CATEGORY

最新号紹介

10,11月号2024.08.30発売

大人だけが知っている!「静寂の京都」

閉じる
Culture
2024.10.09

北条時行最大の支援者!『逃げ上手の若君』諏訪頼重とその一族、実際はどんな人?

この記事を書いた人

松井優征(まつい ゆうせい)原作『逃げ上手の若君』の主人公、北条時行(ほうじょう ときゆき)の最大の庇護者、諏訪頼重(すわ よりしげ)。圧倒的な存在感で(物理的に)光り輝く大神官を大解説!

……と行きたいところだが、資料的には謎が多い人物でなぁ。頼重の父親すら諸説あるらしいし。オレのいた時代では諏訪氏はあまりスポットが当たってなかった。

▼オレについては第一回の記事を参照な!
母親は誰なのか?『逃げ上手の若君』北条時行の謎に満ちた出生に迫る

諏訪氏たち御内人とは!


諏訪氏を語る上でまず外せないのは、「御内人(みうちびと)」であること!御内人とは「得宗(とくそう)に仕える家臣」を指す。

得宗というのは北条氏の長のことだ。……NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の視聴者も耳慣れないとは思う。実は北条義時(ほうじょう よしとき)の死後にそう呼ばれるようになったのだ。これが必ずしもイコール執権ではないことに注意だ。

まぁ、その得宗に仕える御内人。義時が執権の時代にも金窪行親(かなくぼ ゆきちか)や安東忠家(あんどう ただいえ)なんかが『吾妻鏡(あずまかがみ)』にもよく名があがっているが、より活躍が顕著になるのは泰時(やすとき)が執権の時代からだな。

北条氏が大きくなったので、側近として御内人の地位が高まった。ちなみに諏訪氏は鎌倉中期に得宗家の家政機関のリーダーを務めたこともあるぞ!

諏訪氏についてのアレコレ


諏訪氏は『逃げ上手の若君』で語られるように、信濃国(しなののくに=現・長野県)の諏訪湖畔にある諏訪郡の領主であり、諏訪大社(すわたいしゃ)の上社(かみしゃ)の大祝(おおほうり)の家だ。

祝(ほうり)は神社の神職のことで、「大祝」は諏訪大社や鹿島神宮(かしまじんぐう)など限られた神社にしか置かれない役職だ。

諏訪大社は諏訪湖を挟んで北に上社(かみしゃ)・下に下社(しもしゃ)があり、さらに上社は前宮(まえみや)と本宮(ほんみや)、下社は春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)。この4つの神社からなっている。

出自は諸説あり、源頼朝(みなもとの よりとも)様のご先祖である源義家(みなもとの よしいえ)様やお父上の義朝(よしとも)様にも従っていたという話もある。

御内人となった経緯もよくわかっていない。

一説によると、信濃武士は頼朝様の従兄弟にしてライバルでもあった木曽義仲(きそ よしなか)殿に味方する者が多かった。

牧 金之助/編 『木曽義仲一代記 全』 信州デジタルコモンズ

『逃げ上手の若君』でも木曽義仲殿が好意的に描かれていたのは、そういうことだな。

そのため、鎌倉御家人となったものの頼朝様からは冷遇されていたのだが……転機は頼朝様の死後。北条氏が比企(ひき)氏を滅ぼした比企能員(ひき よしかず)の変の後、北条義時(ほうじょう よしとき)が信濃国守護となったことで、諏訪氏が義時の御内人となったともいわれている。

だが、この御内人となった諏訪氏も大祝を務めた家の者ではなく、「諏訪氏の中に御内人となった者もいた」という感じらしい。

『逃げ上手の若君』では時行を連れ出したのは頼重本人だが、南北朝時代を描いた軍記物語『太平記(たいへいき)』では御内人として元々鎌倉にいた諏訪盛高(すわ もりたか)が時行を連れ出している。盛高は信濃国で大きな力を持っていた同族の頼重らを頼ったのだろう。

諏訪神党ってなんだ?


『逃げ上手の若君』でも名が出る諏訪神党(すわしんとう)は、鎌倉中期以降に史料にも登場する。

秩父氏を中心とする「秩父党」や、三浦氏を中心とする「三浦党」は血族の繋がりだが、諏訪神党は諏訪大社の氏子たちの繋がりだ。そして中心の諏訪氏は、諏訪大社が祀る諏訪明神(すわみょうじん)の末裔の現人神(あらひとがみ)として神格化していた。

そのため信濃国の政治だけでなく宗教的な影響力も強く、敵に回したら非常にやっかいな一族だなぁ。

諏訪頼重について


諏訪頼重について書かれている資料はとても少ない。

南朝視点で書かれた『太平記』とは対照的に、北朝視点で書かれた歴史書『梅松論(ばいしょうろん)』では、諏訪頼重は「三河入道照雲(みかわにゅうどう しょううん)」と呼ばれている。それによると時行が鎌倉を取り戻すために中先代(なかせんだい)の乱を起こした頃は、頼重は既に大祝職を退き、出家していた。

『逃げ上手の若君』では眩いほど発光する現役バリバリ神職だったが、実際は蛍のような穏やかな発光ぐらいのご隠居様だったのかもしれない。

資料は少ないが、言えることは北条時行が中先代の乱を起こせたのは、諏訪氏の後ろ盾があってこそだろう。

ではなぜ、ここまで諏訪氏は北条の生き残りの少年に賭けたのか。それは代々の忠誠心からなのか、あるいは政治的な利害があったのかもしれない。『逃げ上手の若君』では、時行を「未来を託せる人物」として見ていたが……。

物語の行く末を見守っていくのもよし。しかし自分である程度調べて先に解釈をしておくのも、歴史物の創作物を楽しむ方法の一つだな。

▼『逃げ上手の若君』『鎌倉殿の13人』関連記事など、胤義どのの軽妙なお話一覧はこちら
先祖も濃ゆいぞ!『逃げ上手の若君』足利尊氏とミステリアスな一族のナゾに迫る
森蘭丸の先祖があらわれた!『吾妻鏡』で読む大河ドラマ・房総半島編その2【鎌倉殿の13人】

アイキャッチ画像:葛飾北斎『冨嶽三十六景 信州諏訪湖』 東京富士美術館

参考文献:
『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』
石井進「中世の諏訪信仰と諏訪氏」(『石井進著作集 第五巻』岩波書店)
細川重男『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館
鈴木由美『中先代の乱』中公新書