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2019.10.01

ピンチをどう切り抜ける? 苔(コケ)の生存戦略に現代社会を生き抜くヒントがあった

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知っているようで、実はよく知らないコケの生態。その小さな体には、想像以上にたくましい生存戦略がありました。今回は、ルーペを覗いた先に見えてくる不思議なコケの世界をご案内します。

山でも庭でも都会でも。コケのたくましさに迫る

歴史ある日本庭園で、あるいは山歩きの途中で、あたり一面が緑のコケに覆われた絶景を目にしたことがあるでしょうか。「苔むす」と表現されるその景色は、私たちに悠久の時を感じさせ、その神秘性は古くから和歌に繰り返し詠まれてきました。

その一方で、植物が繁茂しにくい都市部でも、私たちはコケを頻繁に目にすることができます。コンクリートの隙間をなぞるように、石の壁を這うように、他の植物が育たない場所にすら密やかに息づくコケ。小さな体で懸命に生きる姿に、励まされ、癒やされる人が増え、近年はコケの観察会などがブームにもなっています。

多様な場所で生育できるということは、それだけコケがタフであるということ。その柔軟でたくましい生き様について、日本蘚苔類(にほんせんたいるい)学会に所属し、長年コケの研究を続けている上野 健(うえの たけし)さんに、詳しくお話を伺いました。

日本は世界的にも稀なコケ大国

ひとくちに「コケ」といっても、その種類は実に様々。細かくは蘚(セン)類、苔(タイ)類、ツノゴケ類の3グループをまとめてコケと言います。世界には約18000種ものコケが生育しており、日本で観察できるのは約1700種。決して大きくない国土の中で、これだけ多くの種が生育できるのは、地理的・環境的要因が大きいと上野さんは言います。


年中湿り気のある水場は、コケにとって絶好の生育スポット。ホウオウゴケの仲間、ホソバミズゼニゴケ、ジャゴケなどがびっしり。(東京・等々力渓谷)撮影:水鳥るみ

「コケといってもいろいろで、温かい場所を好む種もあれば、寒い場所を好む種もあります。日本の国土は南北に長く、大小の山々が連なり、つまりは多様な環境があるため、生育するコケの種類も多いんです。加えて湿度が高く、コケの生命線である水分を吸収しやすい環境が整っています」

コケがその他の陸上植物と大きく異なる点は、水分や養分の吸収方法にあります。多くの植物が根から水や養分を吸い上げ、維管束を通して全身に送り出すのに対し、コケには根はおろか、茎と葉の区別がはっきりしないものもあり、もちろん維管束もありません。コケは雨や霧を供給源に、体の表面から吸水し、光合成を行います。このような体の作りは、水中の藻類と似ている部分が多く、コケは緑藻類から進化した原始的な植物だと考えられています。

活動の場を広げるべく、太古の昔に水中から陸上へ進出したコケたち。その大きなチャレンジをきっかけに、植物はさらなる進化を遂げ、陸地は多種多様な緑が生い茂る楽園となりました。しかし当のコケたちは、原始的で小さな姿のまま。何か対策を打たなくては、後から登場した大型の種子植物に競り負けてしまいます。では一体、コケたちはどのようにして生き延びる道を見出したのでしょうか。

コケの生存戦略1:争いは好まない

大きく強く進化を遂げた他の植物を横目に、コケはひとつの決断を下しました。それは、他の植物と戦わないということ。競合がいない場所にいち早く進出し、過酷な状況に適応しながら繁殖する道を選んだのです。

「だからこそ、世界中のあらゆる場所で、コケを見ることができます。野山や街なかはもちろん、富士山の山頂にも、砂漠にも、北極や南極にすらコケは生育しているんです」

北緯79度。研究者が世界中から集まってくる最北の研究拠点ニーオルスン(ノルウェー・スピッツベルゲン島)に群生するコケ。撮影:上野健

上野さんには過去に5回、北極でコケの調査に携わった経験があります。まるで緑の絨毯のように繁茂するコケと、その奥にそびえ立つ巨大な氷河…。季節が変わり、最寒月の2月ともなれば、平均気温は-14℃にまで落ち込むといいます。そんな過酷な状況下で、コケは一体どのように生きながらえているのでしょうか。

「氷点下の北極では、細胞の中から水が吸い出されてまわりの氷に移動し、コケ自体は乾燥状態に陥ります。そのような状態になると、コケは休眠するという性質があります。氷河が溶けて、何百年も前に氷漬けにされたコケが、新しく成長をはじめたという報告もあるほどです」

