明治28年(1985)、日本で2番目の国立博物館として開館した奈良国立博物館(通称、奈良博)。開館以来、古都奈良の社寺に伝わってきた仏教美術の保管や展示公開につとめてきたことから「仏教美術の殿堂」と呼ばれるほど、伝統と格式ある博物館なのだが……
SNSでは、
「信じられるか?正倉院展と同じ博物館なんだぞ!」「地球を守ってくれそうな気がする」「攻めに攻めてる!」「奈良博はビジュアルが尖ってる!!!」と注目を集めまくっている。
何がそんなに注目を集めているのかというと、現在開催中の特別展「奈良博三昧 -至高の仏教美術コレクション-」(2021年9月12日まで)のメインヴィジュアル、2ndヴィジュアルだ。
※本記事は、特別展を取材したものではありますが、奈良国立博物館の館蔵品から仏教美術とはなにか?奈良博とはどのような博物館なのか?を知る内容です
おぉぉ~、まるでアメコミ!しかし、ただのアメコミ風ではなく「ちゃんと仏像のヒエラルキーを守って作成されています」と同展覧会担当の谷口耕生研究員(以下、谷口先生)は語る。
これもまたすごい!んんん???何だか既視感が……
「はい、アベン○ャーズのあくまでもオマージュですね(笑)。我々がピンチの時に救ってくれるヒーローは仏様も同じだと思います」(谷口先生)
なるほど、ヒーロー!しかも、これらはすべて館蔵品。これを機に、息子のR君(小学4年生)と奈良博がどんな博物館なのか楽しめるのでは?
そう思って、早速この2種類のヴィジュアルを見せてみた。
「へぇ~、カッコイイやん。なんか、(2ndヴィジュアルが)ウルトラヒーローショーとか特撮のチラシっぽい」
奈良県在住のため、お寺も仏像も身近にありすぎて、普段は関心が薄いR君だが、興味は持ってくれたようだ。しかし、一緒にヴィジュアルを眺めながら、衝撃の質問をしてきた。
「お母さん、仏教美術ってなに?」
母:……(無言)
この純粋な問いに、あなたは答えられるだろうか?
そんな訳で、奈良博の研究員の先生方のご協力のもと、R君と一緒に「仏教美術とはなにか?」教えて頂くことにした。
館蔵品約2000件のうち、選りすぐられた246件(うち国宝13件、重文100件)が展示されている同展覧会だが、各専門分野の研究員が一押しする館蔵品は果たしてどれなのか?本稿を通じて、仏教美術ってこんな風に楽しめるんだ!とR君と一緒に奈良博ファンになって頂けたら幸いだ。
「このキャラの謎解きしたい」館内で手にしたジュニアガイド
まず、入館して真っ先に手にとったのは、同展覧会から奈良博公式キャラクターデビューした5匹のキャラ「ざんまいず」の『なぞとき!ざんまいずの探検 あおじしの主を探して』というジュニアガイド。
漫画クイズ形式で作品を観ながら謎解きができ、終えると、ちょっとしたプレゼントが貰える。生みの親は、奈良博教育普及担当の翁みほりさん。すべて館蔵品がモチーフになっている「ざんまいず」の5匹は、今後も同館の公式キャラとして、ビギナーやキッズに向け大活躍する予定だという。仏教美術ビギナーやお子様ウェルカムな体制が整っている博物館だと分かり、嬉しい限りだ。
日本仏教絵画史専門・谷口先生の一押し 国宝「辟邪絵(へきじゃえ)」
各専門の先生方がどんなところをおもしろいと感じているのか知りたいというビギナーのR君。一押し作品と理由を伺ってみることにした。
谷口先生:国宝の「辟邪絵(へきじゃえ)」です
母:あぁ、2017年の特別展で「奈良博戦隊ヘキジャーズ」のモデルになった作品ですね
R君:奈良博戦隊ヘキジャーズ……ぬり絵をした気がする
谷口先生:そうそう。カラー分けしていたから、スーパー戦隊ヒーローみたいだったでしょう?
