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2022.01.26

ネイティブ超えの外国語能力!弘法大師空海が実践した語学術とは~上達の秘訣編~

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空海は中国語やサンスクリット語を巧みに使いこなすマルチリンガルであったと言われている。

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しかしながら、空海がマルチリンガルであったという情報が一人歩きする一方、どうやって語学を習得したのか、そのプロセスに関する詳細は明かされておらず謎に包まれている。

グローバルに活躍する人たちのためのビジネス系SNS「リンクトイン(LinkedIn)」のプロフィール欄には語学の項目が設けられており、自身の語学力に関しての5段階で評価するようになっている。芸能人の報道などを踏まえると、一般には外国語の知識があればバイリンガル(もしくはマルチリンガル)と捉えられる傾向にあるが、空海の語学レベルは一体「リンクトイン」でいうところのどのレベルに達していたのだろうか。

日本人の英語力と言えば、国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」が実施した英語力測定調査によると、112国中78位(2021年版)という不名誉な結果が出ており、韓国や中国、インドネシア、ネパールといったアジアの非英語圏よりも低い水準にある。「仕事で海外との取引が上手くいかず、四苦八苦した」、そんな経験をされたことのある人は少なくないだろう。

果たして空海が実践した語学上達術は、現代の私たちにも真似できる方法なのだろうか。空海の青年期や唐留学後の知られざる足跡をもとに、その語学上達の秘訣を探っていく。

どんな風に習得していったのか気になる!

空海の生い立ち

バイリンガリズムや第二言語習得を専門とする研究者の間では、言語をスムーズに習得できるのは一定の年齢(15歳前後と言われる)までという臨界期仮説が囁かれている。これは第一言語、つまり母語の言語習得に対して立てられた仮説であって、この仮説が第二言語としての外国語の習得にも適用可能かということになると意見が分かれるのだが……。

それはともかく、空海の生い立ちが語学上達のカギを握るのは言うまでもない。

幼少期はどんな経験をしてたんだろう?

幼少期から漢詩に親しむ

TOEICの中国語版であるBCT(ビジネス中国語検定試験)とか、HSK(漢語水平考試)とかでより上級レベルをクリアしても、現地の中国人と思うようにやり取りできないという人は少なくない。そんななか、空海は唐への留学中に即興で漢詩を創作するなど、その作詩スキルに関しては現地の人たちを驚かせるレベルであったのだとか。日本人では夏目漱石や正岡子規もまた漢詩の創作経験を有していたが、作詩能力に関してこれらの明治の文豪と空海との間には越えられない壁がある。このエピソードだけを見ても、空海はただ中国語が堪能というレベルではないということがお分かりいただけるだろう。

そんな空海は宝亀5(774)年、讃岐国(現在の香川県)にて佐伯善道(さえきのよしみち)と玉寄御前(たまよりごぜん)の間の子として生まれた。佐伯氏は讃岐国を支配する豪族であったと伝えられており、空海はいわゆるエリート系の生まれであった。特に母方は学者の家系であったため、幼い頃から身近には難しい書物が手の届くところにあり、それらに触れる機会があったのだろう。

写真はJR土讃線善通寺駅の駅舎。空海はこの辺りで生まれたとされる。-写真AC

母方のおじである阿刀大足(あとのおおたり)は漢学者であり、親王に仕える文学の官職に就いていた。空海は15歳の時にこの方のもとで漢学を本格的に学んだ。それ以前から漢詩に慣れ親しんでいたことも考えられるが、いずれにせよすでに述べた臨界期仮説の条件を充足している。よって、この時点で語学の資質が備わっていたことが言える。

青年時代に日本で初めて評論小説を書き上げる

空海は漢文を読んで理解するだけでなく、実際に手を動かして書くという面でも秀でていた。24歳の時には、当時の唐で積極的に取り入れられていた四六駢儷体(しろくべんれいたい)を流暢に使いこなし、出家宣言の書『三教指帰(さんごうしき)』を著している。

