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三十六歌仙その四、三十六歌仙の和歌は日本文学においてどんな評価をされていますか?
万葉集には、天皇や貴族、下級官人、防人(さきもり)まで、さまざまな身分の人びとが詠んだ歌が収められています。
「みんなの歌を収載した万葉集の次に編纂されたのが、勅撰の古今集になります。やまと歌を漢詩に代わるべき位置に押し上げようとして、天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、紀友則(きのとものり)、壬生忠岑(みぶのただみね)が、宮廷社会の中心にいる人たちの歌を選びました。この時代、歌は事柄や物そのものを詠むだけではなく、高雅な文化意識や情趣性、自他の心に対して自覚的になってきたのです」(馬場さん 以下同)
それは、身分の浮沈に絶えず脅かされる貴族社会特有の存在の不安でもありました。
「現実の人生の行き止まりが決まっているという、社会に対する絶望が基盤にあるからこそ、そこに切実な表現の営みを求めるようになっていったんでしょうね。そういう背景から三十六歌仙の歌を見ると、違った風景になります。(選者の)藤原公任(ふじわらのきんとう)のプライドは天下一品。でも心の中では鬱々(うつうつ)とした部分がある。葛藤をしている人なんですね。36人の歌を見ると、公任の心を投影した、屈折した歌の存在を知らされます」
そうした歌以上に、不安を象徴する歌仙の存在が、在原業平(ありわらのなりひら)だといいます。
「業平は、桓武(かんむ)天皇の曾孫という由緒ある血筋でありながら、祖父が〝薬子(くすこ)の変〟という内乱を起こしたことで、皇太弟(こうたいてい)の嵯峨天皇へと皇統が移り、まったく出世する見込みがなくなりました。美丈夫(びじょうふ)でしたが、官途(かんと)に必要な〝才学無(さいがくなし)〟とまでいわれます」
『伊勢物語』の主人公に重ねられる業平は恋に生きるしかなかった半面、不遇な惟喬親王(これたかしんのう)の面倒も見ていたようです。
「どこか寂しい、悲しい……人生の暗さを歌う人のほうに魅力があるんです。公任によって、はじめて日の目を見た歌仙たちもいたわけですから。現実社会の憂さを媒介とし、ことばでそれを乗り越えようとした歌詠みをクローズアップしてみせた。それは、三十六歌仙の大きな意味として評価してよいと思いますよ」
『新古今和歌集』の選者、凡河内躬恒
希代のプレイボーイ、在原業平
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。
現在、映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)を上演中。
※本記事は雑誌『和樂(2019年10・11月号)』の転載です。構成/植田伊津子