「辟邪絵(へきじゃえ)」は、天刑星(てんけいせい)、栴檀乾闥婆(せんだんけんだつぱ)、神虫(しんちゅう)、鍾馗(しょうき)、毘沙門天(びしゃもんてん)の5人の善神達が、疫病や禍をもたらす悪鬼を懲らしめる様子を描いている。
谷口先生:5人のキャラが立ったヒーロー(善神)が新型コロナウイルス(疫病をもたらす悪鬼)と戦っているので現代に必要な作品ですよね。例えば、天刑星を観てください。鬼を酢に付けて、ちゃんと消毒してから食べているんですよ!!
R君:へぇぇ~。ていうか、酢は消毒になるって今知った!
母:お寿司のシャリも酢飯でしょう?あれもそうだよ
谷口先生:この室町時代の「泣不動縁起(なきふどうえんぎ)」もおもしろいですよ。
不動明王のご利益が描かれたものですが、写本として写すことを繰り返すうちに、輪郭線がしっかりしてキャラが立ってきたんですよ。机をひっくり返したような一番右の子。実際に机の脚なんです。口の上ににたぁ~とした細い目があるんですよ。分かります?ヒーロー安倍晴明(黒い装束の陰陽師)の前だとこんなに大人しく座っちゃうんですよ
母:なんかジブリ作品の「千と千尋の神隠し」に出てきそうなキャラ達ですね。R君、どうよ?
R君:うん、キモ可愛いんちゃう?
谷口先生:まだまだ、ありますよ~! この「東大寺曼荼羅」をよ~く見てください
母:なんだか東大寺の境内を空撮したような構図ですね!
谷口先生:こちらに拡大したものがあるのですが、よく見てみると、何かあげてるんですよ! これ約400年前のものなのですが、もしかすると最古の鹿せんべい!? と思ってしまいますよね(笑)
R君:すげ~、鹿せんべいなの?
谷口先生:実際はおにぎりかもしれないし、何かわからないけど、鹿せんべいだったら、おもしろいですよね
母:ここに描かれているのは、当時の観光客ってことですね!
日本彫刻史専門・山口隆介先生による奈良博の仏像コレクション秘話
次に、前回(「特別展 聖徳太子と法隆寺」)の記事でもR君とお世話になった日本彫刻史が専門の山口先生に伺った。おススメは、「南都ゆかりの仏教美術」のコーナーすべてだという。
山口先生:明治時代の神仏分離令で神と仏が分けられ、お寺を離れた仏様があります。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)は知っていますか?
R君:たぶん。(少年ジャンプの漫画)『るろうに剣心』(安慈和尚のページ)に出てきたと思う
山口先生:奈良博は、当時の興福寺の敷地内にあります。一般的には、廃仏毀釈というと、日本中の仏像が滅多打ちにされたり、薪にしてくべられ燃やされたりというイメージを持っていると思うのですが、ごく一部の地域では実際にそういったケースはあったものの、そうではないケースも結構あるのです
母:鹿児島県とかは、(仏像やお寺が)破壊された例もあったんですよね?
