Culture
2022.08.01

蓮の飯と鯖はいつ食べるもの?お盆と中元の繋がりとは【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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泥の中から茎をのばし、美しい花を咲かせる蓮。蓮は、「泥より出づるも染まらず」と言われ、どんなにつらい環境であっても、決して染まらず、清く美しく生きるという、仏教が理想とするあり方を示しており、極楽浄土に咲く花として尊ばれている。蓮台の上に座す仏像や蓮の花を持った仏像が多く、境内に蓮が植えられているお寺が多いのは、このような理由からである。空也上人は、「ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の蓮(はちす)のうへにのぼらぬはなし」という歌を詠み、一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも死後は仏様と同じ蓮の上に上ることができると説いており、蓮と仏教の結びつきは強い。

釈迦三尊像 南北朝~室町時代・14~15世紀 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

お盆の時期を感じる、蓮の飯(はすのいい)

私は大きな蓮の葉を見ると、7月13日に御所からお届けいただいていた蓮の飯(はすのいい)を思い出す。蓮の飯は、もち米を蒸した白いおこわを、蓮の葉で包み、細い藁縄を奉書紙で巻いた紐で結び、紐の両端にミソハギの花を挿したもの。長芋の当座煮、小茄子の茶筅煮、蜆の時雨煮を、同じように蓮で包んだものが添えられていた。蓮の葉は、皇居で採れたものを使っていると聞いた記憶がある。長年飾りの花がなぜついているか知らなかったので、調べてみると、ミソハギは、「禊萩」とも書き、禊やお清めに使われるとのこと。「精霊花」とも「盆花」とも言われ、盂蘭盆会でお供えされ、御供物に花穂を使って水を注ぐ、餓鬼の喉の渇きを抑えるなどの意味がある花であるようだ。

おかずの方は少し塩辛く、大人の味だったけれど、もち米が大好きな私は、ほんのりと蓮の香りがする蓮の飯を頂くのがいつも楽しみだった。お盆行事がない家なので、何か取り立ててお盆を意識することはないのだけれど、蓮の飯が食卓に上ると「そうか、お盆の時期か」と思うきっかけになっていたように思う。蓮の飯は、貞明皇后の時代まで作られ、その後途絶えていたものを、上皇上皇后両陛下が皇太子同妃両殿下であられた時代に復活させられたのだそうだ。

盂蘭盆会は中元のお祝い

盂蘭盆会というと、先祖の供養のイメージがあるけれど、宮中では7月15日に中元のお祝いとして行われていた。朝に常御殿で一献(昆布、鮑、熨斗)を供し、昼は常御殿、海邊の間で荷葉の供御(くご)を供する。これが蓮の飯。当時は青豆を入れたおこわを蓮の葉で包み、観音草(吉祥草の異称)で十字に結んだものと、同じように包んだ刺鯖二尾が供されたのだそうだ。夜は、三献(索餅、素麺、真桑瓜)が供され、勾当内侍(こうとうのないし)が蓮の葉に包んだ五色の精進肴を献じ、近習などをお召しになって、盃と引き出物(晒一反ずつ)を賜るというものであったという。

中元とは、元々道教の節日であるが、日本に伝来してからは、7月15日に行われる仏教の祖先供養の行事である盂蘭盆会と結びついて、独自の発展を遂げている。公家では、7月14日を両親持ちの節句と言い、両親から若主人に盃を出し、若主人は酒を飲んで祝い、蓮の飯を食べるものだったとか。15日も中元の節句として、蓮の飯で祝ったという。

蓮の飯と刺鯖を中元に贈る文化が現在の中元の姿へ

両親持ちの節句とは、生身魂(生御霊)の祝いのこと。中元には、存命の父母に子どもたちが魚を贈る習慣があったのだそうだ。魚を食べて、生きている者の力を強める意味があるのだと思われる。これが、宮中でも刺鯖が供される所以であろう。刺鯖は、鯖の背を開いて塩干しにし、二尾重ねてエラの部分を刺して一刺にしたもの。生身魂の式の膳に、蓮の葉に包んで供したり、盆の贈答品に用いたりしたのだという。

蓮の飯と鯖は、セットで語られることも多く、室町幕府に仕えた蜷川親俊の日記には、天文8(1539)年7月15日条に、「上池院より蓮飯鯖鮒鮨一荷到来す」とあるし、江戸時代には「また命鯖そへけりな蓮の飯」(伊藤信徳)「塩魚の塩こぼれけり蓮の飯」(加舎白雄)などの俳句が残されている。清浄な印象のある真っ白な蓮の飯と、生臭い鯖のコントラストがなんだかおもしろい。蓮の飯と刺鯖は、聖と俗、まさに極楽浄土と人間世界を表現した食べ物なのかもしれない。

『江戸年中行事』 国立国会図書館デジタルコレクションより 16日の部分に刺鯖蓮飯の記述がある

蓮の飯と刺鯖を中元に贈る文化が、親族間の供物のやり取りに、そして都市が発達し、交際関係が拡大していくに従って、お世話になった人たちに贈答品を贈るという、現在の中元の習慣に変化していったようだ。今では、お盆と中元が結びついているという意識も薄れているし、中元と言えば、「夏にお世話になっている人に贈る品物」だと思いがちなので、本来の意味と随分離れて発展したことに驚いた。

余談であるが、私は鯖が苦手である。鯖と言うか、青魚全般が子どもの頃からどうしても喉を通らない。大人になってからは、お寿司屋さんで「この新子(こはだの稚魚)は、全然生臭くなくて、青魚苦手な人でも食べられますよ!」などという職人さんの口車に乗って、「もしかしたら食べられるようになっているかもしれない」という淡い期待を胸に、数年に一度ちょっとした気の迷いで挑戦してみるのだが、おいしいと思えたことはない。御所から頂く蓮の飯に添えられる刺鯖が、長芋や茄子に変わったことを、私以上に喜んでいる人はきっといないだろう。

※アイキャッチは『千代田の大奥』入浴 国立国会図書館デジタルコレクションより

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。