なるほど、しかるべき時期がくるまで、しばし活動を停止することが、極地を生き抜く術というわけ。

「たとえカラカラに干からびたとしても、ひとたび水を与えると、みるみるうちに青々と蘇ります。その変化はあまりにも劇的で、死と生が逆転する瞬間を見ているかのよう。心躍るものがありますね」

生きづらいと思ったら、無理せず休む。コケのサバイバル術は、氷点下さながらの厳しい社会を生き抜く私たちにも、見習うべき点が多いように感じられてなりません。

コケの生存戦略2:敵を知り、必要とあらば武器をとる

しかしそんなコケたちも、常に耐え忍ぶばかりではありません。一例としてご紹介するのは、コケの中では大型のコウヤノマンネングサというコケ。まるでヤシの木をミニチュアにしたかのようなその姿は、コケのイメージを覆す存在感があります。

コウヤノマンネングサ。その見た目はコケというより草に近い。撮影:上野健

山地の林下に生育するこの種にとって最大の敵、それは落ち葉。いくら水分を確保できでも、落ち葉で覆われてしまっては光合成をすることができないからです。

「そこで、コウヤノマンネングサは、まず地下茎として伸びていた新芽を方向転換させて地上に伸ばします。新芽の先は鋭くとがっていて、落ち葉を突き刺すほどの威力を持ちます。そうやって体を上に持ち上げて、落ち葉をかいくぐった後で、枝分かれして成長を続けるのです」

このコウヤノマンネングサ、古くは江戸時代の公家資料「花木真寫(かぼくしんしゃ)」にも登場する特異な存在なのだそう。描いたのは、近衛家煕(このえいえひろ)という江戸時代第一級の文化人。なんと、コケの葉が閉じているところと、開いているところの2つの場面が、精密な筆致で描写されています。

上野さんがさらに詳しく研究したところ、コウヤノマンネングサの細かな葉が閉じているときは、光合成をしていないということが明らかに! コケが休眠している様子が、既に江戸時代の巻物に描かれているというのは、驚きですね。

コケの生存戦略3:単体ではなく、集団で生き抜く

先に述べた通り、コケに根はありませんが、その代わりに体を生育場所に固着する仮根を持つことで、コンクリートや岩、倒木などに体を固定し、さらにはコケ同士をも繋げることができます。そうやって隙間なく繁殖することで、どんなメリットがあるのでしょうか。

「仮根やコケ同士の隙間を水が移動できるというメリットがあります。乾いた紙を水に浸すと、水が繊維の隙間を縫うように移動しますよね。これを毛細管現象(もうさいかんげんしょう)と言います。コケは根から直接水を吸うことはできませんが、この現象を利用して、仮根や一部のコケについた水分を集団全体に行き渡らせているんです」

日本各地で苔むす絶景に出会うことができるのも、集団で繁殖するコケの特性あってこそ。遠目に眺めるのもいいけれど、もう一歩踏み込んで目線を下げてみると、今まで見えなかった世界が開けると、上野さんは楽しそうに語ります。


上野さんが主催する「苔をみる旅」という観察ツアーの様子。ルーペを片手に、みんな真剣! 撮影:上野健

上野さんのおすすめは、奥多摩や北八ヶ岳の森の中。中でも春と秋の繁殖シーズンには、ひときわ愛らしい特別な姿を見ることができます。ここからは、コケにグッと目を近づけ、ルーペで拡大してこそ見えてくる美しい様子をご紹介します。

コケならではのお花見を楽しもう!

種子ではなく胞子で増えるコケは、花も咲かず、年中地味な姿だと思われがち。しかし、そんなコケも恋のシーズンともなれば、華やかな姿を見せてくれます。

コケには雄株と雌株があり、雨の日などに雄株から放たれた精子が雌株の造卵器に達して受精すると、胞子体が作られます。

ここでは、蘚(セン)類の胞子体をいくつか見てみましょう。下の写真は、タマゴケの胞子体。胞子体は別名、コケの花とも呼ばれます。

タマゴケ。玉の部分は「朔(さく)」と呼ばれ、中に胞子が沢山詰まっています。撮影:関伺通(せきとしみち)

目玉おやじに似たかわいらしさもあって、タマゴケには熱烈なファンが多いのだそう。少しでも遠くに胞子を飛ばそうと、目玉をグッと持ち上げる姿が、なんとも言えず健気です。

