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2022.03.23

吉原遊郭は桜の名所だった!非日常を演出する“期間限定”桜並木の秘密とは?

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春を彩る花は様々ありますが、桜を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
桜と言えば、お花見。お花見は、江戸の庶民にとって欠かすことができない春の一大イベントとなります。季節ごとの花を愛でた江戸の人々ですが、中でも春の桜のお花見は特別。前の晩から支度をして、1日がかりで出かけたのだとか。

お花見への気合ハンパない!

『江戸名所花暦』が紹介する桜の名所

文政10年(1827)に刊行された岡山鳥(おかさんちょう)による『江戸名所花暦』は、江戸の代表的な行楽ガイドブックです。春は鶯、梅、桜など、四季折々の花鳥風月を計43項目に分類して、長谷川雪旦(はせがわせったん)のイラストとともに見どころ、由来、道順などを紹介しています。

『江戸名所花暦』で紹介されている江戸の桜の名所は、上野、浅草、御殿山、隅田川堤、飛鳥山などで、その多くが、現在でも桜の名所として親しまれています。
その中で、少し異色なのが「新吉原」。江戸時代、吉原遊郭も人気のお花見スポットだったのですが、吉原遊郭の桜には、他の桜の名所とは異なる秘密がありました。それは、開花する季節にだけ植えられる期間限定の桜だということ。

初代歌川広重「江戸名所 江戸名所 よし原仲の町桜の紋日」 シカゴ美術館
どういうこと!?

吉原遊郭の桜は、期間限定

吉原遊郭は、元和4(1618)年に幕府公許の遊郭として日本橋葺屋町(ふきやちょう)の辺りで営業を始めます。明暦3(1657)年に発生した「明暦の大火」の後、浅草寺裏に移転し、新吉原と呼ばれるようになります。
新吉原は、東京ドーム2つ分ほどの広さの長方形の土地で、周囲は黒板塀で取り囲まれ、その外には「おはぐろどぶ」と呼ばれる堀がありました。出入り口は、大門(おおもん)1か所だけ。大門は、板葺き屋根の冠木門(かぶきもん)という簡素なもので、夜明けとともに開けられ、夜四つ(午後10時頃)に閉められました。

二代目歌川広重「東都名所 新吉原朝桜之図」 シカゴ美術館

大門をくぐると、吉原を南北に貫く「仲之町」と呼ばれるメインストリートが、135間(約250m)の長さで続いていました。華やかな花魁道中などのアトラクションは、メインストリート兼アトラクション広場でもある仲之町を舞台に繰り広げられたのです。

初代歌川広重「江戸名所 吉原仲の町桜時」 シカゴ美術館

『江戸名所花暦』では、「春之部」の桜の名所の一つとして「新吉原」を紹介していますが、実は吉原遊郭の桜は、桜の咲く時期だけ移植された桜でした。

毎年三月朔日より、大門のうち中の町通り、左右を除けて中通りへ桜数千本を植うる。常にはこれ往来の地なり。としごとの寒暖によって、花遅ければ朔日(ついたち)より末に植込むこともありけり。葉桜になりても、人なほ群集す。

毎年3月1日頃(現在の3月下旬頃)、吉原遊郭のメインストリートである仲之町に数千本の桜が植えられたのだとか。しかも、その年の寒暖によって、桜の木を植える日を調整していたようです。『江戸名所花暦』では、「桜の木が数千本植えられた」とありますが、仲之町に桜の木を植えようとする場合、3、4列に密植したとしてもせいぜい200本前後となり、「数千本は多すぎる」という意見もあるようです。いずれにせよ、吉原遊郭のメインストリートに、見事な桜並木があったことは間違いないようですが。
葉桜になっても大勢の人が訪れ、人気を集めていた様子がうかがえます。

なお、2月下旬頃から桜の木を根付きのまま移し植えて、客寄せのため、開花の時期を3月1日と3日の紋日に合わせたという説もあるようです。

紋日は特別な日で、遊女は必ずお客をとらないといけなかったようですね。遊女と遊ぶ料金も高かったのだとか。

桜は、150両(約600~900万円)もの大金をかけて、開花時期にあわせて山から根の付いたまま運び、散ると抜いてしまうという贅沢なものでした。費用は、妓楼や見番、引手茶屋などが分担して負担していたようです。

一立斎広重「東都名所 新吉原五丁町弥生花盛全図」 国立国会図書館デジタルコレクション

吉原遊郭の街並みを上空から俯瞰的に眺めた絵です。絵の左下にある大門から、桜並木が続いていた様子がわかります。吉原遊郭を訪れ、大門をくぐった人たちは、メインストリート・仲之町に植えられた桜の素晴らしさにまず目を奪われたのです。

私も見に行ってみたかった~。

吉原遊郭にやってきた客を喜ばせるための春のイベントとして、わざわざ桜を植えようという発想にも驚かされます。実際には、どこの桜の木をどのようにして吉原遊郭に運び込み、桜の木を痛めずに植え替えを行っていたのか詳細はわからないのですが、江戸時代の園芸技術が高かったことを伺い知ることができます。

吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、春の桜以外にも季節に合わせて菖蒲や菊などの花が植えられていました。季節の花を使って、アミューズメントパークを華やかに演出していたのです!

三代目歌川豊国「全盛花菖蒲之図」 国立国会図書館デジタルコレクション
菖蒲が植えられた仲之町を行く吉原芸者を描いています。

非日常を幻想的に演出する吉原遊郭の夜桜

艶やかに演出された吉原遊郭の年中行事の中で、最も華やかで、賑やかだったのが三月の夜桜です。

初代歌川広重「東都名所 吉原仲之町夜桜」 シカゴ美術館

吉原遊郭の桜は、寛保元(1741)年春、茶屋の軒下に鉢植の桜を飾ったのが評判になり、翌年からは桜の木を植え、花の時期が過ぎると抜き去るのが恒例になりました。
延享2(1745)年には、桜の木の下に山吹を植えて周りを青竹の垣根で囲い、夜は雪洞(ぼんぼり)に灯をともして夜桜も楽しめるようになりました。電気がなく、油も貴重だった時代、アミューズメントパーク・吉原遊郭の夜桜の花見は、江戸の人々にとっては、とても幻想的なものであったと思われます。

現代なら「映えスポット」としても人気になりそう!

この期間は、普段は吉原遊郭に立ち入ることができない一般の女性にも開放されていたのだとか。江戸の人々だけではなく、地方からの観光客や参勤交代で江戸に来た武士など大勢の人々が、評判の桜を一目見ようと、吉原遊郭を訪れたのです!

浮世絵が再現する吉原遊郭の桜と花魁たち

吉原遊郭の春を彩る桜。そして、桜に負けないくらいの美しさで魅せる花魁たち。満開の桜を背景に、派手な簪(かんざし)を何本も挿し、艶やかで迫力のある裲襠(うちかけ)姿の花魁道中は、非日常の世界を創出しました。

歌川国貞「吉原高名三幅対」 国立国会図書館デジタルコレクション
満開の夜桜を背景に、豪華で華やかな裲襠を着た3人の花魁たち。付き添う禿たちとのお揃いコーデもばっちり?
頭も衣装も重そう!! しかもハイヒール!!

吉原遊郭の桜は現在はなくなってしましましたが、現在でも花魁たちの映える姿を切り取った浮世絵で楽しむことができますよ。

主な参考文献

▼吉原遊郭を舞台にしたおすすめ小説はこちら

滔々と紅 (本のサナギ賞受賞作) (ディスカヴァー文庫)

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。