのものだったかと思って、いくつかの本を読んでみたことがあるが、その安さに驚いた。そして、そうした創作の背景には、ほかに代え難い情熱が渦巻いているのだと思った。コミックマーケットの、多くの人が行列していない、片隅にポツンと置かれた同人誌なんかには、そうしたいつの時代も変わらぬ民衆芸術の魂が受け継がれているのだと思う。
自分の好きなものを描き続ける男の放った意外な一言
半ば鬱々として過ごすコロナ禍の日常。ふと、いつもコミックマーケットであう、あの男に会いたくなった。
とはいえ、コロナ禍の現在である。訪問するのは腰が引けて、電話をかけた。
3コールもしないうちに相手は電話に出た。少しばかり話してからコロナのこともあって、なかなか訪問できないことを詫びるボクに、電話の相手はこんなことをいった。
「コロナですか? 全然大丈夫ですよ。いえね、去年、自殺未遂しちゃったし……もう、なにも怖くないですよ」
唖然とするボクに反比例するように電話の向こうの声は快活なようにも思えた。
電話の相手は、コミックマーケットでしか出会えないマンガの描き手。名をエル・ボンデージという。
人間の表現行為は世の法律やモラルから絶対的に自由とするならば、この奇矯なペンネームの描き手は真に自由である。
コミックマーケットをはじめとする同人誌即売会では、出展者がサークル名で配置される。もともと同人誌が文字通り同じ志を持つ同人で編まれていた時の名残だと思うのだが、たとえ一人しかいなくても、個人サークルである。
そして、エル・ボンデージのサークル名は「被縛社」である。
この不穏当な香りのするネーミングセンスで、少なくとも大衆向けではないことは一目瞭然だと思う。作品を通してエル・ボンデージがおこなうのはキャラクターへの愛。それも尋常ならざる愛である。
もはや、同人誌の世界において二次創作、すなわち既存の作品のキャラクターを用いて独自の物語を展開するマンガや小説が需要されていることは、広く知られていると思う。中には、そうした人気キャラクターを用いれば「儲かる」なんてことを考える者もいるかも知れないが、たいていは作品やキャラクターが好きだからやっている。
すなわち「愛」である。一種、曲亭馬琴が自分も好きで人気のあった『水滸伝』をもとに『傾城水滸伝』を書き上げたのと同じようなものである。
最近では、歴史上の人物がマンガやゲームで女性化されたりするのも当たり前に目にするようになっているわけだが『傾城水滸伝』は、その源流ともいえる作品だ。
なにせ、108人の好漢たちが性別逆転 ……105人は女性になって登場するわけだから。
作品への愛が強すぎて、それをパロディ化した新たな作品が生まれてしまうというのは、歴史上幾度も行われてきたものというわけである。
『人喰族』の尋常じゃないパロディと愛
それが歴史の必然だとしても、エル・ボンデージの愛は独特だ。例えば、ボクの手元にある2016年の冬のコミックマーケットで頒布された同人誌。
タイトルは『人喰族』である。
ボクはこのタイトルを見て、春休みに映画館に『大長編ドラえもん』を観に行ったら、タイトルの元ネタである映画の予告編が流れて泣きそうになったことがある。
でも「ああ、ウンベルト・レンツィ監督の映画ね」と即座に理解する人はそんなにいないだろう。
『人喰族』は藤子・F・不二雄の『ジャングル黒べえ』と『ドラえもん』を掛け合わせたパロディだ。
作品の中で人喰族によってジャイアンは生きたまま脳みそを食べられ、スネ夫は吊られ、のび太は釜で茹でられる。
そして、しずかちゃんは、黒べえによって「黒べえ、犯した人間、食べる、はりきる」と頸動脈をかみ切られて内蔵をひきずり出されて喰われる。
この短編の後に収録されたイラストでは、まいっちんぐマチコ先生が縛られ、トト子ちゃんが六つ子に輪姦され、ラムちゃんも弁天も縛られる……。
悪趣味などではない。愛が深すぎるのだ
おそらくオンリーワンの表現を続ける男と知り合って、どれくらいになるだろう。
いつの頃からか、年に2回、コミックマーケットの時には必ず訪れるようになった。そして、いつも嬉しそうに新しい同人誌を渡してくるのである。