『三教指帰』のタイトルに含まれる「三教」とは、儒教、仏教、それから道教を指す。蛭牙公子(しつがこうし)およびその叔父の兎角公(とかくこう)を主人公に、儒学者の亀毛(きもう)先生、道教の虚亡隠士(きょぶいんじ)が登場。それぞれの立場から導き出した人生論をもって対立させた結果、最終的に仏教に帰着するストーリーの流れとなっている。-『三教指歸(3巻)』(空海著/小島勘右衛門出版)-国立国会図書館デジタルコレクション

空海は『三教指帰』以外にも『性霊集(しょうりょうしゅう)』などの文学的作品を生み出している。意外にも文学的センスが光っていたのが真言密教の開祖、空海だったのだ。

文学まで!すごいな空海!

空海が『三教指帰』を著した24歳というのは、現代で言えば大学院の修士課程を修了する年齢だ。そして、現代の学生が修士課程を修了するには修士論文の提出という関門を突破しなければならない。

修論とは「修士論文」の略で、大学院の修士課程、もしくは博士課程前期を終える際に成果物として提出する論文です。既存の研究テーマなどをもとに、自身の研究題材を決めて、オリジナリティのある意見などを述べることが求められます。

大学院生専門就活サイト「アカリク」に掲載されたコラムより

空海は『三教指帰』の中で儒教、仏教および道教を比較・分析した結果、独自の見解を交えつつ、最終的に仏教こそが最も優れているという結論を導き出した。それゆえ、『三教指帰』は日本最古の評論文学とも評されている。儒教と仏教と道教の違いが明確に示されており、学術的価値があるうえ、そこにはオリジナリティがある。現代で言えば、大学院の授業で学期末に提出する単なるレポートに終わっていない。とはいえ、博士論文というほどの成果でもない。ということで、大学院のレポートと博士論文の中間、つまり修士論文に相当する実績であると筆者は思うのだ。

修士論文を書くとなると、学部で卒論を仕上げる場合とは比較にならないほど、国内外の文献を収集し、読解するスキルが求められる。空海は修士論文に匹敵する作品を仕上げたわけであるから、その点でも非常に高い外国語読解能力を備えていたことが窺われる。

現代の学生が修士課程を修了後、さらにその道を究めようと思った場合、そのまま博士課程に進学すべきか、それとも海外に留学するかの二択に迫られる。そして、『三教指帰』において仏教こそが最も優れているという見解に至った空海は、各地での修行を経て、31歳の時、唐への留学の道を決意するに至った。

そして後に、文学を出発点とし、現代言語学の基礎を成すフェルディナン・ド・ソシュールの理論にも通じる日本初の言語学理論、『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の提起をもって結実するのである。

語学を習得っていうレベルを超えてるのでは……

唐以前の文献を持ち帰り、文学批判書『文鏡秘府論』を編纂

空海は唐へ留学後、わずか2年ですべてを吸収し、日本に帰国したと伝えられる。空海は唐でどのような学びを得たのだろうか。

唐に留学した空海は、密教の道場として名立たる地位を確立していた長安の青龍寺に入り、密教の高僧である恵果(けいか)に師事。恵果のもとで真言密教を学んだ。中国の五代の時代以降は姿を消したものの(※)、かつて青龍寺は栄華を誇っていた場所であり、日本から多くの僧が恵果からの教えを請うべく、その寺を訪れた。例えば空海の親族であった円珍は空海の跡を追うべく、その地で仏門を叩いたひとりであった。

※昭和48(1973)年、戦後に樹立した中華人民共和国による発掘調査を通じて青龍寺の遺址(いし)が確定された後、四国四県による尽力もあり同寺の旧跡に空海を祀る紀念(記念)碑や紀念(記念)堂が建てられた。

写真は中国陝西省(せんせいしょう)の省都、西安。古代の「長安」に相当する。空海は青龍寺に入った後、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)も建立に関わり、多くの錚々(そうそう)たる学僧が止住したとされる古刹(こさつ)「西明寺(さいみょうじ)」へ移り、本格的な留学生活を送った。-写真AC

