Culture
2022.03.05

30合のごはんをペロリ☆大河の予習に『慈光寺本承久記』を読んでみたら押松くん再登場した

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さてさて、ついに北条政子と北条義時に煽られて出撃した鎌倉武士たち。息子たちを送り出して鎌倉に残った義時は、捕らえていた押松くんを大庭に引っ立てて来ました。

▼「『慈光寺本承久記』を読んでみた」シリーズの過去作はこちら!

押松くん解放される

そして前々回にとある武士が言った返事の言葉を、「後鳥羽上皇にこう申し上げろ」とちょっとアレンジして押松くんに伝えました。

「これまで、多くの絹、金銀財宝や馬を、年にニ、三度も献上して面目を保ってさし上げて来ました。この上何が不足でしょうか? この義時がご機嫌を損ねたとでも言うのでしょうか。

武士が欲しいのであれば、中山道・東海道・北陸道の三道より十九万騎の活きの良い若者たちを上らせました。西国の武士と合戦する様子を、御簾の隙間からご覧下さい。

この軍勢がまだ不足のようでしたら、押松のように足の早い下部を下して下さい。そうすれば義時も十万騎を率いて上り、死力を尽くして戦って後鳥羽院の元へと見参しましょう」

そして「さぁ食料をくれてやろう!」と言い、乾飯(ほしいい)を3升与えて門の外に放り出しました。

乾飯とは、蒸した米を干したもので、旅や戦に出る時の携帯食・保存食でした。食べる時は水で洗って柔らかくします。

それを3升。1升は10合なので……あれ、わりとくれるんですね。当時は1日に5合食べたとも言われますが、それでも6日分です。押松くんの足なら十分でしょう。

おかずはないのかぁ。

押松くん開き直る

押松くんは鎌倉から出てトボトボと西に向かっていました。坂を死出の山路とばかりに越えて、相模川を三途の川とばかりに降りて水浴びをしました。

すると元気を取り戻した押松くんはこう思いました。

「この乾飯、ちょっとずつ食べるよりは、ここで一気に食べて静かに上ろう」

え? 3升……つまり30合を? 今ここで?

読者のツッコミも届かず、押松くんは乾飯を川の水で洗って戻し、パクパクと平らげます。そしてこう思いました。

「鎌倉へ下る時は急いでも、都に上る時は急がず、有名御家人たちの手土産をいっぱい持って帰れるんだろうなぁと思っていたのに、牢に入れられ、ぶたれ、人の声がする度に押松の首が斬られるのではと思う事が、なんと心細かったろう。

押松はもう、10年分の怖い目にあった! だから急いで戻らなくていいでしょ!

なにその理屈!!

押松くんは鎌倉を出発して5日後の日没頃に後鳥羽上皇の御所に辿り着きました。さてさて、どうなるかは次回へ続く!

押松くんのポジティブな感じ、見習いたい!!