イワダレゴケ。亜高山帯の針葉樹林の代表種。撮影:関伺通

コケの個性は胞子体の形に出ると言っても、過言ではないでしょう。中には、イワダレゴケのように爪に似た形をしている種も。成熟した胞子体の赤みを帯びた姿もまた、愛らしいものがあります。

オオツボゴケ。壺のような形の胞子体が特徴。撮影:関伺通

写真のオオツボゴケの胞子体は、まだ未熟な状態。しばらくすると、ふくらんだ壺の部分がさらに大きくなって赤紫になり、緑色の胞子が中から出てきます。
神秘的な姿をしたオオツボゴケですが、このコケは、動物のフンや死がいの上に生育するという特性があり、コケ自身も独特の匂いを発するのだそう。そうすることでハエをおびき寄せ、胞子の運搬係として働いてもらうというわけ。胞子をいかに条件のいい場所に運ぶかも、子孫繁栄に欠かせない戦略のひとつです。大部分のコケは風に胞子を運んでもらうので、オオツボゴケのやり方は極めて特殊な例です。

カラフトキンモウゴケ。木の幹に着生します。撮影:関伺通

胞子の散布は、蒴の口にある蒴歯(さくし)と呼ばれる部分が開閉して調整されます。蒴が成熟すると、先端の蓋がポロッととれて蒴歯が出てくる仕組み。蒴歯をルーペで拡大してみると、写真の通りまるでギザギザとした花のよう。胞子体同様に、この蒴歯もコケの花と呼ばれます。

しかし、どんなに頑張って胞子を飛ばしても、うまく定着できるかは運まかせ。場合によっては、胞子が全滅してしまうこともあるのでは…?

「コケには、もうひとつの手段があるんです。それは無性芽、つまりクローンによる繁殖。どう転んでも殖えてやる! という強い意思を感じますね」

ルーペひとつあれば、準備OK! さぁ、コケの森へ出かけよう。

コケについて知れば知るほど、それぞれに個性があり、生き抜くための戦略があることが良くわかりました。

「ルーペを通してコケを覗くと、まるで別の世界をのぞき見するようなワクワク感があります。コケはたくさんの菌類やバクテリア、小動物の住処になっていて、森にとって命の源とも言える存在です。ミクロの世界がマクロの世界に繋がっている不思議を、みなさんにもぜひ体感していただきたいです」

上野さん主催の「苔をみる旅」の詳細は、フェイスブックページで確認できます。今後のスケジュールをチェックしてみてください!

さらに、コケについて知識を深めたい方は、「日本蘚苔類学会」のホームページへ。会員になると、「改訂新版・コケ類研究の手引き」や「会報紙」が進呈される他、観察会や入門講座のお知らせが届きます。この学会にはプロ・アマ問わず、コケに興味がある人なら誰でも参加できるとのこと。年に一度の学会発表に参加すれば、最新のコケ情報を聴講できるチャンスもあります。

「日本の貴重なコケの森」に認定された北八ヶ岳白駒池周辺の原生林。ここを含む八ヶ岳全体には
、国内で見られるコケの約4分の1の種が生育しています。撮影:上野健

学会では、希少種や多くのコケをはぐくむエリアを「日本の貴重なコケの森」に認定し、各地のコケを守る活動も行っています。認定を受けたコケの森は、28箇所。もしかすると、みなさんが住む場所の近くにも、貴重な森が広がっているかもしれません。

夏の森は都会より断然涼しく、コケも一段と青々として観察にぴったり。次のお休みはぜひルーペを片手に、お近くのコケの森へ出かけてみてはいかがでしょうか。

日本蘚苔類学会第48回大会について

日本蘚苔類学会
※年会費3,000円(小・中・高等学校のジュニア会員は年会費1,000円)

大会日程:2019年8月27日(火)から29日(木)
会場:博多蔵本太田ビル会議室(福岡市博多区奈良屋町2-1)
補足:初心者向けコケ講座あり。当日、会場での参加も可能。非会員でも研究発表を聴講できます。

書いた人

都内在住のお散歩マニア。好きな場所は日本庭園・公園・神社仏閣・動物園・水族館。全て歩き回れるところが良し。水鳥という名に託すのは、鳥のように羽ばたきたいという思い。しかしどういうわけか、飛べないペンギンが大好きで、いつか南極に行きたいという夢がある。