Culture
2020.11.26

「マンダム」を知らない人はいない!?日本の老舗整髪料がインドネシアの生活文化を変えた!

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日本初の製品が、海外の人々にとっての「常識」と化す現象がしばしば起こる。その中には「こんなものが普及してるのか!?」と日本人が驚愕してしまうものもある。

インドネシアでは、誰しもが「マンダム」という固有名詞を知っている。

東南アジアの男は、日本人がおぼろげに想像している以上にお洒落だ。アイロンの通っていない服は着ないし、散髪もこまめにする。寝癖の立った頭で外出することはまずない。

だから彼らは日系メーカーの整髪料を使う。マンダムは、もはやインドネシア人にとっての生活の一部なのだ。

ポンパドールを実現させる「丹頂チック」

インドネシアと日本の共通点、それは冷戦時代にアメリカを盟主とする自由主義国陣営に入っていたということだ。

ブレトン・ウッズ体制の下、米ドルは世界最強の通貨と化しハリウッドは地球上で最大の娯楽映画生産地になった。インドネシアも西側諸国の例外ではなく、アメリカから洪水のように映画や音楽が押し寄せた。それは文化のアメリカナイズを促したという側面も確かにあるが、一方でファッションや美容の分野に巨大な刺激を与えた。

エルビス・プレスリーやジェームズ・ディーンのことは、インドネシア人もよく知っている。男たちが髪をポンパドールにセットし始めると、それを手軽に実現させる整髪料の需要が発生した。

60年代後半のインドネシアで流行った整髪料は、丹頂チックである。この製品は現在でも販売されている。その使い方は、今の若年層から見るとかなり特殊だ。まず、この丹頂チックはクリームやジェルではない。巨大なリップクリームのような固体の整髪料である。円筒の底部を押し出して、整髪料を直接頭に擦り付ける。昔の整髪料らしく、かなり強い香りがする。髪の毛自体もカッチリ固まる。1回の洗髪では完全に落ち切らないほどだ。この丹頂チックをインドネシアで生産するために、マンダムは現地法人を設立した。1969年のことだ。

日本で姿を消した製品が今でも

インドネシアに行くと、日本ではすっかり見なくなったマンダムの製品が今でも売られている。

『マンダム55ヘアクリーム』がいい例だ。一昔前の理髪店に置いてあった整髪料で、その香りも懐かしい。現代日本には売られていないものだから、筆者はインドネシアへ渡航する度に大量に買い込んでいる。マンダムは昔ながらの製品だけでなく、新製品の市場投入にも積極的だ。現地の若者が多く集まるイベントに、マンダムの企業ブースが設置されていることもよくある。それと同時に、営業社員はワルンを1軒1軒当たってマンダムの製品を置いてもらう。

この国の実体経済を支えるのは、「ワルン」と呼ばれる個人経営の雑貨屋兼食料品店である。漫画『あしたのジョー』に出てくる林屋のような店、と言えば実態にかなり近い。ドラマ『大草原の小さな家』のオルソン商店、でもいいだろう。このような店が、インドネシアのどの町や村にもある。中央政府はこれら「伝統的店舗」に対する保護政策を打ち出している。与野党の区別なく、この国の政治家はかつてのウォルマートがやったような焼畑商業を阻止する公約を打ち出す。そうしないと選挙に勝てないのだ。

そのような事情があるから、マンダムに限らず何かしらの生活用品を製造する企業は、ワルンとそれに商品を提供するグロシール(卸売業者)に話を持ちかける。

小売にもインドネシア独自の工夫を凝らす。粉末コーヒーも蚊取り線香も、そして整髪料も基本は1個毎の販売だ。1個とは、文字通り1回使い切り分の量である。インドネシアでは「大人買い」よりも必要の都度購入する習慣が根付いている。

さらにこの国は、日本以上に二輪車に乗る文化が栄えている。ヘルメットを被って脱いだ時、セットが乱れないかという点も評価の対象になるのだ。

身近な日系ブランド

現代インドネシアは、世界でも特に親日的な国のひとつでもある。

最近では『鬼滅の刃』の劇場版上陸を待ち望む声が強くなっている。日本人が知っている漫画やアニメは、インドネシア人も同様に知っているという状況だ。『クレヨンしんちゃん』が政府の放送委員会から「ポルノ同様の内容」と名指しされた時、現地の若者は「我々の弟をいじめるな!」と声を上げた。プリブミ(マレー系インドネシア人)も華人も、日本の文化に対しては好印象を抱いている。

彼らは物事ついた時から、日系ブランドの製品に接している。その代表格がマンダムの整髪料だ。大人になった彼らが親日家になるのは、むしろ必然と言えるかもしれない。