山口先生:そうですね。興福寺には、実業家に譲られる直前の仏像を撮った明治39年の古写真が残っているんです。この写真を見る限り、少なくとも興福寺では、神仏分離から40年経った時点でもこれらの仏像が大事にまつられていたことが分かるので、仏像が壊された訳ではないと言えます
R君:壊されなくて良かった~ 。今もいっぱいあるし
母:この古写真には大事なメッセージがあったのですね
山口先生:で、実は奈良博のコレクションの中には、この古写真に写っている仏像もあるのです。
R君:えぇぇ! すごい
山口先生:奈良博の仏像コレクションのひとつの核をなすのが、かつて興福寺にあった仏像なのですが、興福寺から直接買ったり、譲り受けたりしたのではないんです。でも不思議なことに、興福寺の仏像たちが集まってきて今、コレクションの顔になっている。いわば、元あった場所にみんな戻ってきたのですね
R君:なんか感動……
母:苦しい時代でも、興福寺は、大切な仏像をなんとか守ろうとしてきたことがわかるお話ですね
まさに、奈良博の仏像コレクション秘話ともいうべきお話だった。
仏教彫刻史専門・岩井共二先生の一押し作品は、360度どこから見ても完ぺきな仏様
着衣形式から仏像の形の分析をおこなっている岩井先生が一押ししたいのは、平安時代の国宝「薬師如来坐像」の背中の衣紋(えもん)だという。同像は館蔵品のなかでは唯一の国宝。ちなみに奈良博は館蔵品よりもお寺からの寄託品が多いのが特徴だ。
岩井先生のおススメを見るため、後ろに回ってみた。
R君:お母さん、仏様の背中って初めて見たかも
母:確かに、お寺におまつりされていると、見えない部分よね……普通は光背(こうはい)があるから、余計に背中って見えないよね
岩井先生:この像の後ろを公開するってなかなか無かったんですよ。今回の展覧会だから、こういうガラスケースに入れて見ることができます。私も改めてじっくり、後ろを見てキレイだな……と
岩井先生:「茶笏型衣紋(ちゃしくがたえもん)」と言いますが、とにかく衣紋(えもん)のえぐり具合というか、カーブの描き方が非常に美しい。このお像自体の存在感を増幅させていると思います。身体の張り、立体感、存在感ある背中です。
R君:お寺にいる時は誰も見ない部分だから、後ろは手を抜いても良かったのに?
岩井先生:仏様を完全なお姿にしたかったんでしょうね。360度どこから見ても完全な姿の仏様をトータルで実感することができますよね
奈良博には出土品も!日本の歴史考古学専門・中川あや先生一押し作品
今まで観てきたものは、「伝世品」と呼ばれる美術品など、いわゆる一度も地中に埋まることなく残った文化財だが、奈良博の館蔵品には、出土品つまり考古作品もある。
なかには、「ざんまいず」の5匹のうちの1匹で「はにわんこ」のモデルになった古墳時代の埴輪も。ニコニコ美術館の配信で同館の吉澤学芸部長が「以前は、負け犬太郎って呼ばれてたんですよ」と語り、一躍注目を集めた埴輪犬だ。
中川先生一押しは、「北和城南古墳出土品」。昭和12(1937)年に奈良地方裁判所から引き渡しを受けた元々は盗掘品で、様々な古墳からの出土品なので、出土地は不明だ。北和(奈良県北部)から城南(京都府南部)の古墳から出土したのでは? と推測され、名付けられた。
R君:盗掘品!?
中川先生:どこで出土したものか分からなかったんですが、館外の考古学者たちが裁判記録を読み解き、近年になってどこの古墳から出土したものか、だいぶ絞られて分かってきたんですよ。でね、京都府京田辺市の興戸二号墳などからの出土品が多く含まれていることが分かったんです
母:へぇぇ~すごい! その地道な作業を思うと考古学者の執念を感じますね
中川先生:もっとおもしろいことに、これ色々形が違うでしょう? 様々な貝で作られた貝輪が元ネタで、それを真似て古墳時代に「鍬形石(くわがたいし)」とか「車輪石(しゃりんいし)」の名前からも分かるように石で作っているんです(石製腕飾)
R君:えっ!!! 貝!! 俺、貝好き。見せて見せて
中川先生:ほら例えば、石釧(いしくろ)は、元々はイモガイ製の貝輪だったの。他にも車輪石は、カサガイ製の貝輪が元ネタとかね
R君:イモガイってあの猛毒の……。カサガイのは真ん中に穴が開いているけど、穴がなかったらちゃんと傘の形
母:確かに
R君:この剣みたいの(銅矛)もカッコイイ。てか、俺も発掘したい、こんなの出したい
仏教美術作品だけではない、奈良博館蔵品の幅広さを改めて感じるコーナーだった。
仏教美術ってなに?の答え、お性根抜き(撥遣法要)とは?
