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Culture
2021.02.22

意外と新しい「バンザイ三唱」の起源、知ってますか?メデタイ席で普及するまでの道のり

この記事を書いた人

このあいだの寄稿で「君が代」の起源について触れました。今度は「バンザイ三唱」の起源について書きます。

なにかしらの行事に際し、祝意を表すために「バンザイ」と唱えるのは、ふつうにある習慣です。それが普通になるまでに、どんな歴史をたどっているのでしょうか。

「万歳」はなぜ「バンザイ」と読むのか

万歳と漢字で書いて、いまの読み方はバンザイが最優先ですけれども、本来はバンゼイと読みます。雅楽の曲で「万歳楽」というのがありますが、これについてはマンザイラクと読みます。漢和辞典を引くと書いてある「漢音」と「呉音」の違いです。いずれにせよバンザイとは読まないはずなのに、漢音と呉音をまぜこぜにしたのは、きっと無学無教養な人が恥ずかしい読み間違いをしたのが切っ掛けなのだろうと勘繰っていましたが、そうではありませんでした。

バンザイの元祖は、頭の良い人しかいない東京帝国大学です。ときに明治22年、大日本帝国憲法が発布されることとなり、記念式典でどのように祝意を表すべきかが課題となったとき、バンザイと発声することが帝大から提案されたのでした。

はじめ、文部省が「奉賀、奉賀、奉賀」と三唱することを発案しましたが、帝大教授でのちに第3次伊藤内閣の文部大臣となる外山正一が異議を唱えました。

長寿を祈るめでたい言葉「万歳」

清水彦五郎氏談話聞書

明治以後「万歳」を唱へることの起原に就いては私が最も委しく知つて居る一人であるから聊か御質問に応じて御話を致しませう。

明治以後「万歳」を唱へることは、明治二十二年二月十一日憲法発布の当日に帝国大学が唱へたのが初めであります。憲法発布は実に我国の一大盛典である。此の盛典を祝するに当り。如何にして我々の熱誠を外形に表はすべきかに就きては上下共に心を砕いたのであります。

我帝国大学の如きも、当日観兵式行幸の際、二重橋外に奉迎することになったが、此の時如何にして此の欣びを表はさんかに付きては大学でも苦心したのである。唯無言で最敬礼をするぱかりでは此の場合大に物足らぬのである。外国には既に定まつた詞があるが、我国にはまださういふ詞がない。それで大学では評議員会で種々詮議をしたが、これぞといふ名案が見つからない。其の時文部省から「奉賀」と云つてはどうだと云つて来た。そこで私は舎監であるから生徒を運動場へ集めて「奉賀−奉賀−奉賀」と三声発声の練習をやつた。処が「奉賀」一声ならまだよいが、三声連声となると声の続き工合で「賀奉」と聞える。この「ガホウ」が一寸発音上「アホウ」と音が紛れ易い。どうもこれでは甚だ面白くないと私に心配した。時の文科大学長外山正一氏はかゝる事には非常に熱心な人であつたから自分でも運動場へ出て練習をやられる。処が外山博士は演説家であり、殊に如何なる音は力が強く、如何なる音は力が弱いなどといふことを熱心に研究して居られたが総べてかゝる際の発声には第一の音が大事である、第一の音が力が強くなくてはならぬ。この「奉賀」は第一の発声「ホウ」といふのが力が弱くて到底大声に唱へるのに適当でないと云はれた。私が実際にやらしてみた結果も面白くない。即ち理論でも実行でも共にだめだといふ事に帰着した。これは譬へ文部省からの案ではあるが用ひられぬといふ事に極まつた。

(和田信二郎『即位礼に称ふる万歳の称へ方に就きて』大正4年 p12 より)

こうして「奉賀」が退けられたわけです。そこで浮上してきたのが「万歳」でした。もとより「万歳」は長寿を祈る意味ですから、めでたい席ならいつでもどこでも通用します。ただし、本来ならバンゼイと読むか、マンザイと読むか、いずれかなのであります。どうして「バンザイ」と発声するのでしょうか。

第一音の強さが肝

初め「バンゼイ」とやつて見たがこの「ゼイ」がどうも今日普通のものの耳には疎い感がする次に「マンザイ」とやって見たが、これでは正月鼓を打って来るあの三河萬歳を連想し「マンザイーマンザイ」と連呼すれば「三河萬歳此所へ来れ」と萬歳を呼ぶやうにも聞える。そこで又例の外山博士が発声上最初の第一音は最も力が強くなければいけぬ、「マン」は弱く、「バン」は強い。それでどうしても第一音は「バン」でなけれぱならぬ。第二音「ゼイ」は今日耳遠く「ザイ」の方強くして可なれば漢呉音取りまぜながら「バンザイ」としては如何との議を出された。そこで又々練習をやつて見るのに至極よろしい。そこでいよいよ「バンザイ」と唱へる事に確定した。

(和田信二郎『即位礼に称ふる万歳の称へ方に就きて』大正4年 p14 より)

無学無教養な人の恥ずかしい間違いなんてトンデモナイことで、極めて知能に優れた人たちが、あえて漢音・呉音まぜこぜにしたというのが真相でありました。

「バンザイ」の普及

憲法の発布は国民こぞって祝意を表すべき事柄だったので、この耳慣れぬ言葉を一般大衆にまで周知させなければなりませんでした。一片の通知文書を回覧させる程度にはとどまらず、人々を集めては日々「バンザイ」を唱える練習をさせることにしました。その結果、酒屋や八百屋に奉公する人たちまで、道を歩きながら「バンザイ」を叫ぶほどでした。

式典当日、皇居二重橋前の特等席を占めたのは、学習院の生徒と、帝国大学の学生たちでした。その発声の音頭は、本来なら東大総長だった渡邊洪基がつとめるべきでしたが、バンザイの発案者だからでしょう、外山教授が音頭を取りました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

そのとき「天皇陛下、バンザイ、バンザイ、バンバンザイ」と叫んだそうですから、いまの万歳三唱とは少し違っていました。やがて陸軍でも「バンザイ」を採り入れましたが、その時期については定かでありません。海軍では「奉賀」を叫んで祝意を表すこととされていましたが、大正三年の海軍礼式令で「バンザイ」を採用しました。

なお、帝国大学においてバンザイは天皇や皇族に対してのみ用いられるとされていましたが、それが社会一般で広く用いられるようになったせいか、いつしか卒業式などでもバンザイを唱えるようになり皇族限定の規定は廃止されました。いまでは、子どもが喜びを表すときにもバンザイを叫んだりしますから、かつては皇族に対してだけ用いていたとは、とうてい信じがたいことになりました。

ともあれバンザイは卒業式でもバンザイ、結婚式でもバンザイ、めでたい席なら何処でも通用する便利な風習です。

書いた人

1960年東京生まれ。日本大学文理学部史学科から大学院に進むも修士までで挫折して、月給取りで生活しつつ歴史同人・日本史探偵団を立ち上げた。架空戦記作家の佐藤大輔(故人)の後押しを得て物書きに転身、歴史ライターとして現在に至る。得意分野は幕末維新史と明治史で、特に戊辰戦争には詳しい。靖国神社遊就館の平成30年特別展『靖国神社御創立百五十年展 前編 ―幕末から御創建―』のテキスト監修をつとめた。