見方によっては、悪趣味とも受け止められるような表現をしながらも、この男は常に真剣だ。真剣だけれども、自分を飾るような表現を使わない。
自分が好きなキャラクターしか描くことはないというが、それに「愛」という言葉を使うことを恥ずかしがる。
「愛情表現といえば、かっこいいですけれど……」
いつぞや、キャラクターへの愛を尋ねた時にそういって、はにかむ顔をされたことがある。人にそうした表現を見せながらも、少年のように恥ずかしがる男だが、信念は揺るがない。商業誌でマンガを描いていた時代から、エル・ボンデージは一貫してパロディの手法を用い、自分の愛するキャラクターを配置して、極めて難解な作品ばかりを描いてきた。例えば『由利ちゃんの逆襲』(1983年 久保書店)所収の「完全なるルパン三世・カリオストロの城」という作品がある。
内容は、アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』のパロディである。作中でルパンたちは囚われのクラリスを救うべく「俺達が助けに行ってやるからな」と走る。
ただ走るだけである。
最後のページになってもルパンたちは走っているだけで、もう片方のページではクラリスは凌辱し尽くされているだけ。
そこの根底には、元ネタが描いたヒーローが悪を倒してヒロインを救い出すという、定番かつご都合主義的な展開へのアンチテーゼが籠もっている。
マンガで食えたことがないゆえの覚悟
これだけ、多くの文化が百花繚乱する現代において、誰一人として似たような世界を描く者を思いつくことができない世界観。
それは、けっして多くの読者の支持を受けるものではないし、商業的な成功には相反するものである。
でも、そうしたものに背を向けて、この男は還暦を過ぎた今まで、ずっとペンを執ることを止めなかった。
今でも、ネットはやらず携帯電話も持たず、ただひたすらに自分が満足できる作品を描くことにだけ、人生の限られた時間を注いできた。
「同人誌を描いても儲かるなんてことはないけど……でも、商業誌から仕事があった時代だって、マンガだけで食えていたことなんてないから……なにもかわらないですよ」
達観したような言葉を吐く男が、どのような暮らしをしているのか知りたくなり、自宅を訪ねたのは数年前のことだった。
エル・ボンデージの暮らすアパートは、各駅停車が停まる三多摩の私鉄沿線の駅から徒歩10分ほどのところにあった。住所は聞いていたのに、彼はわざわざ駅まで迎えに来てくれた。
少し古ぼけたアパートの一階。台所と小さなシャワールーム。それに畳のしかれた六畳の部屋が、この男の城であった。
一歩入った部屋には、尊敬に値する人生の覚悟が見てとれた。色あせた『うる星やつら』や『魔女っ子チックル』のポスターが貼られたドア。
台所にも本が横に倒してうずたかく積まれていた。六畳間にも本やDVDが積み重なっていて、人が座ることができるようなスペースはわずかに四畳半。
コタツテーブルの半分くらいも、本がうずたかく積まれていた。残りの空いたスペースが、次々と作品を生み出す小宇宙というわけだ。
けれども、ひとつ気がついたのは乱雑に見えて整理が行き届いていること。話の途中で本や映画の話になると「ああ、それはこれですよね」と、山の中から難なく見つけだすし、埃も落ちてはいない。
UCCのカップ付きのインスタントコーヒーにお湯を注ぎながら、とりとめもない話が続いた。途中でこんな会話があった。
「取材だったら、テープを回してくれても構いませんよ」
ボクは首を横にふって持論を述べた。
「あなたのことを書こうとしたら、必要なのはそういうものじゃあないでしょう」
そうだ。エル・ボンデージの作品との出会いからして偶然だ。中学生の頃、近所にマンガ専門の古本屋があった。
そこで、この男の単行本を見つけたのが、この状況の始まりだ。まだ、今のペンネームではなく牧村みきという名前で描いていた、この男の作品は田舎のデキのよくない中学生だったボクには、かなり刺激が強かった。
よく覚えているが「きっと、エッチなマンガだろう」と思ってかったら、載っているのは「私はキエフで被爆した」と呟く男が女性キャラクターを縛っているだけ。