それぞれ専門の先生方に一押し作品から楽しみ方を伺ったが、当初の質問である「仏教美術ってなに?」が、まだピンと来ない。そんな中、R君が更なる質問をしてきた。
R君:どうしてお寺ではみんな仏様にお参りしているのに、ここでは誰もお参りしていないの?
谷口先生:博物館に展示されている仏像はすべて、お性根抜き(撥遣法要 /はっけんほうよう)をして、魂を抜いているんですよ。だから、みんな美術品として観ているのです
母:そういえば、仏像を修理に出す時にも、お寺で撥遣法要は行われていますよね。仏教美術という言葉はいつ頃生まれたのでしょうか?
谷口先生:元々、狩野派の絵など美術品はあったのです。でも仏像はあくまで信仰の対象だった。だから、江戸時代までは「仏教美術」という言葉は無かったのです。明治期からのファインアート(絵画・彫刻・建築などの造形美術)の概念として生まれた言葉と言えます。信仰として礼拝の対象であった仏像をあくまで、美術作品として美的に鑑賞する。信仰の場が切り離されたんです。
母:なるほど。信仰の空間では無い場で観るから、アートとして鑑賞できるのですね
R君:確かに。なんでか分からないけど、博物館でお参りしなきゃとは思わなかった……魂も抜かれてたんだ……
「仏教美術の殿堂」だけど、信仰を大事にしている奈良博
谷口先生は最後に笑顔で、「でもね、奈良博はかなり信仰に寄っているんですよ。特別展を開催する時にそのお寺の僧侶の方々が館内でお性根抜きの法要を行います。解説文も信仰に添っているものが多いです」
「仏教美術」という言葉の解釈は難しい。でも、信仰する人がいてこその仏像であり、仏教美術作品であるということが改めて感じられた。
三昧できる奈良博っておもしろい!
実は、全ての作品が撮影可能な同展覧会。R君はコンパクトデジカメを持参し気に入った作品を撮影していた。R君一押しは、2作品ある。
「仏様の骨が入った瓶を背中にのっけた鹿(春日神鹿舎利厨子)。蓮の形をした入れ物だったし、中の石(舎利)がすごくキレイだった」(R君)
春日大社一宮の春日明神の乗り物である神鹿の背に釈迦の遺骨である舎利を乗せた神仏習合の作品だ。
鹿の作品が一押しとは、さすがは奈良っ子!
そして、もうひとつの一押しは、展覧会の作品ではなく、奈良博の「仏像館」に修理を終え特別公開されている(令和10年度予定の仁王門修復完了まで)こちらの像だ。
修験道の総本山である奈良県吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)仁王門(国宝)に安置されている金剛力士像。仁王門の修理を終えるまで特別公開中だ。実は、仏像館のなかでこの像だけ撮影が可能。像高5メートルに達する巨像に
R君:でかい!でかすぎる!!お母さん、これは地球を守ってくれるわ
母:確かに、筋骨隆々だもんね
「ポケモンのカイリキーみたいな仏様(五大明王)もあったし、なんかお寺に行った時とは違う感じで(仏様を)観てた」とR君。「仏教美術の殿堂」と呼ばれるだけあって、とにかく雑念を離れて心を一つの対象に集中する「三昧(ざんまい)」状態で作品を観ることができた。今回の特別展が終了しても、奈良博はいつでも「奈良博三昧」「観仏三昧」できる場所なのだ。
展覧会概要
会期:令和3年(2021)7月17日(土)~9月12日(日)
会場:奈良国立博物館 東・西新館
休館日:毎週月曜日(ただし8月9日は開館)
開館時間:午前9時30分~午後6時、毎週土曜日は午後7時まで
※入館は閉館の30分前まで