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2022.09.13

『吾妻鏡』で読む大河ドラマ・ 頼朝の鎌倉入り編【鎌倉殿の13人】

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、原作である『吾妻鏡』を読んでみようコーナー! 房総半島の上総氏・千葉氏、そして武蔵国の最大勢力秩父党を味方につけた頼朝様は、いよいよ鎌倉に到着する!

▼今までの流れはこちら!

先頭はイケメンで!

治承4(1180)年10月6日

頼朝様は、相摸国に到着した。畠山重忠(はたけやま しげただ)が先頭になり、千葉常胤(ちば つねたね)が頼朝様の後に従っている。軍勢は幾千万とも知れないほど。

突然のことだったので、頼朝様の御所は建てていなかった。そのため民家を借りたという。

軍勢は幾千万ねぇ……。当時の日本総人口は1千万人もいないんじゃないかって言われてるけど……。でもまぁこの手の数字ってモリモリに盛ってるものだから、実際は数万人ぐらいかもしれない。それでも大軍勢ではある。

ちなみに畠山重忠、これ以降、こういう行列の先頭に立ちがちだ。これはつまり、ドラマでも頼朝様が言っていた通り、「見栄えが良い」ということだろうなぁ。

畠山重忠殿、このお方の中身のイケメンっぷりにオレもメロメロになりつつある。うん。

ドラマとはちょっと違う事情

10月7日

頼朝様はまず鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)を遥拝(ようはい=遠くから拝むこと)した。次に、故・義朝(よしとも=頼朝様の父)様の屋敷がある亀谷(かめがやつ)に向かう。

その場所に頼朝様の屋敷を建てようとしたが、土地がそんなに広くなく、岡崎義実(おかざき よしざね)が義朝様を弔う寺院を建てていたので、他の場所にすることにした。

ここで言う鶴岡八幡宮は材木座(ざいもくざ)にある「元八幡」の方だ。現在の位置には、鶴岡八幡宮はまだない。そして亀谷の屋敷は、現在は寿福寺(じゅふくじ)になっている。

古くからある寺社も、当初と現在とでは場所が変わっているってこと、けっこうあるよな。

国土地理院地図で作成

ドラマでは頼朝様は「狭いとこはヤダ!」とわがままを言って、岡崎のじっちゃんの気持ちをむげにした風に描かれていたが、『吾妻鏡』ではこのように、せっかく岡崎のじっちゃんが建ててくれた寺院を、建て替えて御所にするわけにはいかないと別の所にしたんだ。

家を建てよう!

そんな感じで、10月9日に頼朝様の御所を建てる工事が始まった。担当は大庭景義(おおば かげよし)殿。大庭景親(おおば かげちか)の兄だ。ドラマでは登場しなかったが、実は兄弟で敵味方に分かれていたんだ。

意外かもしれないが、この時代、けっこう一族が敵味方に分かれていることがある。胤義殿の「鎌倉殿予習シリーズ」も是非あわせて読んでくれ!鎌倉殿の13人予習シリーズ

御所をイチから建てると期日に間に合わないので、山内(やまのうち=現・北鎌倉駅~鶴岡八幡宮周辺エリア)にあったとある中古物件を移築することになった。この家にはかの安倍晴明の護符があり、築200年ぐらい経っているのに一度も火事に遭った事がない家だから、だそうだ。

遅らせたのはお日柄のせい?

10月11日、尼御台(あまみだい=北条政子)が鎌倉に到着した。本当はすでに到着してたんだけど、お日柄が悪かったので今日まで延期したとのこと。

これ、ドラマでは「頼朝様が浮気相手とイチャイチャしたかったから」って描かれてたな。でも、その後の尼御台と頼朝様の再会シーンは、尼御台が将軍の正室であると印象づける名シーンだった……。

鶴岡八幡宮、現在の位置に移転!

10月12日、鶴岡八幡宮を現在の位置に移転した。まだ豪華な社は建てられないので、まず簡素な社を建てたという。

神仏への信仰が現代よりも身近にあった時代、神社や寺の場所は重要なものだった。鎌倉と言う都市の中心をどこに据えるかという話だからな。頼朝様は八幡宮の本宮を新旧どちらにするかかなり悩んでおられたらしい。でも最終的にくじ引きでお決めになった。

このくじによっては、現代の鎌倉の町並みもかなり違うものになってたんだろうなぁ。

歴史にたらればはない、とはいえ、ちょっと別の鎌倉も見てみたいかもしれん。

一方その頃、北条時政は?

さて、北条時政(ほうじょう ときまさ)が、甲斐源氏の武田信義(たけだ のぶよし)殿と合流したことは覚えているだろうか。

10月13日、信義殿と北条父子は駿河国に入ったそうだ。そう。北条父子……つまり時政義時だ!! 大河の主人公、およそ2カ月ぶりに出て来たと思ったら、いつのまにそっちに行ってたの!?

駿河国では平家の家人でもある目代が襲って来るという情報を掴み、迎え撃つ事となる。そして石橋山で敗走していた加藤光員(かとう みつかず)・景廉(かげかど)兄弟も駿河国で合流した。14日、目代の軍と合戦となり、これを撃破。首を取ったという。

頼朝、動きます!!

突貫工事で進められた頼朝様の屋敷の移築も、10月15日には完成して住めるようになった。さて……と、息つく暇もなく翌16日、頼朝様は平家軍を迎え撃つため、武田軍との合流地点である駿河国へ出発する!

その軍行の様子は、次回に続く!

アムr……頼朝、いきま~す!

アイキャッチ画像:葛飾北斎『鎌倉』「ColBase」を加工して作成

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

▼和樂webおすすめ書籍
眠れないほどおもしろい吾妻鏡―――北条氏が脚色した鎌倉幕府の「公式レポート」 (王様文庫)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。