そんな形而上的な描写の背景にうごめく情念を受け止めて読めるようになるには、もっと人生の経験が必要だった。
マンガだったら一人で描ける
いったい、どうしてこの男はこんな作品へと到達したのだろう。聞き出すまでもなく、彼は語ってくれた。
生まれたのは長崎県の諫早市。有明海に面した小さな地方都市で高校を卒業するまでを過ごした。
その頃は、まだ地方都市にも幾つもの映画館があって、やってくる映画に魅了される少年時代だった。
その頃から、今に続く性の目覚めはあった。
「最初に性を意識したのは、ヒロインではなく鉄腕アトム……なにか、艶めかしさを感じて。それから、明確にセックスをしたいと思ったのは『リボンの騎士』のサファイアで……」
そうしているうちに、自分でも漠然と映画を作りたくなって、それができる人生の選択肢を探した。たどり着いた答えは芸術系の大学に進学することだった。
合格した大阪芸大を目指して、青雲の志を持って故郷を離れた。漠然とした希望はすぐに叶わないものだと覚った。
「ちょうど、後にガイナックスを立ち上げる面々が在学している頃でした。たまたま、その面々がつくっている自主映画を見る機会があって……ああ、内気な自分にはこうして人と一緒になって自分のつくりたい作品を生み出すことはできないと思ったんです」
じゃあ、一人で自分のつくりたい作品をつくることができるものはなんだろうか。たどり着いたのが、マンガを描くことだった。卒業すると、東京に移った。アダルト雑誌の編集部でバイトしたり肉体労働をしながら、編集部にマンガを持ち込んだ。
一度は決めた帰郷。それでもしかし……
マンガでも文章でも映画でも、おおよそなにか作品をつくることに人生を費やすなら、二通りの道がある。
ひとつは、あまり興味がないことでも、日々の糧を得る仕事と割り切り、合間に自分の本当にやりたいことを、僅かでも差し込む機会を探ること。
もうひとつは、ほかになにか生活を成り立たせる手段を得ながら、自分のやりたいことだけをストイックに追求すること。エル・ボンデージは、明らかに後者だった。
それでも、持ち込みを始めた1980年代初頭は、出版業界が元気な時代だった。実験的な作品を雑誌に掲載し、単行本にする体力は小さな出版社でも、今よりもあった。
彼の作品を買ってくれたのは、中野区にある久保書店という小さな出版社だった。
この出版社はカストリ雑誌が跋扈していた1951年に「文化人の性風俗史」をうたった雑誌『あまとりあ』を刊行したことで文化史に名を残す、あまとりあ社と経営を一にする出版社だった。
現代に比べると「出せば売れる」時代だったのか、何冊もの単行本を出すことができた。
決して売れ筋でない作品だから、幾ばくかの印税を貰ってもマンガだけで食べていくことはできなかった。それでも、エル・ボンデージは描くことをやめようとはしなかった。
でも、そんな幸運な時代も長くは続かなかった。
やがて時代がめぐり原稿の依頼も途絶えた。いくら描いても、発表する場はない。悩んでいるところに、田舎から父親が病気だという連絡がきた。
「90年代のはじめ頃でしたよ。それで、一度は九州の田舎に帰ったんです。その後、父親はなくなったのですが母親から遺品を渡されました。それは父親の自作のエロ小説や、エロ絵だったんです」
そこでエル・ボンデージの身体に涌いた感情は感動だった。
「だから、自分は子供の頃から、こういうものに興味があったんだと。これを見て俺はやらなきゃならないと決意して、もう一度上京したんです……」
この訪問の後も、この男との関係は続いた。いかなるものであっても、一つのことに情念を捧げる者は常に美しい……機会を見つけては、そんな人々の姿をルポルタージュにすることを繰り返してやまないボクは、彼のことを書こうと思っていた。でも、それにはもっと時間が掛かるし、どこかで機会を見て諫早市に出かけて風景を後追いしようかなんてことも考えていた。
突然の世界への絶望。そして復活
そのまま、文章を書かないままに去年の夏のコミックマーケットになった。いつも通りというつもりで、エル・ボンデージのブースに立ち寄った。いつも一人で店番しているはずの、彼の姿はなくて女性が立っていた。