ただ、空海の唐での学びは密教にとどまらなかった。そして、空海が密教以外で唐で得た学びのひとつが文学理論であった。唐以前の文学批評を日本に持ち帰り、文学研究者として文学批評書である『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』6巻の編纂にも携わった。

写真は、空海が編纂に携わった『文鏡秘府論』(第6巻)の一部。中国では北宋以前の詩格の大部分は散逸してしまっているのが現状であるなか、『文鏡秘府論』は中国側にとって古代の文学や言語を知るうえでの貴重な史料として位置づけられている。-関西大学デジタルアーカイブの『文教秘府論』(第6巻/内藤文庫所蔵)より掲載

空海が実際に担当した箇所はごく一部であるが、唐代以前の詩歌や韻文に関わる理論や批評を引用し、独自の見識に基づき唐以前の文学批評書などを分類・配列した。

『文鏡秘府論』の冒頭で、同書を撰述した理由を述べる一節を引いた。大量の「詩格」を空海が自らの編著に収めた理由が、作詩・作文の参考に供する点に在ったことは明白である。古典詩文の作成、とりわけ外国語によるそれに相当な困難が伴うことは、想像に難くない。語学や文化の側面での有利さはさておき、本国の人間にとっても、その作成には相応の訓練が必要であった。

永田知之『唐代の文学理論-「復古」と「創新」』

まず、青年時代に『三教指帰』で培ったクリティカルな思考は『文鏡秘府論』の編纂で大いに活かされた。『文鏡秘府論』では、空海はどの漢字を選び、詩文の中にどう配置すれば漢詩を美しく見せられるかを音声学的見地から明らかにした。空海の作詩レベルが現地の人たちを驚かせるほどのものであったというエピソードをすでに紹介したが、空海は作詩に関する独自の理論を自ら打ち出していたのだ。これはネイティブでさえも到底できないことであり、それを空海は難なくやってのけた。作詩に関する理論が空海の中で出来上がっていたからこそ、唐の人たちを上回る作詩能力を獲得できたと考えることができる。

また、『文鏡秘府論』において多く引用されたのが、李白(りはく)や杜甫(とほ)と同時代に活躍した王昌齢(おうしょうれい)の『詩格』という詩論書であった。王昌齢は青龍寺を通じて空海とも繋がりを持っていただろうとされる。ちなみに、李白が「詩宰相」、杜甫が「詩大夫」であるならば、王昌齢は李白や杜甫を超えていたことから「詩の天子」を冠するに相応しい人物とされている。

ゆえに、空海が『文鏡秘府論』で王昌齢を重視したのは、外国人である空海の偏った知識によるものではなく、現地の文学に関する理解を深め、正当な評価を下した結果でもあった。詩文を作成することがネイティブにとってもハードルの高い作業であったこと、さらに空海の詩作のレベルが唐の人たちから見てもこの上ない出来であったことを併せて考えると、空海の中国語能力はネイティブレベルを超えており、しかもネイティブにはない中国語感覚を有していたことが推察される。冒頭で述べた「リンクトイン」における語学能力の5段階評価を照らし合わせると、最も高い「ネイティブまたはバイリンガルレベルに達している(Native or bilingual proficiency)」を超えており、この基準では測定不能な域に達していたと結論づけることができる。

測定不能なレベル!もはや宇宙人!?(笑)

空海のサンスクリット語のレベルはいかほど?

