Craft
2019.09.13

現代文明は刃物に支えられている!?富士山を象ったフォールディングナイフが超絶かっこいい!

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先日、兵庫県三木市の企業が製造する折り畳みナイフ『肥後守』についての記事を配信した。

肥後守は「忘れられた名品」だ。かつての小学生は、皆その手に肥後守を持って野原を駆け回っていた。が、カッターナイフと鉛筆削り器という文明の利器が巷に押し寄せると、肥後守は筆箱から姿を消していった。

一方で、海外ではナイフコレクターやアウトドア愛好家、彫刻家を中心に真鍮ハンドルの和式フォールディングナイフが高評価されている。堅牢でシンプルな構造のこの製品は、あらゆる目的の工作にフィットする。中には欧米のナイフメーカーが和式ナイフをベースに独自の工夫を加えた新製品を開発し、クラウドファンディングに出展する例もあるほどだ。

日本の刃物文化を考察する上で、三木・小野の播州産ナイフは避けて通れない道と言うべきだろう。

ブレードに富士山が!

『肥後守』という名称は、永尾かね駒製作所の登録商標である。これは前回の記事でも説明した通りだが、他の企業が製造した同型製品はそれとは別の名称が与えられている。

今回は極めて個性豊かな播州産ナイフに触れる機会があったので、それについて解説していきたい。

さて、筆者はガジェットライターとも名乗っている関係で、クラウドファンディングの製品に触れる機会が多々ある。中でも渋谷に本社を置くMakuakeには、試供品の提供等でいろいろとお世話になっている。Makuakeから見れば、筆者澤田真一はたまにひょいと現れる出入りのライターというわけだ。

そのMakuakeが先日、設立6周年イベントを都内で催した。美味いものを食べられると聞いて、筆者も顔を出してみた。

その会場に設置された出展製品ブースに、このようなものがあった。合同会社シーラカンス食堂(兵庫県小野市)のブランド『MUJUN』が制作したフォールディングナイフ『フジナイフ』である。

ある世代よりも上の人から見れば、非常にレトロな設計のナイフだ。が、今の10代や20代から見れば、むしろ斬新なナイフかもしれない。「これぞ和式ナイフ!」ということを全身で主張しているようなデザインだ。まず、ブレード背面に富士山が形成されているのが最大の特徴である。ちゃんと富士山頂の積雪も再現されている。このようなデザインだから、刃先は富士山の曲線に従ったクリップポイントになるのでは……と思うだろう。が、実はその途中で曲線の角度を大きく変え、ドロップポイントにしている。

ブレードの材質は白二鋼割込の3枚。収納部を兼ねるハンドルは真鍮でできている。フォールディング機構は普遍的な播州産ナイフと同じく、チキリ(ブレードに連結するリリース)を親指で固定するものだ。

フォールディング機構から見る「創意工夫」

折り畳みナイフのフォールディング機構は「工夫の競争」である。

簡単にブレードを引き出すことができ、なおかつそれを固定させなければならない。ボタンひとつでパッとブレードを立たせればいいのだが、そのようなナイフはどうしても複雑な機構になる。収納部に細かい部品を組み込むと、どうしてもメンテナンス性に難が出てしまう。

その中で播州産ナイフは、チキリを利用したフォールディング機構を採用している。親指で常時チキリを抑えていないといけないという欠点はあるものの、その分だけ構造が単純で滅多に故障することがない。これ以上に優れた機構のナイフといえば、回転式ブレードロックを有したフランス製のオピネルとバタフライナイフのみである。特にバタフライナイフは極めて安全性が高く、細かい部品も組み込んでいないから故障の恐れもあまりない。

しかし日本人は、それらのナイフを「犯罪に利用されるから」という理由で自主規制してしまった。結果、子供はおろか大人ですらもナイフを持たなくなり、日本が世界に誇る刃物産業は後継者不足の問題に頭を抱えるようになった。

話は逸れたが、播州産ナイフは作りが単純故に優れた耐久性、堅牢性を有している。フジナイフもそうした特性を受け継ぎ、優美な見た目とは反して荒々しい使用も耐え得る丈夫さを持っているようだ。

ナイフは芸術の基本単位

三保の松原を象ったハンドルは、栓抜きとしての機能も持っている。キャンプやバーベキュー等のアウトドアには最適のナイフと言えるだろう。

先述の通り、この製品はMakuakeで資金調達を行っていたものだが、どうもMakuakeは他のクラウドファンディングと比べると刃物製品の出展が多い。もちろん、これはいいことだ。

これはMakuakeが意図しているというよりも、日本国内の伝統製品を積極的に取り上げていくと必然的にナイフの出番が多くなるという経緯ではないか、と筆者は思案している。

ナイフとは、人間だけが持つ創造性を具現化させた道具である。同時に、そのナイフを使ってまた別の美術作品を生み出すこともできる。あらゆる芸術の基本単位は、1本のナイフだ。もし人類が滅亡するとしたら、そのきっかけは自らナイフを手放す瞬間ではないか。我々現代人は既に切り身になった食材に慣れてしまったが、それはむしろ「現代文明は刃物に支えられている」ということを証明する事象だ。

この世界にナイフという道具が存在するからこそ、人間は人間であり続けられる。

【参考】
Fuji Knife
ジャパニーズナイフのてっぺんを目指す!富士山をモチーフにしたフジナイフを世界へ!-Makuake