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2017.05.11

高さも水量も日本一!鎌倉時代に描かれた「那智の滝」や「神々の豊かさ」を巡る旅を和歌山県・熊野で

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世界遺産の地で感じる聖なる気配は、何者をも受け入れる熊野の神々の豊かさ

京都・奈良の古都から、南に下った陸の端に位置する熊野。山岳修験(しゅげん)の行場でもあるこの地は、朝霧が立ち込める山々から、熊野川を経て黒潮の荒波がつくりだした奇妙な岸壁まで、自然環境も気候も大きく異なります。温暖な気候と大量の雨が育む大森林や、潮流がめぐる海原からさまざまな恵みをいただく一方、熊野本宮大社(ほんぐうたいしゃ)の社殿を流出させた明治の大洪水や、広域にわたり甚大な被害をもたらした2011年9月の台風12号なども。多雨地域で台風の通り道でもあるがゆえ、熊野の人々は自然の恩恵と驚異と、共に暮らしてきました。
DMA-_EDC1686熊野本宮大社 住所 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
 
平安時代、熊野に現世の極楽浄土を見出した上皇からはじまった熊野詣で。古道(こどう)ウォークはまたたく間に貴族に流行し、やがて武士や庶民までもが熊野を目ざします。杉木立のなかをゆく山の古道は修験道であり、祈りや癒しの道だったのです。山中の道が多少整えられた現在でも、やはり苦や労を経てこそ、聖地へとつながる道。こうしてさまざまな人を受け入れ、神道、仏教、修験道と多様な信仰を受け入れてきた熊野は、平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。 

さて、神社の鳥居をくぐったら、どうぞゆっくり参道を歩いてみてください。同行者がいても、ひとときおしゃべりをやめて。風にそよぐ葉ずれの音に耳を澄まし、木漏れ日の温かさを肌に感じながら進めば、社殿で鈴を鳴らすころにはきっと心が落ち着いているはずです。熊野三山詣でも古道ウォークも、平安時代のそれとは趣が異なるにしても、乱れた心を鎮め、癒し、いくばくかの力を与えてくれるものに変わりないでしょう。こうして心の平安を取り戻すことが、神々が降りる地を詣でる最大のご利益なのかもしれません。

那智の瀧(飛瀧神社)

幅13mの銚子口から、133mという日本一の落差を下降する名瀑(めいばく)那智の滝。神武天皇が熊野東征(とうせい)の折に見つけ、ご神体として祀ったことにはじまる。今でも社殿や拝殿は置かず、滝を正面に望むのみ。行をつむ修行僧でなくても、その清浄な空気と霧状の飛沫を全身に受ければご利益が。
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公式サイト

熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)

那智川沿いの県道から上っていくと、那智原始林として天然記念物に指定されている山を望む、丹塗(にぬ)りの美しい社殿が。主祭神である熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の「夫須美」が「むすび」に通じるところから、古くは「結宮」(むすびのみや)の通称で呼ばれた、熊野権現の本社。今もさまざまな縁を結ぶ諸願成就の社としてにぎわう。
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公式サイト

熊野速玉大社

清浄な新宮(にいみや)に神々を祀り、自然の恵みを献(けん)じて感謝と畏敬の心で祈りをささげ清め祓(はら)う、神社神道の倣いを実践する速玉大社。熊野信仰の象徴でもある梛(なぎ)の大樹を見ながら参道を行き神門をくぐれば、壮麗な丹塗りの熊野造り社殿と、神社建築に最も多い流造社殿が並ぶ様に圧倒される。DMA-_EDC1015

公式サイト

熊野古道

熊野三山の信仰が高まった古代から中世。上皇から庶民まで多くの人が熊野を目ざして列をなし、その様子は「蟻の熊野詣で」とたとえられたほど。田辺から山道で本宮へ向かう中辺路(なかへち)、海岸沿いに那智・速玉へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から本宮への小辺路(こへち)の3経路は「熊野参詣道」として世界遺産に登録。DMA-_EDC1716

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