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2019.08.15

大阪地元民がおすすめする法善寺横丁観光!水掛け不動、夫婦善哉などまとめて紹介

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大阪というと派手なネオンや、たこ焼きをイメージする人が多いようです。コテコテの大阪も魅力的ですが、一味違うスポットがあるのをご存知ですか。大阪ミナミの繁華街から一歩路地へ入った「法善寺横丁」は、しっとりとした情緒あふれる場所。若者から中高年まで多くの人気を集めています。

法善寺横丁とは?

御堂筋線・千日前線、近鉄、南海「なんば駅」から徒歩約5分。法善寺の北側にある細い路地を「法善寺横丁」と呼びます。長さ80メートル横幅3メートルに満たない石畳の路地には、老舗の割烹やバーや串カツ、お好み焼きなど約60軒のお店がならんでいます。法善寺横丁の歴史は古く、江戸時代の中頃にさかのぼります。

1.苦難を乗り越えて人々を見守る「法善寺」

400年近い歴史を持つ法善寺は、繁華街の喧騒から離れた空間。1日中お線香の香りが漂い、地元の人だけでなく多くの観光客が訪れます。副住職の神田眞英(しんえい)さんは、「法善寺横丁は、法善寺の境内で参拝客相手に商いを行っていた露店が始まりです。浄瑠璃などもやっていたようですね」と語ります。法善寺は第二次世界大戦で被害を受け、本堂が焼け落ちてしまいました。本尊の阿弥陀仏は背負って逃げたお蔭で難を逃れ、水掛け不動として有名な西向不動明王も無事でした。

すがる思いが生んだ水掛け不動

写真提供 法善寺

神田さんが物心ついた時にはすでにこのお姿だったそうですが、このように苔に覆われるようなったのは、昭和の初め頃からだそう。思いつめていた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのが始まりです。仏様にすがる思いが、それ以来多くの人の、願かけと同時に水を掛ける作法の発祥となりました。どんな願いごとも後押ししてくれると言われ、「水」から転じて飲食や芸能などの広い意味での水商売の参拝客も多いようです。かけるための水は、戦災から逃れた境内の井戸のもの。バケツの水が無くなると、自然と入れて置いていく流儀が続いています。

夜の参拝で心を潤すオアシス

法善寺は、境内の参拝が24時間可能です。昼間の「まちのお寺」としての場所が、夜に訪れると全く違った光景に変化します。年間を通して夜間の参拝が可能な寺社は少なく、提灯が灯り幻想的な雰囲気に惹かれて、門をくぐる人が絶えません。仕事帰りのサラリーマンや、寄席への出演前と思われる落語家など様々な人が手を合わせていきます。ご朱印、お守りなどを求める場合は、午前8時から午後11時まで授与所で受付しています。

浄土宗 天龍山 法善寺 基本情報
住所:大阪市中央区難波1-2-16
アクセス:「なんば駅」下車なんばウォークB16出口から北へ徒歩1分
「日本橋駅」下車なんばウォークB18出口から北へ徒歩1分
公式Webサイト:https://houzenji.jp/

2.浪速の人情が守った「法善寺横丁の町並み」

法善寺横丁は、平成14年と平成15年に二度の火災が起こって、大きな被害を受けました。「まだ落ち着いていない状態からすぐに、法要を行いました」と神田さん。住民の気持ちが一丸となり、文化人や芸人、府民らを始め全国から再建を求める声が集まります。30万人近い署名が後押しとなって、昔ながらの佇まいを取り戻したのです。法令の制限などで復元は困難な道でしたが、文化人達が「大阪の文化」と表現した道幅を保持したままの景観が守られました。西側入り口には、喜劇役者藤山寛美書の看板が掲げられ、反対側の入り口には落語家三代目桂春団治によるものが掲げられています。

東の太宰、西のオダサク

法善寺横丁の名前を最初に世間に知らしめたのは、大阪が生んだ作家、織田作之助です。「オダサク」の愛称で呼ばれ、大阪の庶民の暮らしを描いた作品を残しました。東の太宰(太宰治)西のオダサクと呼ばれ、人気作家として活躍しましたが、34歳の若さで生涯を閉じます。法善寺界隈を愛し、「大阪で案内するならばこの場所」とエッセイに書いています。横丁の一角にひっそりと佇む文学碑には、「行き暮れてここが思案の善哉かな」の言葉が。最近では、文豪達が登場するアクション漫画「文豪ストレイドッグス」のキャラクターとして、若者から支持を集めています。オダサクは草葉の陰から驚いていることでしょう。

