選択は私たち自身
今回の禅語:魚、水を行くに、ゆけども水のきはなく、鳥、そらをとぶに、とぶといえどもそらのきはなし。
この禅語を読んで思うのは、今、目の前にある全てを受け止めて生きることの大切さです。
生きていると、思い通りにいかないこと、ショックなこと、受け入れ難いこと、辛いこと、苦しいこと、いろんなことが起きます。
逆にハッピーなことや嬉しいことも! それによって人は感情が動いて、そこに意識が集中して頭の中はそのことでいっぱいになり、目の前のことが手付かずになってしまうことってありますよね。誰かと恋に落ちた時もまさにそうかも(笑)!
でも刻一刻と時は過ぎていて、それに伴って私たちは歳を重ね、死に向かっているのが現実です。その限られた時間の中で、起こる出来事に囚われ翻弄されて時間を過ごすか、ネガティブに捉えて落ち込んで過ごすか、全てを受け止め感謝してポジティブに過ごすのか。その選択は私たち自身に委ねられています。
この禅語から気づくのは、さまざまな出来事に思考や感情を奪われている暇はないということ。そして、考え込んでいても大概は答えがないことがほとんど(!)だということ。時間は過ぎているからこそ、目の前に日々起こる出来事に対して何に気づき、何を学んで、何を喜び、どうこの世界を謳歌し、成長していくかが充実した生き方に繋がっていくのではないでしょうか。
ハワイで訪れた「悲しみの場所」
先日、久しぶりに3年間住んでいたハワイに行って来ました。実はそこで愛犬を事故で亡くした過去があり、私の中でその悲しみを受け入れるには胸の奥に仕舞い込むことしかできず、私の中で蓋をした「悲しい過去」になっていました。
今回、ハワイに行ったことで、その悲しみの蓋を開け、当時は受け入れられず行くことができなかった、その事故があった場所へ足を運び、愛犬とのひと時を思い出す時間を過ごしてきました。
そこは以前と変わらぬ場所でしたが、歩いてみて感じたのは、2年半前と今、時間が経っても「愛犬はもう戻らない」という変わらぬ現実があるのみでした。そこを歩く私自身は当時にタイムスリップしたような感覚はありましたが、現実は変わらなく、ただ時間が過ぎているだけでした。
変わったのは、私の中にある愛犬への気持ち。
苦しかった悲しみは、反省と出会えた感謝、懺悔と愛情に変わっていました。結局は、起きたことは曲げることができず、受け入れて生きるしか、私たちに道はないのです。
その中でどう生きていくのが良いのか。その答えを導いてくれたのは、最近セラピーの資格を取ったハワイに住む友人からの一言でした。
久々に会った彼女に個人的に抱えている悩みを相談をしたところ、彼女は「私たち人間は神様じゃないし完璧な生き方はできないのだから、何よりもまずは、今の自分を愛してあげることだと思う。それには何をするにも自分がハッピーになれる選択をして、ハッピーになれない選択はしないこと。誰かに気を遣いすぎたり、他人の幸せを考えすぎたりする前に、まずは自分を幸せにしてあげること。」だと言われました。
誰かがいて、何かがあって幸せになるんじゃなくて、自己がまず自立して、自分が自分を幸せにする行動に責任を持つことなんですよね。
「誰かに『幸せにして』とすがるのではなく、望むのでもなく、自分の幸せは自分でつくること。自分を一番愛せるのは自分だけですから!」と満面の笑みで熱く語ってくれた友人の言葉に、とっても勇気づけられました。
「自分を愛する」という幸せの本質
彼女によれば、例えば何かあるごとに「それって私にとってハッピーな選択?」と自分自身に尋ねてみると良いそう。友人は、それ以来、嫌なことは一切しなくなったし、自分のトラウマや気にかけていたことに徹底的に向き合って、自身をハッピーにする選択に切り替えたことで、自分が変わり、夫婦関係が以前より良好になったり、子育て人生から、好きなことの勉強を始めたり、資格を取ったり、仕事を見つけたり。目の前にちゃんと向き合ってより良い選択を積み重ねたことで、人生が充実して新しい扉が開いている様子。何よりすごく幸せそうなんです!
皆さんは、いつも『自分にとってハッピー』な選択をしていますか? それとも無意識に日々の選択をしていますか? もしくは、自分にとって都合の良いことか悪いことか、好きか嫌いか、利益になるかならないか? など、分別した選択をしていますか?
「自分を愛する」という幸せの本質に戻って物事を見返してみると、もしかしたら日々の選択は変わってくるかもしれません。
私は、彼女の言葉を聞いた日以来、「これは私にとってハッピー?」と自分に問いかけるようになりました。そうすると、ネガティブに捉えていた出来事も、不思議とハッピーな思考に切り替わって受け入れられるようになってくるんです。
自分にとっての喜びや幸せを積み重ねていくと、大きな喜びや幸せに繋がっていきそうですよね。
新年を迎え、様々な出来事の中にあっても、いつも心穏やかに健やかでありますように。
監修:横山泰賢(日光山 禅昌寺住職・曹洞禅インターナショナル会長)