「あれ、えるぼんさんは……?」
「ああ、今日は体調を崩しててお休みなんですよ」
いつも印刷所に入稿して印刷した新しい同人誌が必ずあるはずなのに、その日はコピーを折りたたんだものがあるわけだった。
ボクが自分が何者かを話すと、ボクのことを知っていたその女性……Mさんは安心したように事情を教えてくれた。春頃に引っ越ししてから体調を崩しているというのだ。
春頃に、それまで暮らしていたアパートが取り壊しになるので、同じ街で少し駅に近いところに引っ越すと、ハガキで連絡は貰っていた。
それまで「○○荘」というありがちなアパートだったのが「○○ハウス」という、なぜか少女趣味な名前のところに引っ越すことになったのが、本人も面白かったのか、それをネタにするようなイラストを添えてくれていた。
その頃から体調を崩していたようで、直前になってMさんに、どうしてもいけないので代わりに本を売って欲しいと電話があったのだという。
自身も同人誌をつくっているMさんは、快諾したとはいえ心配をしているようだった。
正直、ネット以外で「エル・ボンデージ作品の読者」に出会ったのは、ボクも初めてのことだった。ひとまず、後で電話をしてみるという話をして、その場は別れた。
帰宅してから電話してみた。電話口の声は弱々しかった。
「……ひとまず、冬のコミケも休んで、来年から復活することにしますよ」
あまりに声が弱々しいので、迷惑かも知れないが訪ねてみようかと思っているとMさんから連絡が来た。押しかけてきたというMさんが、無事を確認したのを教えてくれたので、ひとまずは安心して、ちょっとでも元気になって貰おうと、うどんを送った。
なかなか再び会うことは叶わなかった。あっという間に年が明け、コロナ禍に突入してしまったので、訪問する機会を逸していた。前述のように5月のコミックマーケットは中止になり、年内の開催もなくなった。
今では多くの同人誌の描き手がネットを活用している時代。そうした中で、いまだにネットのない生活を送っているエル・ボンデージは、まったく発表する手段を失っているではないか。そのことに気づいて、心配になり電話をした。そんな電話で自殺未遂の話が出るとは思わなかった。
「いったい、どうしたんですか?」
「わかってしまったんですよ」
「なにが……?」
「コロナはわからなかったけど……去年の8月、これからとんでもない時代がやってくる予感がして、もう生きていけないと思って……」
飛び降り自殺をすることにして、まず「ロケハン」に出かけた。
これなら間違いないと思って、日取りを決めて自殺行に出かけた。ところが、目当ての場所にいくとなぜか、怪しげな男がたむろしていて動かなかった。
これは駄目だと思って、刃物で首を切ることにした。近くの100円ショップで包丁を買い求めて首にあてた。
100円のなまくらでは頸動脈など切ることはできなくて、痛い思いをしただけで終わった。
「かえって元気になっちゃって……」
救われた気分になって、また生きることにした。生活の糧は、自分が今まで描いてきた作品の原画を「まんだらけ」に売ることで得られた。
電話で話をしながら「まんだらけ」のサイトを検索してみると、けっこうなプレミア価格になって販売されて、既に売れているものもたくさんあった。昨年の夏に100円で売っていたコピーを閉じた同人誌も数十倍の値段になっていた。
ネットで本を売るなんて……興味ない
今では個人でネットを通じて同人誌を販売できるサービスもたくさんある。そうしたことを試してみればいいのではないか。そう問いかけてみると「あまり興味がない」というのだった。
「ほら『まんだらけ』は店の規模も大きいじゃないですか……ボクはお金を得ることができて、欲しい人は原画や同人誌を買うことができる。それ以上のことを自分でやったら、おしまいだと思うんです」
あくまで、自分の好きな方法で自分の好きなキャラクターの絵だけを描き続けていたい。そのこと以外のすべてに時間を費やしたくはない。
「好きだから描く」という言葉の究極なのだと思った。
