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Culture
2020.08.26

赤い河童?毛皮が堅くて鉄砲の弾も通さない猿の妖怪?『遠野物語』のユニークなお化けたち

この記事を書いた人

河童や座敷わらしで有名な『遠野物語』。教科書では見たことがあるけれど、最後まで読んだことがある、という人は意外と少ないのではないでしょうか。
実は私もそのひとりです。『遠野物語』のページを開いてみると、文語体で書かれていてなんだか難しそう……。
でも、語り手の佐々木喜善の日記によると、はじめは「お化けの話」のつもりだったようです。そして、登場するお化けたちをよく調べてみると、なんとも個性的!
登場する不思議なお化けたちを見ていきましょう!

『遠野物語』の誕生

『遠野物語』は、明治43(1910)年に初版が刊行され、神様や妖怪、幽霊の話、家々の伝承など119の不思議な話がおさめられています。

岩手県遠野市の山あいで生まれ育った佐々木喜善(ささききぜん)は、小説家になることを夢見て上京します。

佐々木喜善(1886~1933)『遠野物語』の他にも独自に昔話の採集や研究に打ち込んで昔話集を刊行し、後に金田一京助から「日本のグリム」と呼ばれた。写真提供 遠野市立博物館

ある日、共通の知人である新進作家の水野葉舟(みずのようしゅう)が、「珍しい男がいますよ」と言って、彼を柳田国男(やなぎたくにお)の家に連れて行きます。

そして佐々木喜善が、故郷に伝わる神様や妖怪、家々の伝承などを語って聞かせたことから生まれたのが『遠野物語』でした。

その日の佐々木喜善の日記には、「水野が来て、共に柳田さんの処へ行った。お化け話をして帰って」という一文があります。

当時、文壇は怪談がブームで、多くの作家や文化人たちが競って怪談話を書いていました。
小説家志望だった佐々木喜善も、時流に乗って自分の話を「お化け話」、つまり怪談話として聞かせようとしたと考えられます。

いっぽうの柳田国男の手帳には、「水野葉舟、佐々木喜善二人来て話す、佐々木は岩手県遠野の人、その山ざとはよほど趣味ある所なり。其の話をそのままかきとめて『遠野物語』をつくる」と書かれています。

柳田国男(1875~1962)農商務省勤務のかたわら全国各地を旅して研究し、日本民族学の創始者といわれている。写真提供 遠野市立博物館

柳田は、それを怪談話ではなく「遠野」という場所に伝わる興味深い「物語」にしようと書名もすぐに考え、佐々木喜善と知り合った翌日から草稿の執筆にとりかかります。そして『遠野物語』は350部限定で自費出版されました。

『遠野物語』初版本 明治43(1910)年6月14日 遠野市立博物館「遠野物語と怪異」展にて撮影

それでは、登場する不思議なお化けたちを改めて見ていきましょう!

河童と座敷わらし

遠野の河童は赤い

河童の話は『遠野物語』にいくつも登場します。

しかし、遠野の河童は一般的なイメージとは少し違うようで、『遠野物語』の59話にはこうあります。

外(ほか)の地にては河童の顔は青しというようなれど、遠野の河童は面の色赤きなり

全国的には緑色の肌のイメージのある河童ですが、遠野の河童は赤いようです。

人に相撲を挑むという話もよく聞かれますが、遠野の河童もやはり力自慢で、民家の馬を川に引きずり込んでは、たまに失敗して人間に見つかってしまいます。

JR遠野駅前の河童像

遠野市のカッパ淵は今では有名な観光スポットになっていますが、こうした水辺の場所には、『遠野物語』に「河童駒引(かっぱこまひき)」と呼ばれる話がいくつかあります。

遠野市土淵町にあるカッパ淵

もう二度と悪さはしないと約束して、なんとか許される河童ですが、それと引き換えに、魚や妙薬などを人間にもたらしたり、「遠野物語拾遺(しゅうい)」には河童が侘び証文を書いたという話も残っています。
その侘び証文が残っている家が現在の釜石市に3軒もあるのだとか。

座敷わらしは『遠野物語』まで知られていなかった

座敷わらしは、明治後期のこの頃までは、岩手県を中心とした東北地方でしか知られていませんでした。

旧家の座敷にいて、常には目に見えないけれど、時々子どもの姿をしてあらわれ、「座敷わらしがいる家は富み栄える」と、民間伝承として語られていたようです。

初めて明文化されたのが『遠野物語』であり、その後に佐々木喜善が著した「奥州のザシキワラシの話」などでも広く知られるようになります。

『遠野物語』18話、19話ではこんな話が語られています。

裕福な旧家として知られた山口孫左衛門という人の家には、女の子の神様がふたりいると昔から言い伝えられていました。ある年の秋、町から帰ってきた男が、これまで見かけたことのない、ふたり連れの娘に会います。
背はそれほど高くなく、綺麗な黒髪におそろいの赤い着物をつけ、目の澄みきったとてもかわいい娘たちでした。
娘たちにどこから来たか尋ねると、「おら、山口の孫左衛門の家がら来たどごだす」と答え、ある村の、今は立派な暮らしをしている長者の家に行くことに決めたと言いました。
男は、「ははあ、これは座敷わらしだな。座敷わらしに去られては孫左衛門も大変だな」と思いましたが、誰にも言わずにいました。
それからすぐ、孫左衛門の家では主従20数人がキノコの毒にあたってわずか一日で死に絶えてしまいます。
7歳の女の子だけが、一家がキノコを食べている間、外で夢中になって遊んでいたのでひとりだけ助かりましたが、その女性も年をとって子どもがなく、先年、病気で亡くなったということでした。

