江戸時代、『吉原』といえば、遊女たちが春をひさぐ場所として有名でしたが、他の遊郭と大きく異なっていたのは、ここが幕府公認だったということ。すなわち、御上が認めた場所であり、ここであれば「公序良俗に反する」とお咎めを受けることもなかったのです。大きな都市には遊女を抱える女郎屋はたくさんありましたが、吉原は女郎屋ではなく『妓楼(ぎろう)』と呼ばれ、その他の女郎屋とは一線を画していました。
2025年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の登場人物には、妓楼屋の主人が名を連ねています。小芝風花が演じる名妓「瀬川」を抱えていた「松葉屋」の妓楼主を正名僕蔵(まさなぼくぞう)が、松葉屋と並ぶ二大妓楼と言われた「扇屋」の主を山路和弘(やまじかずひろ)が、最下級の河岸見世(かしみせ)の女郎屋から吉原へと進出した新興の「大文字屋」のドケチな妓楼主を伊藤淳史が演じることで、注目を集めています。
幕府公認の遊郭はいつからあった? 最初に始めたのはあの戦国武将!
遊女は、古くは万葉集や『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』などにも登場しています。これら遊女たちを一つの場所に集め、幕府公認の遊郭として作ったのが、天正13(1585)年、かの豊臣秀吉でした。当初は、大坂の島之内辺にあったといわれ、慶長年間(1596-1615)に道頓堀へ移り、最終的には大坂・新町に移転し、新町遊郭として名を残しています。
さらに秀吉は、京都に柳町遊郭を作り、後に徳川家康がこの制度を継承しました。寛永17(1640)年には島原遊郭へと発展し、大坂の新町、京都の島原、江戸の吉原を三大遊郭と呼び、1682年に出版された井原西鶴の『好色一代男』では、「京の女郎に、江戸の張(はり)をもたせ、大坂の揚屋で遊ぶ」と書かれるなど、全国的にも有名な場所となります。
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妓楼は現代でいう高級サロンとしての役割も?
泰平の世が続いた戦のない江戸時代、武士も文芸に親しんだり、派手に遊興したりするようになります。もともと幕府公認の遊郭は、大名や公家、豪商といった上客を相手としていたため、高級遊女の最高峰になるには、文字の読み書きはもちろん、和歌を嗜み、『源氏物語』などの古典に精通するなど、高い教養が求められていました。
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高級遊女を抱える大見世の妓楼では、こうした遊女を育て上げるための力も求められていたわけです。そのため、楼主は単に女郎屋の亭主ではなく、人材育成や管理能力が問われる辣腕経営者であり、自身も教養のある文化人でした。滝川や花扇などの高級遊女を抱えた扇屋の楼主は、『墨画』という号を持つ俳人であり、山東京伝らと親交がありました。また、夫婦ともども、歌人・国学者として名高い加藤千蔭(ちかげ)の門人でもあったのです。また、大文字屋の楼主・市兵衛は、加保茶元就(かぼちゃもとなり)という狂歌名を持ち、蔦屋重三郎や大田南畝、恋川春町らと共に狂歌の会を頻繁に開き、文化交流の場ともなっていました。当時出版された狂歌本には、その名が残されています。
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江戸文化の華を生んだ吉原の光と影
こうして、芝居、音曲、洒落本、浮世絵など、江戸時代に発展した主要な文化には、吉原との深い関係がありました。吉原なくして、江戸の文化は語れないといっても過言ではないでしょう。芝居や浮世絵の美人画のモデルにも遊女はたくさん描かれていますし、江戸の洒落や粋は、遊郭での遊びを通して、より洗練されていきました。
蔦屋重三郎が出版文化を発展させるきっかけともなる「吉原細見」が毎年発行されていたことも、多くの人たちの関心の中心にあったことを示しています。
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しかし、こういった良い面だけでなく、吉原の妓楼も人身売買であったことには変わりありません。売れない遊女への待遇のひどさは相当なものだったようです。妓楼主のことを『忘八(ぼうはち)』とも呼びますが、これは、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)」の八つを忘れた人とも揶揄されていました。ここには庶民からのやっかみもあったのでしょうが、一筋縄ではいかない人物であったことは間違いないでしょう。
このあたりの人間模様が大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、どのように描かれていくのか。また、この江戸文化の隆盛に、吉原育ちの蔦屋重三郎が、どのように関わっていたのか、楽しみにしたいですね。
アイキャッチ:『契情三人酔 三幅之内 腹立上戸 泣上戸 笑上戸』 喜多川歌麿 メトロポリタン美術館
参考資料:『吉原事典』 永井義男 朝日文庫、『江戸の文人サロン 知識人と芸術家たち』揖斐高 吉川弘文館、『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館 『国史大辞典』(吉川弘文館)