赤坂御用地の巽門を出てすぐ、虎屋の向かい側に豊川稲荷がある。赤坂は、料亭や芸者さんが多かった街でもあり、芸能の神様である弁天さんをお祀りしていることから、芸能人の信仰も厚く、節分のときは多くの芸能関係者の方たちが豆まきをする事でも知られている。
物心ついたときから赤坂で生まれ育った私は、宮邸から一番近くにある豊川稲荷が氏神神社であると信じ、子どもの頃から初詣は必ず豊川稲荷に出かけていた。毎年とても混雑し、かなり長時間待たなければならないので、寒くて往生するのだが、境内に入ると赤い鳥居と幟旗が並ぶ様子が華やかで、お正月気分を高めてくれる。お参りの後に屋台でたこ焼きやりんご飴、ベビーカステラなどを物色し、結局いつもほくほくした顔で帰ると言うのが定番だった。
必ず初詣にでかけていた豊川稲荷の驚愕の事実
ところが、留学を終えて帰国し、京都に住み始めてしばらく経ったころだっただろうか。夜、もう寝る準備をして、部屋の電気も消して布団に入り、なんとなくつけていたテレビを見ていた。番組の中で、「この中で神社ではないのはどれでしょう?」というクイズがあった。「①伏見稲荷 ②豊川稲荷 ③笠間稲荷」だったと思うのだが、伏見稲荷と豊川稲荷は行ったことがあるなぁなどと思いつつ、うとうとしながらぼんやりと見ていたら、驚愕の事実が耳に飛び込んできた。「答えは…2番の豊川稲荷です!」「えーーーーーーー!!」叫びながら私は布団から飛び起きた。私が幼いころから神社だと信じてきた豊川稲荷は、なんと曹洞宗の妙厳寺というお寺だと言うのである。20年以上氏神神社にお参りできていなかったという事実がショックすぎて、その日はなかなか寝付けなかった。
後日、地下鉄の赤坂見附駅の案内板を見て愕然とした。豊川稲荷のローマ字表記が、Toyokawa Inari Templeだったのである。そして、坂を上がった先に見えてくる豊川稲荷の門には「豊川稲荷東京別院」という表札。神社であれば、別社か別宮であろう。間違いない。完敗である。豊川稲荷は紛れもなくお寺であった。翌年から、赤坂の氷川神社に初詣に行くようになったのは、言わずもがなである。
紀貫之や清少納言も詣でた初午
そんな豊川稲荷では、2月になると「2月〇日 初午祭」と大きな看板が外側に出る。(思えば、この「祭」という字も騙されていた要因の一つであると思う)初午とは、稲荷神が稲荷山に降臨したのが和銅4(711)年二月の初午の日であったという伝承にちなみ、旧暦二月初の午の日に、伏見稲荷大社を始めとする各地の稲荷社に参詣する風習のこと。現在は、新暦二月に行われることも多いようだ。
初午には、稲荷山の三つの峰を上り、御神木の杉の枝を折ってくると言う習慣がある。平安時代には既に行われていたようで、紀貫之や清少納言も初午詣をしたことがわかっている。葉室光俊の「きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし」という歌があるように、稲荷山の杉の葉がすっかりなくなってしまうくらい大勢の人がお参りするものだったようだ。伏見稲荷大社では、今も初午の日にこの「験(しるし)の杉」の授与がある。
東京にいたときは、あんなに近くにいたのに、文字を目にしていただけでご縁がなかった初午であるが、京都に来てからは、初午がとても身近な行事であることに驚かされた。もちろんお稲荷さんの総本宮である伏見稲荷大社のお膝元ということもあるのだろうが、京都人のお宅に伺ったときに、「今日は初午やから…」とお稲荷さんを出していただいたり、初午にちなんだ狐の御菓子が和菓子屋さんに並んでいたりする。稲荷とは、稲生(いななり)が転じて呼ばれるようになったとも言われており、元々は五穀・農業を司る神様であったが、五穀豊穣の意味から商売繁盛の神様として広く信仰されるようになった。京都はお商売をやっておられる家も多いし、稲荷神の神使である狐も親しみやすい要因の一つであるのか、とても生活に密着した神様であると思う。
「おくどさん」と初午の関わり
京都の町家に欠かせないものの一つに、「おくどさん」があるが、これにも初午が関わっている。おくどさんとは、いわゆるかまどのことで、お米や料理を煮炊きする設備のこと。このおくどさんの上に、煤で黒光りする布袋さんの人形が並べられている。家を新築すると、初午の日に伏見稲荷大社にお参りし、参道で布袋さんの伏見人形を買って帰り、おくどさんの上の荒神棚に飾るのだそうだ。毎年お参りして、一体ずつ。小さいものからだんだんと大きいものにして、全部で7体。七福神にちなんで7体揃うとよいとされ、集めている最中に家中で不幸があると、最初から集め直さなければいけないのだとか。布袋さんの背中に火の文字を書くと、火難防止になると言われており、おくどさんを守って頂くのだそうだ。布袋さんの火伏に加え、やはりおくどさんに五穀の神様であるお稲荷さんのお力を頂くということなのだろう。
氏神神社でなかったことがわかって以来、すっかり近くて遠い存在になってしまっていた豊川稲荷だけれど、やはりこんなに近くにいらっしゃるのだから、久しぶりにご挨拶に行きたくなった。初午の日も近づいている。
アイキャッチは楊洲周延『千代田之大奥 初午』,福田初次郎,明治29. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1302649