座敷わらしにも種類がある

座敷わらしには女の子のイメージがあり、顔色は赤っぽく、おかっぱ頭の女の子の姿が多いようですが、『遠野物語』には男の子の座敷わらしのことも書かれています。

また、細長い手を出して人を招き、洪水、津波などの災禍を知らせるため、「細手(ほそで)」または「細手長手(ほそでながて)」と呼ばれるものも。

「クラワラシ」「クラボッコ」などと呼ばれ、土蔵の中に住むザシキワラシもいます。

座敷わらしは河童が川から上がってきたもの?子どもの幽霊?

座敷わらしについて、家を新築するときに、童形の人形を埋める習慣がその起源になったという説があります。

また、佐々木喜善の後の調査によると、河童が川から上がってきて座敷に住み着いたのが座敷わらしになったという説も。
河童と座敷わらしでは、見た目がぜんぜん違うように思うのですが、この伝承は遠野をはじめとして岩手県内にいくつか同様の話が残っています。

佐々木はまた、殺されて家の中に埋葬された子どもの霊ではないかとも述べています。
飢饉の多かった東北地方の農村では、口減らしのために間引く子を石臼の下敷きにするなどし、墓には埋葬できないので土間や台所などに埋める風習があったといわれています。
その子どもの霊が、家の中を歩いたり、訪れた客を脅かすようになり、特に、下等な座敷わらしとされて「ノタバリコ」や「ウスツキワラシ」などと呼ばれたものは、土間から這い出て座敷を這い回ったり、臼をひくような音をたてたとか。

子どもと神様

座敷わらしは、今では妖怪の仲間のように思われていますが、遠野物語の中では「山の神」、「里の神」、「家の神」のうちの「家の神」に分類されており、神様として伝えられてきたことがわかります。

座敷わらしが家の盛衰を支配する神様となったことや、先ほどの一家全滅した旧家で7歳の女の子だけ生き残った話にも通じるように、昔は子どもを神と人間とを繋ぐ存在であったり、子どもの姿は神を体現してると考えられていたようです。

他にもたくさん!『遠野物語』に登場する怪異

オシラサマ

オシラサマは、座敷わらしと同様、神様のひとつで、その由来は馬を愛してしまった娘が、怒った父親に馬を殺されてその馬の首に乗って天に昇る悲恋のお話です。

たくさんの種類があるオシラサマ 遠野市立博物館常設展にて撮影

遠野やその近隣では、祭日に近所の女性たちが集まり、オシラサマに着物を着せて、ごはんやお菓子、果物などをそなえて拝む習慣がありました。

『遠野物語』14話には、オシラサマの祭り方の説明があります。

オシラサマと云う神あり。(中略)正月の15日に里人帰りて之を祭る。其式には白粉(おしろい)を神像の顔に塗ることあり

中国の東晋の時代に書かれた書物にも馬と娘の悲恋話が見られたり、アイヌ文化にも同様の神像が見られたり、と興味深いつながりもあるようです。

猿の径立(ふったち)

自然と共存してきた遠野の人々にとって、野生動物はごく身近なものだったからでしょう。動物の妖怪についても、さまざまな話が伝えられています。

径立とは、本来の寿命以上の年齢になって、妖怪のような霊力を得たもののことをいいます。
中でも猿の径立は、好色で女性を好んで誘拐し、その姿は全身に松やにを塗った上に砂を付けていて、毛皮は堅く、鉄砲の弾も通さないのだとか。

ほかにも、狼や熊、狐、鹿、蛇、小鳥や魚にいたるまで、動物の話は多くあります。
野生動物が身近に存在することは、現代の私たちが考えるよりもずっと過酷で、時には人と動物とが、食うか食われるかといった厳しい状況にも追い込まれることもあったでしょう。
けしてあなどってはいけない、畏敬すべき存在と考えて、このような話を教訓にしたのかもしれません。

神隠し、山人

ところで、柳田国男は幼少の頃からとても感受性が強く、たびたび神隠しに遭いそうになったり、不思議な幻覚を見るといった体験をよくしていたのだとか。

『遠野物語』には神隠しの話がいくつかあり、神隠しに遭うのは女性や子どもが多いようです。

また、里から人をさらうという巨漢の「山男」など、山人(やまびと、さんじん) と呼ばれる存在についても、柳田が特に力を入れたテーマでした。

山人は、里の人間とは風体が違う異人のことで、「山男」については身長は2メートルを優に越えるとか、履いている草履の大きさは90センチもあったという話、目の色に特徴があるいう話も残されています。