そう、一度、目の前で原稿を描く様子を見せて貰った。エル・ボンデージの作品を構成する欠かせない要素が、背景に執拗に描かれる木目である。
「私にとって、木目・縛られた女・縄は三位一体……木目は最後の仕上げの時に描きます。時々、腱鞘炎になることもありますけれども、描くときには興奮してる……」
それは、自分好きなキャラクターとの対話ともいえる作業である。ロットリングを手に、鉛筆で下書きした原稿用紙に、コツコツと寸部の狂いもなく木目を描き込んでいく。
「いや、めんどくさい……めんどくさいんですよ」
そんなことを呟きながらも、一度描き始めた手は止まらない。あたかも、自分がこの世に生を受けた意味が木目を描くことだったかのように……。
自分の好きなキャラクターに対して情熱を注ぎ込む作品。世間の評価などは埒外に自分が描きたい作品を手を動かして生み出していくことができる。
それを続けることが出来ているだけで、人生に幸福を見いだしているのだと思った。
マンガ家にしても、ボクのような文章を生業にしている者にしても10年20年と人生を刻む中で、横に目を向けると見知った顔ぶれは、ひとり、またひとりといなくなっている。
なにかそれまでとは違う、別に人生を賭ける目的を得ることが出来た者は、ほとんどいない。ただ、誰にも顧みられることなく消えていくだけ。襤褸(らんる)を纏い陋屋(ろうや)に暮らした果ては、そういうようなものだ。それでも、生命が尽き果てる時まで、自分のやりたい表現を世に送り出す機会を得ることが出来れば、その人生には価値がある。
止まらない情熱。それこそが文化の原点
「去年は、絶望で死にたくなったんですけど。今は、こう思っているんです。これからもっと酷くなるだろう世の中を見ることができるなんて、幸運なんじゃないだろうかと。そう、原画を売りながら、これからの世の中の成り行きを見ることにしますよ」
しばらく話してから、ボクはこの原稿のことを切り出した。「誰のためでもなく描く。自分のために<春画>を描く男、エル・ボンデージの人生60年」というタイトルで、企画を提出したら通ったのだという話を。
「それは、ぜひやってくださいよ。もうね、こうやって今生きることができているのも、みなさんのおかげですし……」
ボクは、電話ではなく、また自宅へ出向いて顔を見たいのだが、コロナ禍ではできないことを詫びた。「こっちは、いつきて頂いても構いませんよ」というのだが、やっぱり、感染するではなく、させることになってはいけないと思って踏み出せなかった。
「次はいつ会えるでしょうね」
ボクは少し悲しい気持ちで呟いた。
「しばらくは、コミックマーケットもないでしょうし……そう、やっぱり同人誌即売会がないと締め切りがないから原稿を描く気にならないですね」
「とは、いっても描きたいものはあるのでしょう」
「それはもちろん」
「いま、好きなキャラクターは?」
「ちょうどドラマもやってる『浦安鉄筋家族』ですね。あれに、のり子という大阪弁の女の子が出てくるでしょう。あの子が好きで、特集本をつくりたいくらいですよ」
声しか聞こえないが、センチメンタルな言葉を紡ぐエル・ボンデージが目を輝かせながら離している情景が脳裏に浮かんだ。
そして、これが文化の原点なのだと思った。何者にも遠慮することなく、ひたむきに自分の信じる表現を追求していくこと。お金や栄誉はその後から……ついてこないかもしれないけれど、どうでもよい。「春画」がそうであるように、後世に評価されて価値を得るかもしれないし、むしろ評価されずに読み捨てられることにこそ、民衆のための文化としての価値があるやもしれない。
そう、エル・ボンデージは確かに文化によって救われていた。そして、ボクはそんな男の姿を原稿にすることで救われたいと思っている。コロナ禍で取材も資料収集もおぼつかなく、依頼は途絶え、減っていく残高を気にしながら死を意識しなければならない日々。
それを打ち破る手段も思いつかずに、迷いの中で過ぎていく時間。
でも、こうやって書いていれば、どこかにきっと突破口はあるんじゃないのか。今は、そう思っている。
……と、ここまで一万文字にはあと300文字ほど足らないが、短文が好まれるネットの記事にしては少々長い。載るのか、これ。