続いて、サンスクリット語のスキルがどの程度であったのかも気になるところだ。空海と言えば、「サンスクリット語を初めて理解した日本人」として語り継がれている。そのサンスクリット語のスキルに関して恐らく通訳レベルには達していただろうということが推察されるが、一言に通訳と言っても逐次通訳、ウィスパリング通訳、同時通訳では求められる能力が異なり、空海が具体的にどのレベルに達していたのかは定かではない。

当時、奈良に国内外の高僧が集う場があったとも言われている。また、長安においてインド人僧侶のプラジュナーとムニシュリーとの接触があったことは『秘密曼荼羅教附法傳(ひみつまんだらきょうふほうでん)』に記されている。そもそも恵果の門に入るにはサンスクリット語を習得しておくことが最低条件であった。

さらに、空海は『声字実相義』における基本理念を確立するにあたり、サンスクリット語の文法書である『六離合釈(ろくりがっしゃく)』を参照したりもした。『六離合釈』に記載された関係規則に従って顕教(けんきょう)と密教との違いを論理的に明確するとともに、空海にとって世界のあらゆる言語のひとつではないサンスクリット語から宇宙観を見出し、最終的に『声字実相義』の中で独自の密教的世界観を作り上げていったわけである。

以上のエピソードに鑑み、中国語ほどではないにせよ、ネイティブに対応したり、専門書を読み解いたりするには申し分のないスキルを備えていたであろうことが窺われる。「リンクトイン」における語学評価では5段階中の3に当たる「業務が支障なく行えるレベル(Professional Working proficiency)」といったところだろうか。

空海が中国語やサンスクリット語をマスターできた理由

空海がネイティブ顔負けの語学能力を有していたことを確認したところで、やはり気になるのが「どうやって語学を上達させていったのか?」ではないだろうか。以下、そのプロセスについて考察してみた。

そもそも空海が中国語に興味を持ったのは、母方のおじの影響が大きいだろう。一方、サンスクリット語に惹かれたのは単に日本語のルーツを探るためだけではなく、もうひとつ重要な理由があったものと思われる。

余談だが、筆者が専門書を読む際に心がけていることがある。原著が英語で書かれていれば英語、ドイツ語ならばドイツ語というように、翻訳書ではなく、原書を引っ張り出して読むことだ。というのも、翻訳書の場合、訳者の主観が入り込んだ結果、原著者の意図が損なわれるケースが多々あるからだ。

当時の日本では朝鮮半島の人たちによって翻訳された仏典が出回っていた。筆者が日頃翻訳書に対して感じている違和感は空海にもあったことだろう。仏典に書かれた真意を探るべくサンスクリット語や中国語で書かれた文献を読み漁った。彼の中の研究者魂がそうさせたのだ。

例えば『声字実相義』では、空海は言葉に関する独自の理論を展開するわけだが、そのベースには古代インドの論理学である「因明学(いんみょうがく)」に由来する思想がある。空海は独自の理論に至るまでに、膨大な量のサンスクリット語の文献を読み漁ったことだろう。そうするなかで、中国語やサンスクリット語のスキルがグングン上達した。空海の仏教への思いは『三教指帰』からも伝わってくるが、「好きこそ物の上手なれ」、これはまさに空海の生きざまを表した諺であると言えよう。

実際、語学のプロフェッショナルでさえ語学力の不十分さを認識することは多々ある。そんな時、自分が究めているジャンルだと、豊富な知識が語学力をカバーしてくれるもの。それゆえ、翻訳の現場では語学力に加え、いかに専門性を持っているかが重要視されている。そこから導き出される語学の上達の秘訣とは、ズバリ「自分にとって得意分野の文献は原著を読んで読んで読みまくれ!」だ。

自分の好きな小説を繰り返し読むのも良さそう!

ここで紹介した語学上達術は筆者自身の経験と照らし合わせながら考えたものに過ぎない。次回は「なぜ中国語をネイティブ並みに習得できたのか?」「空海の語学上達に繋がる思考とはどのようなものか?」に立脚し、その語学上達法の核心に迫るとともに、そこから現代の私たちにも気軽に実践できる方法を見出していく。

より実践的な内容ですね!

(参考文献)
『日本を解き放つ』小林康夫他 東京大学出版会 2019年
『唐代の文学理論-「復古」と「創新」』永田知之 京都大学学術出版会 2015年
『空海の座標:存在とコトバの深秘学』高木訷元 慶應義塾大学出版会 2016年

アイキャッチ画像:真言八祖像-Colbase(真言八祖像/奈良国立博物館所蔵)

書いた人

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

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編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。