Culture
2020.09.01

『源氏物語』を書いた紫式部はバリキャリ女性?キラキラお仕事生活を紹介!

この記事を書いた人

紫式部といえば『源氏物語』を書いた小説家、というイメージを持っている方が多いでしょう。しかし、紫式部を現代に例えるなら「大手に勤めるバリキャリ女性」。『源氏物語』を書くだけでなく、勤務先であらゆる業務を行っていました。時には飲み会の席でセクハラを上手にあしらったり、同僚からイヤミなあだ名をつけられたりすることも!

一児の母でもあった紫式部は、現代の私たちにも共感できるところがたくさんあります。知られざる紫式部のお仕事ライフを覗いてみましょう!

波乱万丈!紫式部の生い立ち

お仕事ライフを覗く前に、まずは簡単に紫式部の波乱万丈な生い立ちを見ていきましょう!

リストラされて10年間無職の父

紫式部の父は、漢文を得意とする公務員。漢文は今の英語のように、実務で必須の技能でした。そのため紫式部の父は、花山天皇の時代にはかなり出世したのです!

しかし、花山天皇が退位すると同時に父はリストラにあいます。しかも、10年くらい再就職できなかったという不器用っぷり……。

ちなみに母親は紫式部の幼い頃に亡くなっており、なかなか辛い幼少~青春時代を過ごしたようです。

結婚後すぐシングルマザーに

父親の無職期間が長かったせいもあり、婚期を逃した紫式部は、平安時代としてはかなりの晩婚。20代後半で親子ほど年の離れた男と結婚しますが、わずか3年で先立たれてしまいます。2人の間には幼い娘が1人いました。

「この子と2人、これからどうやって生きていけばいいの……。」

夫を失った寂しさを埋めてくれたのが「物語」。紫式部の書いた物語は評判になり、時の権力者・藤原道長に「うちに働きに来ない?」と誘われます。

当時、貴族女性が外に働きに出ることは、はしたないことと考えられていました。それでも紫式部は、道長のもとで働くことを決めます。その理由のひとつに、シングルマザーで経済的に困っていたことがあるかもしれません。

紫式部の勤務先は、今をときめく「超一流企業」

紫式部は、一条天皇の后・彰子(藤原道長の娘)のサロンに、女房として勤めることとなりました。勤め先としては、超一流、最大手です!ちなみに女房とは、貴族のサロンを作り上げるプロ集団。天皇の后の女房ともなると、選りすぐりの才女やお嬢様、美人が選ばれました。

そこではちょっとした貴族じゃ体験できない、華やかな生活が待っています。現代に例えるなら、一流ブランドのセレブパーティーに出席したり、超高級店の料理やスイーツに舌鼓を打ったり。しかも移動は高級車!豪華な衣装に身を包み「あの絵画、ご覧になりまして?」なんて優雅な話に花を咲かせ……。いいなぁ、私もそんな生活してみたい!

そんな貴人の女房は男性人気が高く、多くの貴公子がキラキラ女房目当てに訪れます。まるで「合コン」です。

ともかく紫式部の勤務先は、働く女性憧れの場所だったのです!

紫式部のお仕事ライフ

さて、本題に入りましょう。紫式部は普段どんなお仕事をしていたのでしょうか?

漢文の先生

女ボス・彰子が漢文に興味をもったため、漢文が得意な紫式部が教えていました。漢文は女性が習うものではなかったため、道長には内緒で……。そのうちバレてしまうのですが、道長は娘・彰子の漢文の勉強を応援しました。優しいパパですね。

製本

ベストセラーとなった『源氏物語』製本のために、紙を選んだり清書を手配したり、細かい事務作業も行っていました。当時紙は超高級品だったので、本の制作は道長のバックアップあってのことです。つまり道長は紫式部のパトロンで、2人は男女の関係だったとの説もあります。

伝言係

紫式部は各方面からかなり信頼されており、機密情報を伝える係をしていたようです。まるで秘書のようですね。

出産の手伝い

女ボス・彰子の出産の手伝いにも携わっていました。出産当日は、分娩室の隣の部屋で待機。ボスの出産中は雑用が色々あるのですが、紫式部は記録係だったと思われます。そして産後もずっと彰子の傍にいたことが『紫式部日記』に書かれています。

アフター5も充実しているのがキラキラ女房だ!

なぜか勤務中も退勤後も充実している、現代のキラキラ女子たち。一体いつ休んでいるのだろう?それと同じくキラキラ女房は、アフター5(勤務時間外)も充実しています。

飲み会に出席

女房は、飲み会やパーティーにも出席します。彰子の息子誕生パーティーでは、酒癖の悪い貴族も大勢いました。そこで藤原公任という男に「若紫(源氏物語の女主人公の名前)はいるかな?」とセクハラめいたことを言われた時は、「光源氏のような素敵な男性がいないのに、若紫がいるわけないでしょう!」とピシャリと切り返しています。さすが!

オシャレなイベントに参加

当時流行していた仏教は、貴族の中でオシャレなイメージ。「これから法会(ほうえ)~」みたいな感じで、イケてる貴族は仏教のイベントにこぞって参加していました。人気のお坊さんの講義は、特に大盛況だったそうです。

職場いじめも……。ついたあだ名は「日本書紀おばさん」?

キラキラ女子が集まれば、当然妬み・僻みも巻き起こります。紫式部にも、同僚に仲良くしてもらえなくて、出社拒否していた時期がありました。

また、『源氏物語』を読んだ一条天皇が「この作者は『日本書紀』の教養があるね」と褒めたことがきっかけで妬みを買い、同僚から「日本紀の御つぼね」というあだ名をつけられました。訳すなら「日本書紀おばさん」みたいな感じでしょうか。

ちなみに、清少納言も同僚にいじめられて休職していた時期があります。キラキラ女子も大変ですね。私はキラキラしてなくて良かった~!

▼和樂webおすすめ書籍 誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ

アイキャッチ画像:奥村政信画『見立紫式部図』メトロポリタン美術館蔵

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。