織田作之助自筆入りの写真 写真協力 法善寺「夫婦善哉」店

オダサクの代表作といえば…

織田作之助の代表作は、昭和15年に出版された「夫婦善哉」です。しっかり者の芸者の蝶子と、優柔不断な化粧品問屋の若旦那、柳吉との恋愛模様が描かれています。どうしようもない人間のだめさ加減を、関西弁独特のユーモアで包んだ哀愁漂う作品。物語の終盤、姿をくらまして帰って来なくなった柳吉がふらっと蝶子のもとへ戻って来ます。「なんぞうまいもん食いに行こか」と誘った先は、「夫婦善哉」の店。「この善哉はなんで、二杯づつ持ってきよるか知ってるか。一杯を山盛りにするより、ちょっとづつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいっているように見えるやろ」と柳吉は得意そうに言います。「一人より女夫(めおと)の方が良えいうことでっしゃろ」と応じる蝶子。物語の重要な舞台となっている「夫婦善哉」は、実際に存在するお店でした。

「夫婦善哉」初版本 写真協力 法善寺「夫婦善哉」店

3.伝統の味を引き継ぐ店「法善寺 夫婦善哉」

130年以上も昔、法善寺の境内に文楽の太夫竹本琴太夫が副業として、「お福」という店名のぜんざい屋を始めます。一人前なのに二杯のお椀に分けて出てくるアイディアは当時からでした。時を経て小説の評判と映画化のヒットもあり、「夫婦善哉」店は脚光を浴びます。その頃には「お福」の店名も「夫婦善哉」に変わっていました。昭和39年にはサトフードサービス株式会社の創業者、重里進さんが「伝統の味を絶やしてはいけない」と暖簾を引き継ぎ、現在にいたります。店内の壁一面には、織田作之助に関連するものなどが掲示されています。

法善寺「夫婦善哉」店の三代目マスコット「お福人形」

森繁と淡島千景の名演が光る名作

夫婦善哉は、昭和30年に文芸作品の巨匠、豊田四郎監督によって映画化されて注目されました。主演の森繁久彌と淡島千景はそれぞれの役柄を好演し、第6回ブルーリボン賞ではダブルで主演賞を受賞しました。全てセットで撮影されましたが、大阪の町をリアルに再現していて、地元の大阪人が見ても納得の作品でした。撮影が終わってから、森繁久彌は舞台となった法善寺界隈を訪れ、「夫婦善哉」店にも立ち寄っています。店内に掛けられた森繁久彌直筆の書には、「ここ法善寺なる境内の水かけ地蔵の路地ほとり柳吉お蝶のむすばれた甘いえにしのお多福はめおと善哉にご座候」。年月を経ても古びない原作の魅力から、その後も舞台化やテレビドラマ化が続きました。平成25年に森山未來、尾野真千子主演で放送されたテレビドラマは、新解釈を盛り込んだ意欲作で評判を呼び、数々の賞を受賞しています。

写真協力 法善寺「夫婦善哉」店

夫婦善哉は縁起物

13年前から「夫婦善哉」店で働く店長の上村より子さんは、「何十年も前の子どもの頃に食べた人が来てくれて、『味が変わっていない』と言ってくれるのが嬉しいですね」。引き継いだ秘伝のレシピを知るのは、上村さんを含めて社内で3人だけ。丹波大納言の小豆を専用の釜で8時間かけて炊いた後、さらに約1日寝かせることで自然な甘みを引き出しています。受け継いだ使命感から手間暇は決して惜しみません。「夫婦善哉は縁起物です。二椀で一人前なので分けずに、一人で食べてくださいね」カップルで食べると円満に、お一人様は成就が叶うという言い伝えの「夫婦善哉」。大阪観光の折には、法善寺、法善寺横丁をぶらぶらしに寄ってみると、幸せが舞い込むかもしれません。

法善寺 夫婦善哉店 店舗情報
住所:大阪市中央区難波1-2-10
公式Webサイト:https://sato-res.com/meotozenzai/