その山男にさらわれた里の女性が無理やり妻にされて、黒髪の美しい「山女」となったりと、山人の目撃談は尽きません。

リアリティのある幽霊

『遠野物語』には、ごく普通の人々が、幽霊となって現れた話も語られています。

通夜に現れた幽霊

佐々木喜善の曾祖母の通夜があった夜の話です。

祖母と母が一晩中、火を絶やさないように囲炉裏のそばに座っていました。
すると、夜中に不意が足音がして誰かがやってきます。それは亡くなったはずの曾祖母で、曾祖母の幽霊が二人の脇を通り過ぎようとしたとき、丸い炭取りに着物の裾が触れ、くるくると回ります。そのまま幽霊が親族の寝ている座敷へ入っていくと、故人の娘である狂女が「おばあさんが来た」と叫びました。


この、丸い炭取が着物の裾に触れてくるくる回る、というところは、小説家の三島由紀夫が「ここに小説があった」と、日常と怪異を結びつける文学性の高さを評価した有名な場面です。

こうした細部の描写には、これが目の前の現実であるというリアリティが確かに宿りますが、なぜかあまり怖い感じがしないのは私だけでしょうか。

生者と死者、あるいは人間と妖怪や幽霊などの不思議な存在との境界は、『遠野物語』の中では、とても曖昧な気がしてきます。

明治三陸大津波の幽霊

遠野郷のことではありませんが、99話には、明治29(1896)年に起きた三陸大津波のことが伝えられています。

現在の山田町、船越半島にある田の浜という集落に、福二という、佐々木喜善のおばあさんの弟にあたる人が婿に入っていました。

ここは2011年の東日本大震災でも大きな津波被害を受けたところですが、当時の津波でも集落の半数の人が流されてしまい、福二の妻も、ふたりの子を遺して亡くなります。

現在の田の浜付近

津波から一年後の夏の夜のこと、浜辺の霧の中から男女の姿が近づき、よく見ると亡くなったはずの妻が、同じ集落の人で、結婚前に妻が付き合っていたという噂のある男と連れ立っています。
思わず跡をつけて妻の名前を呼ぶと、振り返ってにこりと笑い、「今はこの人と夫婦になっている」と言うのです。
びっくりした福二が、「子供のことはかわいくないのか」と詰め寄ると、妻は顔色を変えて泣き出しますが、結局、好きな男と去って行き、福二はその後、数日患ってしまいました。

佐々木喜善の別の本によれば、福二の奥さんの「遺体はついに見つからずに仮葬式を済ませた」とあり、福二の中では、奥さんがどこかで生きていているかもしれないという気持ちもあったでしょう。
それがあの世で他の人と夫婦になったとわかっては、辛くてもその死を受け入れ、気持ちに踏ん切りをつけるしかなかったかもしれません。

ただの幽霊話や、災害の悲惨さを伝えるだけでなく、悲しみをどう乗り越えるのかという心の復興のあり方も示すような、心に残る話です。

「戦慄せしめよ」

110年前に書かれた『遠野物語』ですが、明治時代の終わりのこの頃は、近代化や西洋化が進み、すでに各地で民間伝承は忘れ去られようとしていました。

『遠野物語』初版の序文には、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。」と書かれています。

「平地人」とは東京など都会の人々という意味ですが、現代に生きる私たちはみな、柳田国男が「山神山人」に対比した「平地人」に違いありません。

遠野の怪異は、長いあいだ日本人が経験し、感じてきたこと、自然の脅威にさらされ、飢えに耐えて生きることの厳しさを見せてくれるような気がします。

この夏、『遠野物語』を読み返して、皆さんも「戦慄」してみてはいかがでしょうか。

取材協力:
遠野市立博物館 令和2年度夏季特別展「遠野物語と怪異」
参考:
・「遠野物語」柳田国男著 大和書房
・「図説 地図とあらすじでわかる!遠野物語」志村有弘監修 青春出版社
・NHK100分de名著ブックス「柳田国男 遠野物語」石井正巳著 NHK出版
・「遠野奇談」佐々木喜善著 石井正巳編 河出書房新社
・「口語訳 遠野物語」柳田国男 後藤総一郎監修 佐藤誠輔口語訳 河出書房新社\

※アイキャッチは河鍋暁斎画 『暁斎百鬼画談』 より

書いた人

仙台市出身。京都で古美術商に就職し、特に日本画に興味を持つ。美術展を追いかけて旅するのが楽しみ。日本の伝統文化にあこがれ、書道や茶道、華道などを習うも才能はなさそう。すぐに眠くなり、猫より睡眠時間が長いとよく指摘される。現在は三陸沿岸に暮らし、東北の自然や文化に触れる日々。その魅力をたくさん発信できたら。