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2021.11.22

クイズ!11月22日は、いい夫婦の日!初めて新婚旅行へ出かけたカップルは?

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11月22日は、いい夫婦の日。「いいふうふ」と語呂合わせからきています。

最近はジェンダーを跨いだ「いいふうふのひ」の活動もあるとか!

いつしか定着したこの記念日は、一体いつから? と思って調べてみると…….。
昭和60(1985)年に、日本政府の経済対策会議で提案されたのが、きっかけなんだとか。2000年代に入ると広く認知されるようになってきて、この日に入籍する有名人も増えました。

さて、めでたくカップルが入籍、結婚式と進むと、新婚旅行へ行くというのが、昭和の時代は定番でした。当初は熱海や宮崎など国内旅行が人気でしたが、高度経済成長で豊かになると、ハワイやヨーロッパなど海外旅行へ飛び立つ人が増えましたね。

現在はコロナ禍の影響で自粛する人も多いようですが…….。

最初に新婚旅行へ出かけたのは?

さて、日本で最初に新婚旅行へ出かけたのは、誰だと思いますか?
ヒントは、幕末に活躍した有名人です。

答えは、坂本龍馬と妻のおりょうでした!

意外でしたか? それとも、ああ、わかる~という感じですか?
坂本龍馬は、そんなに気の利く人だったのか! と、私は意外な印象を受けました。

実は知ってました♡宮崎・鹿児島では二人のパネルをよく見かけますよ

不幸な出来事がきっかけで、結婚と新婚旅行へ

新婚旅行の期間と言えば、1週間ぐらいが平均だと思います。しかし、龍馬とおりょうは、約3カ月もの長旅を楽しみました。これは、龍馬の傷の治療目的もあったからです。

慶応2(1866)年、1月23日に龍馬は京都伏見の寺田屋へ宿泊していました。すると深夜に突然、伏見奉行所の捕り方の襲撃に遭います。異変をいち早く察した寺田屋の養女・おりょうが龍馬に知らせたために、龍馬は命を救われたのでした。しかし、脱出には成功したものの、刀傷をおってしまいます。

『近世名士写真. 其2.』国立国会図書館デジタル

恋人同士だった2人は薩摩藩に助けを求め、京の薩摩藩邸で中岡慎太郎※1の仲人でめでたく結婚。その後療養もかねて、旅行へ出かけることになったのです。当時は、結婚時に夫婦で旅行へ行く習慣がなかったことから、これが日本初の新婚旅行※2といわれています。

西郷隆盛が提案してあらゆる世話をしてくれた為、2人は旅行先の鹿児島ではVIP待遇を受け、のんびりと過ごしたようです。

3ヶ月も新婚気分ですごせるなんて!喧嘩とかしたのかな〜

※1幕末の志士。坂本龍馬らと共に薩長同盟を成立させた。大政奉還の直後、坂本龍馬と共に京都で暗殺される。
※2龍馬と同時代人の薩摩藩の家老・小松帯刀(こまつたてわき)の方が、龍馬よりも早く新婚旅行していたという説もある。

おりょうの末路が悲しい

おりょうは、どんな女性だったのでしょう? よく知られているのは、「寺田屋遭難」の時、入浴中のおりょうが、窓の外に怪しい人物がいるのを察して、ほとんど裸同然の姿で知らせたことです。江戸時代の女性が、緊急のこととはいえ、恥をかなぐり捨てた行動に出たのです。よほど龍馬のことを大切に思っていたことや、勝気な性格がうかがえます。

龍馬は姉に出した手紙に、おりょうのお蔭で命を救われたと、感謝の気持を書いています。鉄火肌のところに惹かれていたのでしょう。

龍馬の死後、おりょうは坂本家を頼って生活しますが、それも長くは続きませんでした。性格が周囲と合わなかったからとか、美貌に惹かれた男達の誘いが多く、疎まれたからとか諸説ありますが、はっきりとはわかりません。各地を転々として、再婚もしますが、その夫婦関係も破綻してしまいます。晩年は酒におぼれて、淋しい余生を送ったようです。

なんだか切ない…それだけ龍馬という存在が大きかったのかな

坂本龍馬という並外れたスケールの大きい人間だったから、おりょうという個性豊かな女性も受け入れられたのでしょう。ベストカップルだったのに、時代に翻弄されてしまったのが残念ですね。

2人の新婚旅行先の鹿児島県霧島市や、鹿児島市内には銅像が建てられ、観光名所になっています。是非、訪れてロマンスに思いをはせてみて下さい。

元祖「新婚旅行の聖地」宮崎もおすすめです〜!

参考文献:高知県立坂本龍馬記念館公式ウェブサイト https://ryoma-kinenkan.jp/
霧島市公式ウェブサイト https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/bunka/shinkonryokochi.html『日本大百科全書』小学館、『ブリタニカ国際大百科事典』ブリタニカ・ジャパン

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。

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平成元年生まれ。コピーライターとして10年勤めるも、ひょんなことからイスラエル在住に。好物の茗荷と長ネギが食べられずに悶絶する日々を送っています。好きなものは妖怪と盆踊りと飲酒。