Culture
2022.09.01

「やわやわ」「おべたべた」とは?お彼岸の文化と共に伝わっていって欲しい、美しい日本語【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど、この時期になると決まって彼岸花が咲き、これ以降暑い日が戻ってくることはない。桜は、暖かい土地から徐々に桜前線が北上するのに、なぜ彼岸花は全国で同じ時期に咲くのだろうか。お墓参りに行くようにと、彼岸花が教えてくれているのだろうか。お彼岸は、自然界の不思議な力とご先祖様の重ねてきた時間を毎年意識させてくれる機会であるような気がしている。

季節により呼び名が変わる和菓子

お彼岸と言えば、欠かせないのがおはぎである。春に食べるのを牡丹餅(ぼたもち)、秋に食べるのをおはぎということはよく知られている。春に咲く華やかな赤い牡丹に見立ててたのが「牡丹餅」。小豆の粒が散った外側の餡の様子が、赤紫色の萩が咲き乱れる姿に似ていることから名付けられた「萩の餅」。それを女房詞で「おはぎ」と言っていたのが市井に広まったものであるらしい。牡丹餅は、牡丹らしく少し大ぶりで扁平に、おはぎは、萩のように少し小ぶりで高さを出して作るという場合もあるそうだ。

牡丹餅がこし餡、おはぎが粒餡というイメージがあるのは、小豆の収穫時期直後の秋は、皮が柔らかくて粒のまま食べられるけれど、春は時間が経って固くなるので、皮を取り除いてこし餡で食べることが多かったから。同じお菓子なのに、名前一つで、春に見れば牡丹、秋には萩が思い浮かぶのが不思議である。

そういえば、仲良しの和菓子屋さんと、もち米の話をしていたときのことであったと思う。「今年は夏のおはぎを作ろうと思って」と言われた。夏におはぎはちょっと重いような……と一瞬思ったけれど、調べてみると夏のおはぎのことを「夜船」ということを知った。おはぎは、もち米とうるち米を混ぜて炊き(もち米だけの場合もある)、すりこぎなどで半分くらい米がつぶれた状態にする。お餅のように、ぺったんぺったんと搗く音がしないので、お隣さんもいつ搗いたかわからない。「搗き知らず」を「着き知らず」と読み替え、暗くていつ着いたかわからない船に見立てて、「夜船」と呼ぶようになったそうだ。

夏の夜、月明かりに照らされて、静かに水面に浮かぶ船の姿が目に浮かぶ。その光景はとてもロマンティックで、どの季節よりも夏にしっくりとくる。しばらくしてから店頭に出た夜船は、一口サイズのかわいらしいおはぎが二つ、笹舟の上に乗ったものだった。夏におはぎ? と思った自分を反省するくらい、軽やかな夏らしいお菓子であった。

ちなみに、冬のおはぎは「北窓」という。夜船と同じように、「搗き知らず」が「月知らず」となり、月を知らない(見えない)のは、北側の窓ということで、「北窓」。夜船も北窓も、どの季節にも存在するのに、それぞれ夏と冬のイメージにぴったりであることに、日本人の感受性の豊かさと言葉遊びの巧みさを感じる。別の和菓子屋さんでは、春のお彼岸にはわさびの葉で巻いたおはぎ、夏のお盆にはとうもろこしを混ぜ込んだおはぎが登場する。秋のお彼岸にはまた変わり種のおはぎが出るのだろうか。季節ごとに違った味わいと違った名前で楽しめる、同じお菓子。おはぎは日本文化の奥深さが詰め込まれたお菓子と言えるかもしれない。

宮中で行われる2つの儀式

宮中では、お彼岸のお中日(秋(春)分の日)に、皇霊殿でご先祖様をお祀りする秋(春)季皇霊祭と、神殿で神恩感謝を捧げる秋(春)季神殿祭が執り行われ、両陛下が御拝になる。

秋季皇霊祭といえば、思い出すのは、父がこの世を去られて1年が経ったときのこと。宮邸にお祀りしていた御霊代を、歴代の天皇、皇族方の御霊をお祀りする皇霊殿にお遷しする儀式があった。ずっと近くにおられるように感じていた父が、神様になられ、急に遠くに行かれてしまったような気がして、一抹のさみしさを覚えたものだ。でも、その3か月後に行われた秋季皇霊祭に参列したとき、皇霊殿に入っていかれる陛下を御見上げしながら気付いたのだ。今年からは陛下が父の御霊もお祀りしてくださるということを。もったいなさとありがたさに涙がこぼれた。父がお隠れになって以来、ずるずると悲しみの中から抜け出せない状態でいたけれど、この日を境に気持ちを切り替え、前を向いて歩いていけるようになった気がしている。

両陛下は、儀式の後、大膳が調製した萩の餅(牡丹餅)をお昼にお召し上がりになるという。御所言葉では、萩の餅のことを「おはぎ」ともいうけれど、「やわやわ」ともいう。やわらかいおはぎの食感にぴったりで、かわいらしい。お餅に餡をまぶしたものは、「おべたべた」と言うので、よくもまあそれぞれにふさわしい別名をつけたものだと感心してしまう。昭和の時代、大宮御所の女官さんたちは「大宮さんは、やわやわをお召し上がり遊ばす」といった優雅な御所言葉を操り、貞明皇后の御前に上がるときの所作やお口上など、丁寧に教えてもらったものだと三笠宮妃殿下からうかがったことがある。やわやわと言って通じる人はもうほとんどいないけれど、夜船や北窓と同じように、お彼岸の文化と共に、こういった美しい日本語が後世に伝わっていって欲しいと願っている。

お彼岸になると、豊島岡墓地にある皇族殿下方の墓所にお参りさせていただく。父の月命日のお参りは続けているけれど、私にとってお彼岸は、三笠宮殿下を始め、叔父宮殿下たちとの思い出に心を馳せることのできる大切な時間である。墓所から帰ったら、今年は何味の「やわやわ」を頂くことにしようか。

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。